第142話 ガジガジは甘噛みです
ハンマーヘッドの群れが、神子元の周りを泳いでいる。
右にもいる。
左にもいる。
下にもいる。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
誰も進まない。
「チカメさん」
「なんだ」
「神子元、着いたっすね」
「着いたな」
「目的地っすね」
「そうだな」
「…………」
「…………」
「帰るっすか?」
「帰らないよ!!!」
ここまで来て何を言ってるんだ。
「でもペリーさん、ガジガジされたって言ってたっすよ!」
「言ってたな」
「クジラをガジガジする魚っすよ!?」
確かに。
ペリーはでかかった。
ものすごくでかかった。
あれをガジガジできる連中が、目の前を何匹も泳いでいる。
「…………チカメ」
キンメが俺の後ろに来た。
「なんで俺の後ろにいるの?」
「…………たまたま」
「絶対違うよね?」
キントキダイを見る。
「お前は?」
「私は別に恐れてはいない」
俺の後ろに来た。
「じゃあ前行けよ」
「ここが泳ぎやすい」
「俺を盾にするな!!!」
イトヨリも来た。
「お前まで!?」
「チカメさん、頼りにしてるっす!」
「こういう時だけ先輩扱いすんな!!!」
三匹を後ろにつけたまま、俺はハンマーヘッドを見る。
どうする。
小サバを探しに来た。
ホンガツオも付近を探しに行ってくれている。
神子元まで来て、サメが怖いから帰りましたでは、川奈の古参達に合わせる顔がない。
魚だけど。
「行くぞ」
「チカメさんからどうぞ!」
「お前らも来るんだよ!!!」
少しずつ近づく。
ハンマーヘッドはまだこちらに気づいていない。
一匹。
二匹。
三匹。
大きな身体が、青い海を横切っていく。
頭が横に広い。
実際に魚になって水中で見ると、異様な形だった。
「…………チカメさん」
イトヨリが小声で言った。
「なんだ」
「あのハンマーヘッド、前見えてるんすか?」
「見えてるよ」
「目、端っこっすよ?」
「見えてるんだよ」
「真ん中見えなくないっすか?」
「知らねえよ!!!」
一匹のハンマーヘッドが止まった。
「…………」
こっちを向いた。
たぶん。
頭が横に長すぎて、どこを見ているのか分かりにくい。
「チカメさん」
「動くな」
「見られてるっす?」
「たぶん」
「どっちの目で?」
「知らねえって!!!」
ハンマーヘッドが近づいてきた。
でかい。
思っていたより、ずっとでかい。
その後ろから、もう一匹。
さらにもう一匹。
「増えてるっす」
「見れば分かる」
「人気者っすね」
「嬉しくねえよ」
先頭の一匹が俺たちの前で止まった。
「見ない顔だな、何処から来た?」
喋った。
「…………」
普通に喋った。
なんだ。
話が通じるなら何とかなるかもしれない。
「川奈から来た」
「カワナ?」
「伊東の方」
「知らない」
「まあ、そうだよな」
俺だって人間だった頃、神子元のハンマーヘッド一匹一匹の出身地なんて知らない。
「何しに来た?」
「小サバを探してるんだ」
「サバ?」
「この辺に群れが来てない?」
ハンマーヘッドが少し考える。
「いる」
「本当か!?」
いた。
遠征終了。
帰れる。
温泉入りたい。
魚だけど。
「どこにいる!?」
「知らない」
「知らないの!?」
「いるのは見る」
「場所は!?」
「動くから」
「そりゃそうだよ!!!」
群れなんだから当たり前だった。
でも、小サバが神子元周辺にいることは分かった。
それだけでも大きい。
「チカメさん」
イトヨリが俺の後ろから顔を出す。
「この人たち、普通に話せるっすね」
「そうだな」
「怖くないっすね!」
「聞こえてるぞ」
「すいませんっす!」
ハンマーヘッドがイトヨリを見る。
イトヨリが俺の後ろへ戻った。
「ところで」
俺は聞いてみることにした。
「お前ら、クジラ知ってる?」
「クジラ?」
「この前、この辺に来なかった?やたら明るくて、喋り方がちょっと変なやつ」
ハンマーヘッドたちが顔を見合わせた。
一匹が言った。
「ああ」
知ってる。
「でかいやつ」
「そう。それ」
「いた」
「やっぱり」
ペリーだ。
「そいつがさ、お前らにガジガジされたって言ってたんだけど」
「ガジガジ?」
「噛んだだろ?」
「噛んだ」
あっさり認めた。
イトヨリがまた俺の後ろへ隠れる。
「なんで噛んだんだよ」
「遊んでた」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「遊んでた?」
「うん」
「クジラを?」
「うん」
「噛んで?」
「うん」
「それ遊びなの!?」
ハンマーヘッドが不思議そうに俺を見る。
「甘噛みだ」
「お前ら基準だろそれ!!!」
ペリーだから耐えられたんだ。
俺たちが同じ強さで甘噛みされたら終わる。
「仲間もいた」
別のハンマーヘッドが寄ってくる。
「みんなで遊んだ」
「集団でガジガジしたの!?」
「楽しかった」
「ペリー全然楽しそうに話してなかったよ!!!」
謎が解けた。
ペリーを襲った凶暴なハンマーヘッドの群れ。
ではなかった。
ただ遊び方が荒いだけだった。
「なんだ」
イトヨリが俺の横へ出てきた。
「いい人たちじゃないっすか」
「人じゃないけどな」
キントキダイも前へ出る。
「少々警戒しすぎたようだな」
「お前さっき俺を盾にしてただろ」
「泳ぎやすい位置にいただけだ」
キンメも戻ってきた。
「…………よかった」
「まあな」
話も通じる。
小サバの情報もくれた。
ペリーの件も遊んでいただけ。
見た目で判断するのはよくない。
俺たちは魚だ。
人間だった頃の「サメは怖い」という感覚を、そのまま持ち込むべきじゃないのかもしれない。
「悪かったな。怖がって」
「別に」
ハンマーヘッドが答える。
「じゃあ俺たち、小サバ探してくるよ」
「ああ」
「ありがとな」
俺たちはハンマーヘッドの横を通り過ぎようとした。
「待って」
「ん?」
呼び止められた。
振り返る。
ハンマーヘッドたちが、こっちを見ている。
「何?」
「お前たち」
「うん」
少し間があった。
「食べていい?」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
イトヨリが俺を見る。
「チカメさん」
「なんだ」
「いい人たちじゃなかったっす」
「そうみたいだな」
「逃げるっすか?」
「そうだな」
ハンマーヘッドが口を開いた。
「逃げろおおおおおおおお!!!!」
四匹同時に泳ぎ出した。
後ろからハンマーヘッドが動く。
一匹じゃない。
全部来た。
「なんでっすかあああああ!!!」
「魚だからだよ!!!」
「さっきまで普通に喋ってたっすよ!!!」
「会話と食物連鎖は別なんだよ!!!」
「どっかで聞いたことあるっすーーーーー!!!」
必死に泳ぐ。
速い。
当然だ。
相手はサメだ。
「チカメ!」
キントキダイが叫ぶ。
「何!?」
「追いつかれるぞ!」
「分かってるよ!!!」
「何とかしろ!」
「俺も魚だよ!!!」
キンメが俺の横を泳いでいる。
「…………チカメ」
「今度は何!?」
「…………来てる」
「後ろ見るな!!!」
「…………いっぱい」
「実況しなくていい!!!」
ハンマーヘッドの影が近づいてくる。
速い。
さっきまであれほど頼もしかった潮が、今は全然助けてくれない。潮が逃げてる方向と逆に流れている。
イトヨリが叫んだ。
「風紀委員長呼ぶっす!!!」
「もういねえよ!!!」
さらに影が近づく。
まずい。
本当に追いつかれる。
「チカメさん!!」
「何!?」
「岩!」
イトヨリの先に、巨大な岩が見えた。
海底から盛り上がった、黒っぽい岩。
その後ろ側には、大きな影ができている。
「あの影に隠れろ!!!」
四匹で一気に岩の裏へ回り込む。
「早く!」
「来てるっす!」
「岩に張りつけ!」
俺たちは巨大な岩を背にして身を寄せた。
ハンマーヘッドの群れが迫ってくる。
「来るっす!!!」
「動くな!」
先頭のハンマーヘッドが近づいた。
俺たちを見つけた。
そのまま来る。
そう思った瞬間。
「…………?」
向きを変えた。
一匹。
二匹。
三匹。
さっきまで俺たちを追い回していたハンマーヘッドが、一斉に散っていく。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
イトヨリが恐る恐る顔を出した。
「行ったっす」
「…………行ったな」
「助かったっすーーーーー!」
「静かにしろ」
「岩、最強っすね!」
イトヨリが背後の岩に身体を預ける。
「ここなら安心っす」
「しばらく隠れて――」
岩が動いた。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
イトヨリが俺を見る。
「チカメさん」
「なんだ」
「岩、動いたっす」
「岩は動かないよ」
「じゃあこれ何っすか」
「…………」
振り返る。
黒っぽい岩肌だと思っていたもの。
その一部が、ゆっくり開いた。
目だった。
「…………」
その瞬間。
昔、川奈で聞いた言葉が頭をよぎった。
――岩陰へ入る時には、よく確かめなされ。
――その岩陰が、本当に岩陰なのかを。
「…………マジかよ」
岩だと思っていた巨大な身体が、ゆっくり海底から離れた。
砂が舞う。
その全貌が見える。
魚だ。
とんでもなくでかい魚。
古参が言っていた。
岩だと思って近づいた者は、帰ってこない。
「イシナギ……」
イトヨリが固まる。
「これがっすか?」
「ああ」
前を見る。
少し離れた場所では、ハンマーヘッドたちがこちらを見ている。
ようやく分かった。
あいつらは俺たちを見失ったんじゃない。
こいつに気づいて逃げたんだ。
「チカメさん」
「なんだ」
「ここにいるのと、あっち戻るの、どっちがいいっすか?」
「…………」
イシナギを見る。
ハンマーヘッドを見る。
「どっちに食われたい?」
「選択肢がおかしいっすよ!!!」




