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第152話 ワニに乗るサメ



河津を出て、俺たちはまた北へ向かった。


神子元まで行って小サバに話をつけた。あとは川奈へ帰るだけだ。


ただし、帰るだけなのに全然進まない。


「……」


少し泳いで、振り返る。


ずっと後ろに、小さなネコザメがいる。


泳いではいる。


ちゃんとこっちへ向かっている。


ただ、遅い。


「頑張るっす!」


イトヨリが応援する。


ネコザメは一生懸命泳いでいる。


遅い。


俺たちは待つ。


追いつく。


また泳ぐ。


また離れる。


また待つ。


「これ、川奈いつ着くんだ?」


「…………いつか」


キンメの答えが遠い。


「いつかじゃ困るんだよ」


ホンガツオはとっくに見えなくなった。


あいつにこの速度で泳げと言ったら、本当に死ぬ。


俺たちはネコザメに合わせながら、ようやく稲取の辺りまで戻ってきた。


行きにも通った海だ。


「ここまで来たら熱川も近いっすね」


「ああ」


「その次が赤沢っす!」


イトヨリの声が急に明るくなる。


「覚えてたのか」


「当たり前っす!!!」


行きに寄りたがっていた赤沢温泉。


あの時は神子元へ向かう途中だったから、そのまま通り過ぎた。


「帰りは寄るって言ったっす!」


「分かってるよ」


「絶対っすよ!」


「寄るって!」


「やったっす!!!」


イトヨリが勢いよく前へ泳いだ。


「あ」


止まった。


後ろを見る。


ネコザメが遠くにいる。


イトヨリは戻っていった。


「忘れてたっす」


「俺たち今日ずっとそれやってるからな」


その時だった。


前方の魚たちが、急に散った。


「ん?」


何か大きなものがいる。


海面近くから、巨大な影がゆっくり降りてきた。


魚たちが一斉に距離を取る。


「…………」


見覚えがある。


赤いバンダナ。


片目を覆う眼帯。


そして、伊豆の海にいる理由がいまだによく分からない巨体。


「ウヒッ!」


「…………」


「久しぶりだな!」


「またお前かよ!!!」


熱川イリエワニ二代目だった。


「なんでまた稲取にいるんだよ!」


「サメ食いに来た」


「また!?」


前に会った時と何も変わっていない。


こいつにとって稲取は近所のスーパーか何かなのか。


「今日はあんまりいねえな」


二代目が辺りを見回す。


「そりゃお前が来たから逃げたんじゃないの?」


「ウヒッ!」


否定しない。


「お前らは?」


「神子元からの帰り」


「小サバは?」


「話はついた」


「いねえじゃん」


「連れて帰るんじゃねえよ! 川奈の方にもまた回遊してくれって頼みに行ったんだよ!」


「面倒くせえことしてんな」


「誰のせいでもねえけど腹立つな!」


二代目は俺たちを順番に見た。


チカメ。


キンメ。


キントキダイ。


イトヨリ。


そして。


少し離れたところを泳いでくる、小さなネコザメ。


「…………」


二代目の目が止まった。


「おい」


「食うなよ」


「まだ何も言ってねえだろ」


「今サメ食いに来たって言ったばっかりだろ!」


ネコザメも二代目に気づいた。


止まった。


「…………」


プルプルプルプル……。


「震えてるぞ」


「お前のせいだよ」


二代目が少し近づく。


プルプルプルプルプルプル……。


「食わねえよ」


プルプルプルプルプルプルプル……。


「信用されてないっすね」


「なんだこいつ?」


「神子元でついてきた」


「サメだろ?」


「ネコザメ」


「サメじゃねえか」


「だから食うなよ!!!」


二代目がネコザメを見る。


ネコザメは震えている。


二代目が右へ動く。


ネコザメの目がついていく。


左へ動く。


目がついていく。


プルプルプルプル……。


「…………」


「遊ぶなよ」


「遊んでねえよ」


「絶対遊んでるだろ!」


二代目が俺を見る。


「こいつも川奈まで行くのか?」


「たぶん」


「たぶん?」


「勝手についてくるんだよ」


「遅くねえか?」


「遅い」


「すげえ遅いっす」


「…………遅い」


キンメまで言った。


ネコザメだけが遠くでプルプルしている。


「じゃあ乗せてくか?」


「え?」


「俺、赤沢まで行くからよ」


イトヨリが飛びついた。


「赤沢行くんすか!!!」


「お、おう」


「温泉っすか!?」


「じいちゃん迎えに行く」


「じいちゃん?」


二代目が面倒くさそうに頭を掻いた。


「赤沢温泉行ったきり、なかなか帰ってこねえんだよ」


「そりゃ大変だな」


「どうせ赤沢まで行くんだ。そいつくらい乗せてってやるよ」


「助かる!」


俺はネコザメのところへ行った。


「ほら」


ネコザメを見る。


二代目を見る。


もう一度ネコザメを見る。


プルプルプルプル……。


「…………乗る?」


返事はない。


当たり前だ。


俺は小さな身体を押して、二代目の背中へ乗せた。


「…………」


プルプルプルプルプルプルプルプル。


「大丈夫か、これ」


「お前が言うなよ!」


「落とすなよ」


「サメ食いに来たワニへ預けといて注文多いな」


「食うなよ!」


「食わねえって!」


二代目が泳ぎ出した。


速い。


今までとは比べものにならない速度で海が流れていく。


その背中で。


プルプルプルプルプルプル……。


ネコザメが震えている。


「チカメさん!」


「何!?」


「めちゃくちゃ速いっす!!!」


「今までが遅すぎたんだよ!!!」


キントキダイも必死についてくる。


キンメは黙って泳いでいる。


俺たちは久しぶりに、まともな速度で北へ進んだ。


熱川の海を抜ける。


二代目にとっては家の近くだ。


だが今日は帰らない。


そのまま北へ向かう。


「じいちゃん、いつから赤沢にいるんだ?」


「知らねえ」


「知らねえの!?」


「帰ってこねえから迎えに行くんだよ」


「何日くらい?」


「結構」


「情報が全部雑だな!」


「温泉好きなんだよ、じいちゃん」


「ワニが?」


「ワニだって温泉くらい入るだろ」


「そこを常識みたいに言われても困るんだよ!」


二代目の背中では、ネコザメがまだ震えている。


プルプルプルプル……。


「こいつ赤沢まで持つかな」


「乗ってるだけだろ」


「精神の話だよ!」


やがてイトヨリが前方を見た。


「あっ!!!」


「今度は何だよ」


スマホを見る。


前を見る。


もう一度スマホを見る。


そして満面の笑みで振り返った。


「チカメさん!」


「はいはい」


「赤沢っす!!!」


「おお」


「赤沢温泉っす!!!」


「分かったって」


「ついに来たっす!!!」


行きには通り過ぎた。


神子元まで行って。


小サバを見つけて。


いろんなものに追いかけられて。


帰りにはネコザメまで増えて。


ようやく。


イトヨリがずっと寄りたがっていた場所まで戻ってきた。


「行くっすよ!!!」


「待て!」


イトヨリが先へ飛び出す。


二代目も赤沢へ向かう。


その背中で。


プルプルプルプル……。


「…………」


ネコザメだけは、まったく温泉を楽しみにしているようには見えなかった。

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