第118話 【神子元編】目的地までのルートを検索します
川奈。
朝から、妙に静かだった。
福音が降っていないわけではない。今日も海面近くには小魚が集まり、その下では魚たちが忙しそうに泳いでいる。
いつもの川奈だ。
ただ、何かが足りない。
「チカメさん、最近ちっちゃいサバあんま見なくないっすか?」
イトヨリに言われて、俺もようやく気づいた。
「あー……そういえばいないな」
前までは、どこにでもいた。
福音が降れば集まってくるし、何もなくても群れでその辺を泳いでいた。うるさいくらいだったのに、ここ最近はほとんど見ていない。
「季節じゃないの?」
キンメダイが言った。
「そういうのもあるだろうけど……」
俺は周囲を見回した。
言われてみれば、小鯖だけじゃない。いつもならその群れを追い回している魚たちまで、どことなく元気がない。
「なんかあったのかな」
「チカメ様」
後ろから声をかけられた。
振り返ると、大きなメジナがこちらへ泳いできた。川奈ではかなり長く暮らしているらしく、たまに昔の海の話をしている魚だ。
「ちょうどよかった。少しお願いがあるのですが」
「俺に?」
「はい。ここ数年、小鯖が川奈へ来なくなったのですが、ついにほぼいなくなったことにはお気づきですか?」
「今ちょうどその話してた」
「そうですか……」
メジナは深刻そうに目を伏せた。
「どうも今年は、回遊の道を完全に外してしまったようなのです」
「そんなことあるの?」
「あります。毎年、まったく同じ場所を通るわけではありませんから」
「でも、小鯖が来ないくらいでそんな困る?」
「困ります」
即答だった。
「小鯖を食べて暮らしていた者も少なくありません。このまま戻らなければ、いずれ飢える者も出てくるでしょう」
「あ……そんな深刻なの?」
「ええ」
「でもメジナって、鯖食べないよね?」
「食べませんな」
「お前は困ってないのかよ!!」
「私はただ、川奈の未来を憂いているのです」
「急に立派だな」
メジナは海面を見上げた。
「教祖様の福音が降り注ぐ、この川奈。未来永劫の繁栄のためにも、小鯖は欠かせな……」
「ん? どうした?」
「欠かせな..い…………」
「?」
「んー……」
「何をそんな悩んでんだよ」
「欠かせない……人員?」
「欠かせない食料って言えなかっただけか!!!」
メジナは何事もなかったように続けた。
「そこでチカメ様には、神子元の辺りまで小鯖を迎えに行っていただきたいのです」
「今『食料』って言えなかった奴が『迎えに行く』って言うな!!!」
「大切な海の仲間ですから」
「食うんだろ!?」
「私は食べません。ご近所さんです。」
「お前の話じゃねえよ!!!」
横でイトヨリが笑っている。
キンメダイは黙ってこちらを見ていた。
「それで、なんで神子元?」
「この辺りへ来なくなっただけなら、黒潮に近い南の方にはいるのではないかと」
「…………神子元まで?」
「はい」
「遠くない?」
「遠いですな」
「ですよね?」
「ですからチカメ様に」
「なんでそれで俺になるんだよ!!!」
距離の問題が一切解決していない。
「チカメ様なら、小鯖と話をして連れてくることもできるのではないかと」
「いや待て」
俺はようやく、この依頼のおかしさに気づいた。
「連れてきた小鯖は?」
「川奈の未来を支えていただきます」
「だから具体的に!」
「…………」
「食われるんだよね?」
「そういう者も出てくるでしょうな」
「出てくるでしょうな、じゃねえよ!!」
俺は神子元の方角を指した。
「それ、迎えに行くんじゃなくて、魚を神子元から川奈まで追い込み漁しろってことか!!!」
「まあ、簡単に言えば」
「簡単に言うな!!!」
とんでもない依頼だった。
だが、小鯖が戻らなければ本当に困る魚がいるらしい。笑って断れる話でもない。
「…………行くしかないのか」
「ありがたやありがたや」
「まだ行くって言ってない!!」
「行かないんすか?」
「そう言われると行くけど!!!」
なんで俺なんだ。
俺はただ川奈で釣りをしていた人間だったはずなのに、気づけば魚になり、今度は小鯖の回遊ルートまで面倒を見ることになっている。
「じゃあ準備するっす!」
「お前は来るの?」
「行くっすよ!下田の方なんて久しぶりっす!白浜大浜のコバルトブルーの海で写真撮るっす!」
イトヨリは完全に旅行の顔をしていた。
「僕も行く」
小さな声がした。
キンメダイだった。
「キンメも?」
「うん」
いつものように、それ以上は何も言わない。
「じゃあキントキダイにも声かけて――」
「あっ!…………そういえば」
「ん?」
「神子元に行くなら……稲取、通るよね」
「ああ。通るけど」
「…………」
キンメダイはしばらく黙っていた。
「どうした?」
「僕……やっぱ、行かない」
「なんで!?」




