第128話 【神子元編】深海の珍味
熱川を出た。
次は稲取。
その先は下田。
さらに南へ行けば、目的地の神子元だ。
そして。
俺のすぐ横を。
キンメが泳いでいる。
「…………」
近い。
ものすごく近い。
普段なら少し離れたところを、勝手についてくる。
今日は違う。
俺が右へ寄る。
すっ。
キンメも右へ寄る。
左へ寄る。
すっ。
キンメも左へ寄る。
「…………キンメ」
「なに」
「近くない?」
「…………僕は、いつもこのくらい」
「嘘つけ。近いよ」
キンメが少し離れた。
「…………」
三秒。
すっ。
戻ってきた。
「戻ってきたじゃん」
「…………たまたま」
「絶対違うだろ」
熱川を出てから、ずっとこれだ。
しかも。
俺の反対側には。
でかいワニがいる。
「ウヒッ!」
「なんで俺、キンメとワニに挟まれて泳いでんの?」
二代目だ。
餌の取り方を教えた礼に、稲取まで俺たちを守ってくれるらしい。
正確には。
キンメを。
「なあ」
「ん?」
「本当にサメいるの?」
「いるぞ」
「いっぱい?」
「うようよ」
「うようよって言うなよ!!」
すっ。
キンメがさらに俺へ寄った。
「ほら!!!」
二代目が笑う。
「心配すんなって! サメが来たら、あたしが食う!」
「…………僕、別にサメは怖くない」
「じゃあなんで近づいてくるんだよ!!」
もう俺に触れそうな距離まで来ている。
「まあ、狩った奴は持って帰るけどな!」
「お前だんだん護衛がついでになってない!?」
「ウヒッ!」
しばらく泳いだ。
熱川の海が少しずつ遠ざかっていく。
イトヨリは前へ行ったり戻ってきたり。
二代目は食えそうなものを探している。
キントキダイは。
「後方異常なし」
「まだやってたの!?」
そしてキンメは。
「…………」
まだ俺の横にいる。
「まだ稲取じゃないぞ」
「…………知ってる」
ぴた。
俺の後ろに隠れた。
「お前それでよく『知ってる』って言えたな!!」
その時だった。
キンメが下を見た。
「…………」
「どうした?」
返事がない。
俺も下を見る。
暗い。
深い。
その底から。
何かが。
ゆっくり。
上がってくる。
「…………何?」
細長い影。
だんだん近づいてくる。
長い身体。
大きく裂けた口。
その奥に。
異様な歯が並んでいる。
「…………」
目が合った。
「ぎゃあああああああああ!!!」
「化け物おおおおおおお!!!」
俺とキントキダイが同時に逃げた。
「何だあれ!!」
「妖怪だ!!」
「深海の妖怪が上がってきた!!!」
キントキダイが俺の後ろに隠れた。
「後方警戒は!?」
「今は前が危険だ!!」
「都合よく担当変えんな!!!」
「…………ラブカ」
キンメだけが動いていなかった。
「知ってんの!?」
「…………うん。ラブカ」
「名前が分かったところで怖えよ!!!」
キンメはラブカを見上げた。
「…………でも、こんな浅いところまで上がってくるのは珍しい」
「お前こういう時だけ冷静だな!!」
「えっ!?」
イトヨリが飛び出した。
「ラブカっすか!?」
「…………うん」
「うわあああああ!!!」
今度はラブカへ突っ込んでいく。
「図鑑でしか見れないのがいるー!!!」
「お前は近づくの!?」
「すごいっす!! 本物っす!!」
イトヨリがラブカの周りを泳いでいる。
「チカメさん! ラブカっすよ! ラブカ!!」
「見れば分かるよ! もう名前教えてもらったよ!!」
「こんなの滅多に見れないっすよ!」
「だからって近づきすぎんなよ!!」
改めて見る。
怖い。
怖いけど。
確かにすごい。
深海にいる魚が。
今、目の前を泳いでいる。
「…………」
二代目もラブカを見ていた。
「…………」
じゅる。
「お前いま何考えた?」
返事がない。
視線だけが。
ラブカの尻尾を追っている。
「…………先っぽだけ」
「何が?」
二代目が、ゆっくりラブカの後ろへ回る。
「先っぽだけだから……」
「おい」
「はぁ……はぁ……」
「なんで息荒いんだよ!!!」
じり。
じり。
ラブカの尻尾へ近づいていく。
「ちょっとだけ……」
「やめろよ」
「味見してもいいだろ」
「よくねえよ!!!」
「ウヒッ!」
ばっ!!!
「行ったあああああ!!!」
ばぐっ!!!
「…………」
ラブカの身体が跳ねた。
ものすごい勢いで反転する。
そして。
深海へ。
一気に消えていった。
「ラブカああああああ!!!」
イトヨリが叫んだ。
二代目が戻ってくる。
もぐ。
もぐ。
「…………」
「お前、何食った?」
もぐ。
「先っぽ」
「食ったの!?」
二代目が目を閉じる。
ゆっくり噛みしめる。
「うほっ……」
「うほっ!?」
目が開いた。
「珍味だな!」
「図鑑でしか見れない魚を食うなあああああ!!!」
「先っぽだけだぞ?」
「そういう問題じゃないっす!!!」
二代目が深海を覗き込む。
「みんなも食う?」
「もう逃げたよ!!!」
「追えばまだ――」
「追うな!!!」
深海から上がってきた珍しい魚が。
尻尾の先を食われて帰っていった。
なんだったんだ。
「…………」
キンメが深海を見ている。
「どうした?」
「…………かわいそう」
「お前だけまともだよ」
二代目が振り返る。
「うまかったぞ?」
「お前には聞いてない!!!」
俺たちは再び南へ向かった。
しばらく泳ぐ。
さっきまでラブカで騒いでいた海も、また静かになった。
二代目が先頭。
その後ろをイトヨリ。
キントキダイは、また後方警戒。
そして。
キンメは俺の横。
「…………」
ラブカを見ていた時だけ。
少し離れていたのに。
また近い。
前を泳いでいた二代目が、速度を落とした。
「そろそろだぞ」
「何が?」
二代目が南を見る。
「稲取」
「…………」
キンメが止まった。
「キンメ?」
返事がない。
二代目が振り返る。
「大丈夫だって。サメならあたしが――」
「…………そうじゃない」
小さな声だった。
二代目が首を傾げる。
「ん?」
俺には分かった。
キンメが怖いのは。
サメだけじゃない。
前を見る。
この先が。
稲取。
キンメが昔、暮らしていた海だ。
「…………行けそう?」
しばらく返事はなかった。
やがて。
キンメが俺のすぐ横まで来た。
「…………僕も行く」
「そっか」
近い。
やっぱり近い。
でも。
今度は何も言わなかった。
俺たちは。
稲取へ向かった。
■ ラブカ
深海に生息するサメの仲間ですな。
細長い体と独特なエラを持ち、「生きた化石」と呼ばれることもありますぞ。
伊豆・駿河湾周辺でも知られる深海魚ですな。
■ 稲取キンメ
東伊豆町の稲取港などで水揚げされるキンメダイのブランドですな。
一本釣りで漁獲されることで知られておりますぞ。
伊豆へ来たなら、一度は食べていただきたいですな。
■ アオザメ
外洋を泳ぐ大型のサメですな。
非常に速く泳ぐことで知られておりますぞ。
英名はショートフィン・マコ。見た目からして速そうですな。




