第143話 荒ぶる世界
「どっちに食われたい?」
「選択肢がおかしいっすよ!!!」
前には、ハンマーヘッド。
後ろには、イシナギ。
さっきまで岩だと思っていた巨大な身体が、ゆっくりと海底から浮き上がっていく。
でかい。
近すぎて、どこまでが身体なのか分からない。
黒っぽい巨体が持ち上がるたび、海底の砂が舞った。
イトヨリが小声で言った。
「チカメさん」
「なんだ」
「これ、もしかして」
「うん」
「岩じゃないっすね」
「見りゃわかるよ!!!」
今さら確認するな。
イシナギの目が、こちらを向いた。
四匹とも動かなかった。
いや。
動けなかった。
――岩陰へ入る時には、よく確かめなされ。
――その岩陰が、本当に岩陰なのかを。
川奈の古参の声が、頭の中でもう一度響く。
本当だった。
あの爺さんの話、本当だった。
「…………チカメ」
キンメが俺の横へ寄ってきた。
「動かない方がいい?」
「たぶん」
「逃げた方がよくないっすか?」
「それもたぶん」
「どっちなんだ!」
「俺も初めてイシナギに会ったんだよ!!!」
その時だった。
イシナギの身体が、こちらへ向いた。
「逃げろ!!!」
四匹同時に飛び出した。
巨大な身体が動く。
さっきまで俺たちがいた場所を、イシナギの頭が通り過ぎた。
「うわあああああ!!!」
「でかいっす!!! 近いともっとでかいっす!!!」
「感想言ってないで泳げ!!!」
全力で逃げる。
逃げる。
逃げる。
そして。
目の前に、ハンマーヘッドがいた。
「…………」
「…………」
さっきのやつだった。
「戻ってきてくれたの?食べていい?」
「ダメだーーー!!」
反転する。
後ろにはイシナギ。
「こっちもダメっすーーーーー!!!」
「知ってるよ!!!」
完全に挟まれた。
ハンマーヘッドがこちらへ向かってくる。
俺たちは横へ逃げた。
すると。
そのままハンマーヘッドに向かってイシナギが突進する。
「え」
ハンマーヘッドが振り返った。
イシナギは止まらない。
ゴッ。
鈍い音が海の中に響いた。
巨体と巨体がぶつかる。
ハンマーヘッドの身体が横へ弾かれた。
「…………」
イトヨリが目を丸くした。
「体当たりしたっす」
「したな」
「ハンマーヘッドに」
「したな」
イシナギが反転した。
「また行くっすよ!?」
「なんでイシナギあんなに荒ぶってんだよ!!!」
周囲を回っていたハンマーヘッドが次々に向きを変える。
一匹。
二匹。
五匹。
十匹。
その向こうにもいる。
さらにその向こうにも。
神子元の青い海を回っていたハンマーヘッドの群れが、一斉に動き始めた。
「…………こんなにいたっすか」
「いたんだよ」
「何匹くらいっすか?」
「数えたくねえよ!!!」
百匹を超えるハンマーヘッドが、巨大な輪のように海中を回る。
その中に。
一匹だけ、明らかに形の違う巨大な魚がいる。
イシナギだった。
数で囲まれても、逃げない。
一匹が近づく。
イシナギが向きを変える。
ドン。
群れが割れた。
別の方向から数匹が近づく。
イシナギが反転する。
また群れが割れる。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
何なんだ、あいつ。
百匹以上いるんだぞ。
普通ちょっとは怯むだろ。
「チカメさん」
「なんだ」
「戦車みたいっす」
「俺もちょっと思ってたよ!!!」
巨大なハンマーヘッドの群れが旋回する。
その真ん中を、イシナギが巨体で突っ切る。
また群れが割れる。
散ったハンマーヘッドが別の群れと合流する。
そして再び向きを変える。
神子元の海が、急に荒れ始めた。
「今のうちに逃げるぞ!」
俺たちは岩場へ向かった。
その瞬間。
目の前を何十匹ものハンマーヘッドが横切った。
「うわっ!」
水が押し寄せる。
身体が横へ持っていかれた。
「チカメさん!!!」
「大丈夫だ! 離れるな!!!」
ただでさえ速かった神子元の潮。
そこを百匹を超える巨大な魚が、次々に向きを変えて泳いでいる。
さらに、その真ん中でイシナギが暴れている。
また群れが動いた。
海が動いた。まるで洗濯機だ。
「うわあああああ!!!」
今度は後ろから水が押し寄せた。
どっちが上で、どっちに流れているのか、一瞬分からなくなる。
「岩陰! 岩陰に入れ!!!」
「それさっき失敗したやつっす!!!」
「今度はちゃんと岩を選べ!!!」
「見分け方教えてほしいっすーーーーー!!!」
無理だ。
近づけない。
イシナギがまた突っ込んだ。
ハンマーヘッドの群れが、一斉にこちらへ向きを変えた。
「来るぞ!!!」
「何が!?」
「全部!!!」
「全部!?」
次の瞬間。
海がひっくり返った。
「うわああああああ!!!」
イトヨリが横へ飛んでいく。
「イトヨリ!!!」
「あーーーーれーーーーー!!!」
「イトヨリーーー!!!」
反対側ではキントキダイが回っていた。
「待て! 私は――」
「あーーーーれーーーーー!!!」
「お前もそれ言うの!?」
「チカメ!」
キンメの声がした。
振り返る。
俺のすぐ横を、キンメが流れていった。
「キンメ!!!」
「…………あーーーーれーーーーー」
「お前まで!?」
追おうとした。
尾びれを動かす。
進まない。
その向こうで、またイシナギが突っ込んだ。
ハンマーヘッドの巨大な群れが割れた。
潮の流れが押し寄せる。
「待っ――」
今度は俺だった。
身体が勝手に流れていく。
岩場が遠ざかる。
ハンマーヘッドも。
イシナギも。
みんなも。
「ちょっ――」
速い。
止まれない。
「誰かーーーーー!!!」
さらに流される。
もう誰も見えない。
「あーーーーれーーーーー!!!!」
神子元の海に。
四匹の声だけが、別々の方向へ消えていった。




