第124話 【神子元編】出たい魚は出てください
定置網の入口を前にして、俺は止まった。
中にはアジの家族。
その周りにも、たくさんの魚。
そして砂の中には、あのエイがいる。
「…………」
「…………」
イトヨリが俺の後ろから顔を出した。
「入るんすか?」
「ちょっと待って」
入ってくる魚には何もしない。
出ようとした魚を襲う。
ということは。
「俺たちまで中に入ったら、今度は俺たちも出る時に襲われるよな?」
「そうっすね」
危なかった。
助けに行って犠牲が四匹増えるところだった。
「まず、あいつを入口から離せばいいんだよな」
「どうするんすか?」
「なんか投げて、あっち向かせるとか」
俺は辺りを見回した。
砂地に、小さな石が落ちている。
「これとか」
「なるほどっす!」
イトヨリが石を拾った。
「じゃあ、あーしがやるっす!」
「頼む」
イトヨリがエイから離れた場所へ石を投げる。
「えい!」
石が転がった。
「…………」
「…………」
エイは動かない。
「ダメっすね」
「まあ石だしな」
キントキダイがサンゴの欠片を拾った。
「もう少し大きい方がいいんじゃない?」
「そうだな」
キントキダイが投げる。
「えい!」
サンゴの欠片が落ちた。
「…………」
「…………」
エイは動かない。
キンメダイが貝殻を拾った。
「…………えい」
貝殻が落ちた。
「お前も言うの!?」
エイは動かない。
「なんで全員エイに物投げる時『えい』って言うの!?」
「…………普通じゃない?」
「今までそんな掛け声使ってなかっただろ!!!」
イトヨリがまた何か拾った。
「もう一回いくっす!」
「待て待て、今度は何?」
「ウニっす!」
「やめろ!! 別の話が始まる!!!」
イトヨリがウニを戻した。
「じゃあチカメさん、お願いします」
「なんで俺?」
「もっと近くに投げれば反応するかもしれないっす」
「…………分かったよ」
俺は少し大きめの石を拾った。
エイを見る。
狙いをつける。
腕を振る。
「えい!」
「…………」
全員が俺を見た。
「…………」
「…………」
イトヨリが言った。
「言ったーーーー!!!」
「うるせえ!! うつったんだよ!!!」
石はエイの近くに落ちた。
「…………」
動かない。
「ダメか」
「完全無視っすね」
中にいるアジの家族が、不安そうにこちらを見ている。
「仕方ない」
「入るんすか?」
「入る」
外からどうにかできないなら、中で出る方法を探すしかない。
俺たちは定置網の中へ向かった。
「来るっす! 来るっすよ!!」
イトヨリが俺の後ろに隠れる。
「…………」
「…………」
何も起きない。
「…………来ないっすね」
「やっぱりな」
俺たちは今、入ってきた魚だ。
砂の中のエイは動かない。
目だけがこっちを向いている。
「気持ち悪いっすね」
「言うなよ」
アジの家族が近づいてきた。
「お母さん!」
「よかった……!」
んっ……。
「えっ!? あんた一緒についてきちゃったの!? 出れるか分からないよ!!!」
「いてもたってもいられず……」
「愛っすね」
「…………」
七匹と一匹。
ちゃんといる。
「よし。作戦は単純だ」
俺はエイを見る。
「俺があいつを引きつける。その間に八匹を入口から出す」
「チカメさんが?」
「俺が」
「…………」
「なんだよ」
「頑張ってくださいっす!」
「お前も手伝えよ!!!」
キントキダイを見る。
もう俺の後ろにいた。
「お前は?」
「後方警戒」
「エイは前にいるんだよ!!!」
キンメダイを見る。
「キンメ、アジを頼める?」
「…………うん」
「ありがとう。頼れるのはお前だけだよ」
イトヨリが抗議する。
「あーしも手伝うっす!」
「何すんの?」
「応援!」
「いらねえよ!!!」
作戦は単純だ。
俺がエイに近づく。
注意を引く。
その間にキンメたちがアジの家族を入口まで連れていく。
問題は。
「…………どうやって注意引くんだ?」
砂の中のエイを見る。
「チカメさん、目の前泳いでみたらどうっすか?」
「食われたらどうすんだよ」
「注意は引けるっす」
「命と引き換えに成功してんじゃねえか!!!」
でも、他に方法がない。
俺はゆっくりエイへ近づいた。
反応なし。
さらに近づく。
反応なし。
「おーい」
反応なし。
「エイ」
反応なし。
「食べ放題」
反応なし。
「プロ」
反応なし。
なんだこいつ。
俺はエイの前を横切った。
動かない。
「…………」
少し戻る。
動かない。
イトヨリが遠くから叫んだ。
「チカメさーん!」
「何ー!」
「まだ入店扱いなんじゃないっすかー!」
「入店って言うな!!!」
なるほど。
こいつの中では、俺はまだ定置網へ入ってきた魚なんだ。
だったら。
俺は向きを変えた。
入口へ泳ぐ。
一メートル。
二メートル。
砂が動いた。
「来たっす!!!」
速い。
エイが一気に砂から飛び出した。
「うおおおお!!!」
俺は慌てて向きを変える。
エイがすぐ後ろを通り過ぎた。
「こっわ!!!」
離れると追ってこない。
また入口の近くへ戻っていく。
「…………徹底してんな」
でも分かった。
出口へ向かえば来る。
なら。
「キンメ! 今!」
キンメダイがアジたちを連れて動いた。
「行くよ」
「はい!」
八匹のアジが入口へ向かう。
エイが反応した。
「こっちだ!!!」
俺も出口へ向かう。
エイが俺を見る。
一瞬止まった。
どっちへ行く。
俺か。
アジか。
エイが俺へ向きを変えた。
「なんで俺なんだよ!!!」
俺は全力で逃げた。
その間に。
一匹。
二匹。
三匹。
アジが外へ出ていく。
「急いで!」
四匹。
五匹。
六匹。
エイが迫る。
「チカメさん後ろ後ろ!!」
「分かってる!!!」
八匹目が入口を抜けた。
「出ました!!!」
「よし!!」
俺は急旋回した。
エイが目の前を通り過ぎる。
危ねえ。
でも。
「全員出た!」
「ありがとうございます!」
外からアジの声がする。
よし。
これで終わりだ。
俺達も出れば――
「あの」
「ん?」
横に一匹のイサキがいた。
「私たちも出ていいですか?」
「…………」
俺はイサキを見る。
イサキの後ろに、何匹かいる。
「いや、別に俺に許可取らなくても」
「でも、あいつが……」
「…………」
エイを見る。
入口へ戻っている。
「…………まあ、じゃあ今のやり方でもう一回」
「ありがとうございます!」
その声を聞いて。
別の魚が来た。
「あの、僕も」
「え?」
その後ろから。
「私もお願いします」
「俺も」
「こっちも!」
「子供がいるんです!」
「私も出たいです!」
「ちょっと待って」
魚が集まってくる。
「待て待て待て」
さらに集まってくる。
「…………」
俺の周りが魚だらけになった。
イトヨリが数えている。
「チカメさん」
「何」
「これ終わらないっす」
「見りゃ分かるよ!!!」
俺は周りを見る。
みんなこっちを見ている。
「…………」
そりゃそうだ。
人間に獲られるか。
こいつに食われるか。
そんな場所に残りたい奴はいない。
「…………分かった」
魚たちが俺を見る。
「出たい奴、まとめて出ろ」
「えっ」
「俺たちでエイ引きつけるから、その間に行け!」
魚たちがざわついた。
「ありがとうございます!」
魚たちが入口へ向かう。
エイが動いた。
「来た!」
俺は出口へ向かう。
エイが俺の方へ来る。
「キントキダイ!」
「後方異常なし」
「...後方じゃなくてお前は俺とは反対側に行けえええ!!!」
キントキダイも別方向から入口へ向かった。
「えい!」
「今それいらねえだろ!!!」
エイが一瞬そっちを見る。
「こっち来た!」
「嫌」
「嫌じゃねえ!!!」
キントキダイが俺の後ろへ戻ってきた。
エイも来た。
「結局俺じゃねえか!!!」
その横を魚たちが抜けていく。
サバ。
イサキ。
アジ。
次々と外へ出ていく。
「今っす! 今っすよー!」
イトヨリが誘導している。
「押さない! 順番に! 出口は逃げないっす!」
「お前こういう時だけ有能だな!」
「こういう時だけ余計っす!!」
魚がどんどん出ていく。
エイは完全に混乱していた。
一匹が出口へ向かう。
俺も向かう。
キントキダイも向かう。
別の魚も向かう。
「どれ食えばいいか分かんなくなってるっす!」
「今だ! もっと出ろ!!!」
魚たちが一斉に動いた。
定置網の中がぐちゃぐちゃになる。
エイが右へ行く。
左へ行く。
また右へ行く。
今までずっと。
出ようとする魚は一匹ずつだった。
だから成立していた。
全員が同時に出ようとしたら。
「こいつ、対応できてねえぞ!」
魚が次々と入口を抜ける。
「行け行け!!!」
「ありがとうございます!」
「助かりました!」
「早く行け!!」
「あなたのお名前は!?」
「今それ聞く!?」
「教えてください!」
「チカメだよ!!」
「チカメさん!」
「いいから行け!!!」
また一匹。
また一匹。
外へ。
気づけば。
中に残っている魚が、かなり減っていた。
「…………まずい」
「どうしたんすか?」
俺は入口を見る。
さっきまでは、どの魚を狙えばいいのか分からないほどいたけどもう今は数が少ない。
一匹が出口へ向かう。
エイが迷わずそいつを見る。
「こいつ……狙いを定められるようになってる」
「ヤバいっすね」
「このままじゃ残りが出られない! 全員止まれ! 待て!! 食われるぞ!!」
残りの魚たちが出るのをやめた。
エイがゆっくり入口へ戻る。
完全に待っている。
「別の方法考えないと……」
俺は周りを見る。
イトヨリ。
キンメ。
キントキダイ。
それから。
残っている魚たち。
「…………逆にさ」
「なんすか?」
「こいつを入口から追い出せばいいんじゃね?」
「どうやって?」
「みんなで追う」
「…………」
イトヨリがエイを見る。
「怒らないっすか?」
「もう怒ってるだろ」
残っていた魚たちも集まってきた。
「俺たちもやります!」
「私も!」
「みんなで行けば怖くない!」
「よし」
俺はエイを見る。
「全員で追い出すぞ!」
魚たちが並んだ。
エイがこっちを見る。
「行くぞ!」
俺たちは一斉に泳ぎ出した。
「えい!」
イトヨリが叫ぶ。
「えい!」
キントキダイも叫ぶ。
「…………えい」
キンメも言った。
「お前らそれ掛け声に定着させんな!!!」
「えい!」
「えーい!」
「えい!」
「えい!」
後ろの魚たちまで言い始めた。
「お前らまで!?」
「えい!」
「えい!」
「えーい!!」
「エイを追うからって『えい』で団結すんな!!!」
エイが後ろへ下がる。
「効いてるっす!」
「もっと行け!!」
「えい!」
「えい!」
「えーい!!」
魚の群れが押す。
エイが下がる。
「もうちょい!」
入口が近い。
「えい!」
「えい!」
「えい!」
しかしここでアクシデントが起きる。
外に出たはずの魚たちが、群れをなして戻ってきた。
そして入口の外側から、同じことを始めた。
「えい!えい!えーい!」
「挟みうちにしたいわけじゃねーーー!!!!」
エイが急に向きを変えた。
「うわっ!!」
長い尾が振られる。
魚たちが一斉に散る。
「毒棘あるから近づきすぎんな!!」
エイが行き場を失い暴れる。
「逃げるっす!」
「いやもういい両方から追え!!」
「えい!」
「えーい!」
「えい!」
「もう何の祭りだよ!!!」
エイは行き場を失い、入口付近を右へ左へと暴れ回る。
その時。
長い尾が大きく振られた。
網に触れる。
毒の棘が引っ掛かった。
エイの動きが止まる。
「…………」
「…………」
エイが暴れた。
網が揺れる。
抜けない。
「引っ掛かったっす!!」
「よし!もっと網を絡めるんだ!!」
「どっ、どうやるんすか!?」
「知らん! とにかく逃がすな!」
魚たちが集まる。
エイが暴れる。
「網を引っ張れ引っ張れ!!」
「えい!」
「えい!」
「えーい!」
「お前ら大きなカブみたいになってるぞ!!!」
「えい!」
「えーい!」
「えい!」
網が揺れる。
エイが暴れる。
少しずつ絡まりがひどくなる。
「いけるっす!」
「えい!」
「えい!」
「えーい!!」
尾だけじゃない。
暴れれば暴れるほど、今度は体まで網に絡んでいく。
「完全に絡んだ!!」
「えい!」
「えーい!!」
「もうやめろ! 完成したわ!!!」
その時。
遠くから音がした。
海面の方から。
エンジン音。
「…………」
エイが止まった。
「船……?」
残っていた魚が言った。
その瞬間。
エイが猛烈に暴れ始めた。
「うわっ!!」
「こいつ船の音分かってるっす!!」
「毎日これで逃げてたんだろ!」
でも。
今日は抜けない。
網に絡んで外れない。
エンジン音が近づいてくる。
「まずい! 残ってる奴、全部出ろ!!」
最後の魚たちが入口へ向かう。
もうエイは追えない。
一匹。
二匹。
三匹。
次々と外へ出ていく。
俺たちも入口へ向かった。
イトヨリが最後に抜ける。
「えい!」
「お前もう何に対して言ってんだよ!!!」
全員、外へ出た。
振り返る。
網が海上に向かって動き始める。
「…………」
エイが暴れている。
「チカメさん」
「何?」
「助けます?」
「…………」
俺はエイを見る。
こいつも魚だ。
俺たちは魚を助けに来た。
だったら。
「…………まあ」
少し近づく。
「こいつも――」
エイの尾が振られた。
ビュッ!
「危なっ!!!」
俺は全力で離れた。
「置いてこう」
「判断早いっすね」
「殺されるわ!!!」
網が少しずつ上がっていく。
魚はもういない。
いるのは。
網に引っ掛かったエイだけ。
「…………大丈夫っすかね」
「知らん」
「チカメさん!!」
声がした。
外へ逃げた魚たちが集まっていた。
アジの家族もいる。
「ありがとうございました!」
「助かりました!」
「チカメさん!」
「本当にありがとうございます!」
「いや、俺はアジの家族を――」
「チカメさん!」
「チカメさん!」
「チカメさん様!」
どんどん声が増える。
「…………」
イトヨリが俺の横へ来た。
「人気者っすね」
「こんな予定じゃなかったんだけど」
最初に俺たちを呼び止めたアジが前へ出た。
「本当に、ありがとうございました」
その後ろで。
助かった魚たちが俺たちを見ている。
俺は少しだけ困った。
ただ七匹のアジを助けるつもりだった。
それだけだったのに。
「チカメさん」
「ん?」
「この御恩は忘れません」
「…………そっか」
アジが笑った。
周りの魚たちも笑っている。
「ありがとう、チカメさん」
さっきまで定置網の中にいた魚たちが、自由に海を泳いでいる。
「…………」
まあ。
今日はこれでいいか。
「評価判定Aっす!!」




