第117話 そこ、私の場所です
朝。
チカメがいつもの岩陰へ向かうと。
誰かいた。
「…………」
小さなカサゴだった。
岩と岩の間。
ちょうどチカメがいつも休んでいる窪みに、ぴったり収まっている。
「…………」
「…………」
目が合った。
「そこ、俺の場所なんだけど」
「…………」
カサゴは動かない。
「聞こえてる?」
「…………」
「俺、いつもそこにいるんだけど」
「今日は私がいます」
「見れば分かるよ!!」
カサゴは少し身体を沈めた。
さらにぴったり収まった。
「いや、そうじゃなくて」
「先にいました」
「…………」
「先にいました」
「二回言わなくていいよ」
チカメは周囲を見た。
岩陰なんていくらでもある。
別にここでなくてもいい。
そう思って、隣の窪みに入った。
「…………」
狭い。
尾びれが出る。
「…………」
元の場所を見る。
カサゴ。
ぴったり。
「…………」
チカメは尾びれを引っ込めた。
頭が出た。
「…………」
カサゴを見る。
ぴったり。
「ちょっと詰められない?」
「無理です」
「まだ余裕あるだろ」
「ありません」
「右、空いてるじゃん」
「そこは胸びれを置きます」
「今置いてねえだろ!!」
そこへイトヨリがやってきた。
「おはようございまーす!」
「ああ」
「何してるんすか?」
「場所取られた」
「場所?」
「俺いつもそこにいるじゃん」
「へー」
イトヨリはカサゴを見た。
「先にいたんすか?」
「はい」
「じゃあカサゴさんの場所っすね」
「なんでだよ!!」
イトヨリは隣の岩に止まった。
「海なんて全部自由席っすよ」
「昨日まで俺の指定席だったんだよ」
「指定してないっす」
「心の中でしてたんだよ!!」
「それ自由席っす」
正論だった。
そこへキンメダイとキントキダイもやってきた。
「おはようございます!」
「おはよう」
キントキダイはチカメの後ろに入った。
「お前は迷わないよな」
「何が?」
「いや、なんでもない」
キンメダイがカサゴを覗いた。
「かわいいですね」
「かわいいの問題じゃないんだよ」
「ぴったりです」
「俺だって昨日までぴったりだったんだよ!!」
カサゴが初めて少し動いた。
チカメが身構えた。
「お?」
カサゴは身体を半分だけ外へ出した。
「譲る気になった?」
「トイレです」
「トイレ!?」
カサゴが泳いでいった。
空いた。
「…………」
チカメはすぐに入った。
ぴったり。
「ほら!!」
「何がっすか?」
「やっぱここだよ!」
「よかったっすね」
「この角度! この深さ! この背中の当たり方!」
「急に不動産の内見みたいになったっすね」
「ここだけなんだよ!」
「何が?」
「分かんないけど!!」
チカメは満足した。
落ち着く。
昨日まで何も考えずに使っていた岩陰なのに。
一度取られると、妙にありがたい。
「…………」
キンメダイが言った。
「チカメキントキさん」
「ん?」
「戻ってきましたよ」
カサゴがいた。
「…………」
「…………」
目が合った。
「そこ、私の場所です」
「違うよ!!!」
カサゴはチカメの前まで来た。
「先にいました」
「今は俺が先にいるだろ!」
「トイレに行ってました」
「海全部トイレだろ!!」
「戻ってきました」
「だから何だよ!」
「そこ、私の場所です」
「自由席だよ!!」
イトヨリが言った。
「さっき指定席って言ってたっす」
「お前は黙ってろ!!」
カサゴは動かない。
チカメも動かない。
「…………」
「…………」
五分経った。
「…………」
「…………」
十分経った。
「…………」
「…………」
イトヨリが飽きた。
「ご飯探してくるっす」
「行ってこい」
「僕も行ってきます!」
「おう」
キンメダイも行った。
キントキダイはまだ後ろにいた。
「お前は行かないの?」
「後方を警戒してる」
「今日もかよ」
カサゴはまだいる。
「…………」
「…………」
チカメは思った。
なんなんだ、こいつ。
たかが岩陰だ。
他にいくらでもある。
こんなことで意地を張って。
朝からずっと。
馬鹿じゃないのか。
「…………」
カサゴも、おそらく同じことを思っている。
「…………」
一時間経った。
「まだやってるんすか!?」
イトヨリが帰ってきた。
「やってない」
「やってるっす」
「座ってるだけだ」
「カサゴさんもずっといるっすよ」
「勝手にいるんだよ」
「チカメさんも勝手にいるっす」
「俺はここに住んでんの!」
「昨日まで休憩場所って言ってなかったっすか?」
「今日から住んでる!!」
イトヨリは呆れた。
「じゃあ名前書いとけばいいじゃないっすか」
「海の岩にどうやって書くんだよ」
「削るとか」
「そこまでして欲しくねえよ!!!」
その時。
上から影が差した。
「…………」
チカメが見上げた。
人間だ。
マスク。
シュノーケル。
フィン。
「ダイバーっすね」
「朝から多いな」
人間がこちらへ泳いでくる。
カサゴが動いた。
するっ。
チカメのいる岩陰へ入ってきた。
「ちょっ!!」
「狭い狭い狭い!!」
カサゴがチカメに密着した。
「お前、さっきまで俺に出ろって言ってただろ!!」
「今は緊急事態です」
「じゃあ俺がいるのはいいのかよ!!」
「…………」
「今だけです」
「そこは譲らねえのかよ!!!」
キントキダイも入ってきた。
「お前まで!?」
「警戒」
「三匹は無理だって!!」
ぎゅうぎゅうになった。
ダイバーが近づいてくる。
「…………」
三匹とも動かない。
「…………」
ダイバーの顔が目の前まで来た。
カメラを構えた。
カシャ。
「…………」
カシャ。
「…………」
カシャ。
その時。
「入れて!!」
ものすごい勢いで、イスズミが突っ込んできた。
「無理無理無理!!」
「人間!!」
「見れば分かるよ!!」
「ちょっとだけ!!」
「お前のちょっとはでかいんだよ!!」
ぎゅううううう。
「狭い!!」
「押すな!!」
「カサゴ刺さる!!」
「私に言わないでください!!」
「お前も押すな!!」
「後方が!!」
「もう警戒できてねえよ!!」
四匹が岩陰に詰まった。
「…………」
ダイバーが嬉しそうにカメラを構えた。
カシャ。
「…………」
カシャ。
「…………」
ぶりっ。
「…………」
カメラのシャッター音が止まった。
「…………」
チカメが、ゆっくりイスズミを見た。
「お前……今……」
イスズミが飛び出した。
「ごめん!!!」
ものすごい勢いで逃げていった。
「…………」
チカメとカサゴが残された。
「…………」
二匹とも、ゆっくり岩陰を出た。
「…………」
チカメがカサゴを見る。
カサゴがチカメを見る。
「…………」
「もういい?」
「もういいです」
二匹は別々の岩陰へ泳いでいった。




