殉教にもランキングがあります
「お前も信者じゃねえかああああああ!!!」
俺の声が海中に響いた。
目の前には、海上奉仕反対派を名乗る老魚。ただし、反対理由は――
「もっと大きくなってから行きたい」
だった。
「反対派じゃねえよ!」
「反対しています」
「時期にだろ!!」
「今年は反対です」
「来年行く気満々じゃねえか!」
老魚は、海上レクサスに飾られた魚拓を見上げた。
チヌ様。数日前まで、チヌ爺だったクロダイ。
「せっかく残るのなら、立派な姿で残りたい」
「残らなくていいんだよ!」
「あなたには分からないでしょう」
「何が?」
「名誉です」
「魚拓だぞ!?」
「名誉ある魚拓です」
「形容詞つけんな!!」
*
最悪なことに、この考えはすぐに広まった。
「チヌ様より大きければ、もっと立派なんじゃない?」
「教祖様も喜ぶ」
「ずっと海上に残る」
「大きい方が偉いの?」
「たぶん」
「誰が決めた!?」
俺は叫んだ。
誰も答えなかった。
誰も決めていない。なのに、決まり始めていた。
人間社会でも、たまにあるやつだ。
*
数日後。
海底の一角に、魚が集まっていた。
「何してんの?」
俺が聞くと、小魚が答えた。
「測ってます」
「何を?」
「海上奉仕の候補です」
「何!?」
見ると、大きな魚が何匹か並んでいる。横には海藻が一本、海底に沿ってまっすぐ伸ばされていた。
「これを基準にして」
小魚が言う。
「チヌ様より大きいかどうか」
「魚拓から海藻に基準移すな!!」
「正確には分からないので」
「じゃあランキング作るなよ!」
「一位はこちらです」
「もう作ってる!!」
昨日の老魚が前へ出た。
「私は?」
「現在三位です」
「三位……」
明らかに落ち込んだ。
「残念がるな!!」
「せめて二位には」
「上を目指すな!!」
「もう少し食べれば、大きくなれるでしょうか」
「生贄になるために育つな!!」
その横では、別の老魚が猛烈な勢いでオキアミを食べていた。
ぱく。ぱく。ぱく。
「お前は何してんの!?」
「増量です」
「ボクサーと逆のことすんな!!」
「チヌ様を超えたいので」
「魚拓を世界記録みたいに扱うな!!」
*
俺は頭がおかしくなりそうだった。
最初は、チヌ爺が自分から犠牲になっただけだった。それが魚拓になり、魚拓がチヌ様になり、チヌ様が名誉になった。
そして、その名誉に大きさがついた。
今では魚たちが、より立派に釣られるために身体を大きくし始めている。
「宗教の進化が速すぎる!!」
キンメダイが言った。
「進化なんですか?」
「悪化だよ!」
しかも、問題があった。
大きくなるには食べなければならない。食べるには福音が必要。福音を得るには教祖が来なければならない。
教祖に来てもらうには、魚が釣れなければならない。
魚が釣れれば教祖がまた来る。教祖が来れば福音が増える。福音を食べれば魚が大きくなる。
そして大きくなった魚は――海上奉仕の候補になる。
「…………」
俺は気づいた。
「循環してる」
キントキダイが聞いた。
「何がです?」
「この狂った制度が、自分で回り始めてる」
福音を食べる。大きくなる。大きくなった魚を差し出す。教祖が喜ぶ。また来る。福音が増える。さらに大きくなる。
「養殖じゃねえか!!」
しかも、養殖している人間はその事実を知らない。
*
その日の午後、教祖が来た。
「来た!」
魚たちが集まる。
海上レクサス。魚拓。白装束。
そして――ざばっ。
大量の福音。
「うおおおおお!!」
老魚たちが猛烈な勢いで食べ始めた。
「若いのに譲れよ!!」
「大きくならなければ」
「何のために!?」
「皆のためです」
「ランキングのためだろ!!」
「結果として皆のためになります」
「便利な言葉覚えやがって!!」
小魚たちは、そんな老魚を応援していた。
「頑張って!」
「いっぱい食べて!」
「三位から二位になれるよ!」
「育成ゲームにするな!!」
「チヌ様を超えて!」
「故人の記録を抜こうとすんな!!」
俺が止めようとすると、一匹の小魚が前に出た。
「邪魔しないで」
「…………」
「みんなのためなんだよ」
「違う」
「なんで?」
「こんなの、おかしいだろ」
「でも」
小魚は言った。
「チカメさんは、何もくれないよね」
「…………」
俺は黙った。
「教祖様は福音をくれる」
「針も入ってる」
「チヌ様は、みんなのために海上へ行った」
「釣られたんだよ」
「チカメさんは?」
「…………」
「何をしてくれるの?」
言葉が出なかった。
俺は釣られないようにしている。危険を教えている。海上奉仕を止めようとしている。
でも、それは目に見えない。
福音は目に見える。腹も膨れる。チヌ様も魚拓として目に見える。
「…………」
俺は思った。
これ、勝てねえな。
*
「そもそも」
別の魚が言った。
「チカメさんも福音を食べてますよね」
「…………」
来た。
「反対なのに」
「…………」
「食べる」
「オキアミだから」
「教祖様が撒いた」
「海に入った時点で海のものだ!」
カワハギがこちらを見た。
「それ、私の理論です」
「著作権主張すんな!!」
カワハギは、教祖の付け餌だけ綺麗に盗んで去っていった。
自由すぎる。
*
そして、その日。
ランキング一位の老魚が、仕掛けの前へ進んだ。魚たちが道を空ける。
「おい」
俺は前へ出た。
「何する気だ」
「海上奉仕です」
「やめろ」
「私が決めました」
「決めるな」
「皆のためです」
「違う」
「では」
老魚は俺を見る。
「あなたが代わりますか?」
「…………」
周囲が静かになった。
「何?」
「あなたも大きい」
「…………」
魚たちの視線が、俺の身体に集まる。
嫌な視線だった。
大きさを見られている。
「待て」
小魚が言った。
「チカメさん、結構大きいよね」
「そうだね」
「ランキング入る?」
「入れんな!!」
「教祖様も、チカメさんなら喜ぶんじゃない?」
「…………」
一匹の魚が言った。
「前にも釣られてたよね」
「…………」
別の魚。
「何回も」
「…………」
「教祖様、知ってる魚なんでしょ?」
「…………」
「だったら、魚拓にしてくれるかも」
「待て」
空気が、少し変わった。
「チカメさんが行けば?」
「そうだね」
「福音に反対なんでしょ?」
「だったら――」
「待てって」
俺は周囲を見る。
さっきまで老魚を送り出そうとしていた魚たちが、今は俺を見ている。
「俺は行かない」
「なぜ?」
「釣られたくないからだよ!」
「チヌ様は行ったよ」
「それがおかしいって言ってんだ!」
「でもチカメさんは、ずっと反対してるだけ」
「…………」
「福音は食べるのに」
またそれだ。
俺は一歩下がった。
誰も追ってこない。誰も押さない。誰も何もしない。
ただ、見ている。
それだけだった。
なのに。
針より、怖かった。
*
その日は結局、ランキング一位の老魚が針を食べる前に、フグが来た。
ぷつん。
糸が切れた。
全員がフグを見る。
「…………」
フグは何も言わず、泳ぎ去った。
「お前だけ毎回、制度を物理で解決するよな」
少しだけ空気が戻った。
俺も笑った。
海上では、教祖が叫んでいる。
「また切られましたぞーーー!!」
知らん。
*
夜。
キンメダイとキントキダイが、俺のところへ来た。
「なあ」
俺は聞いた。
「俺、間違ってる?」
二匹は黙った。
「…………」
「そこは即答しろよ!」
キントキダイが言った。
「難しいので」
「急に真面目になるなよ!」
キンメダイが聞いた。
「チカメさんは、どうしたいんですか?」
「どうしたい?」
俺は考えた。
教祖を追い払う。それが最初だった。
でも、教祖を追い払えば福音がなくなる。福音を残せば針も来る。海上奉仕を止めれば魚たちに嫌われる。放っておけば誰かが釣られる。
「…………」
分からない。
俺はただ、魚になっただけだった。
静かに泳いで、飯を食って、税金も払わず、確定申告もなく、たまに美味そうなオキアミを食べる。
**魚になった以上、それくらいで済むと思っていた。**
「なんで俺、魚になってまで政治みたいなことしてんだろ」
キントキダイが聞いた。
「政治って何です?」
「知らなくていい」
「魚にもあります?」
「絶対作るな」
俺は即答した。
「頼むから、それだけは作るな」
*
遠くで、魚たちの声が聞こえた。
「次の海上奉仕、どうする?」
「候補を決めないと」
「一位の魚は?」
「今日はできなかった」
「じゃあ次」
「大きい魚」
「教祖様が喜ぶ魚」
「…………」
そして、誰かが言った。
「チカメキントキは?」
俺は動かなかった。
「大きいよね」
「教祖様も知ってる」
「何回も釣られてる」
「福音にも反対してる」
「だったら――」
俺は聞くのをやめた。
「……もっと深いところへ行こう」
キンメダイが俺を見る。
「深いところですか?」
「ああ」
「どのくらい?」
「福音が来ないところまで」
俺たち三匹は、ゆっくりと沖へ向かった。
海底が少しずつ落ちていく。光が弱くなり、海の色が暗くなる。
海面から離れる。
海上レクサスから離れる。
福音から離れる。
チヌ様から離れる。
魚たちの声も、やがて聞こえなくなった。
*
しばらくして、キントキダイが言った。
「ずいぶん深くまで来ましたね」
「このくらいでいい」
キンメダイは何も言わず泳いでいる。
暗い。静かだ。
でも、不思議と嫌ではなかった。
考えてみれば、俺たち三匹とも浅いところだけで生きる魚ではない。むしろ、こういう暗い場所の方が俺たちらしいのかもしれない。
「…………」
俺は上を見た。
もう海上レクサスは見えない。魚拓も見えない。福音も降ってこない。
「静かだな」
キンメダイが言った。
「はい」
キントキダイも頷く。
腹は減る。自分で餌を探さなければならない。楽ではない。
でも、誰かを差し出して飯をもらうよりはいい。
「最初から、ここにいればよかったな」
誰も答えなかった。
*
遠くで魚影が動いた。
俺は反射的に止まった。
「…………」
身体が固まる。
目で追う。
魚影は、ただ横切っただけだった。
針はない。糸もない。ただの魚だ。
「どうしました?」
キンメダイが聞いた。
「いや」
俺は泳ぎ出した。
「何でもない」
少し前まで、海で怖いものといえば針だった。仕掛けだった。教祖だった。
でも、あの日から。
俺は針を見る前に、周りの魚を見るようになった。
――第十三話 完――




