【城ヶ崎遠征編】第113話 おけまる水産丸
あと二日。
翌朝。
城ヶ崎海岸。
門脇つり橋の下。
「…………」
昨日とは違って。
海は静かだった。
イワシも跳ねていない。
サバも走っていない。
鳥もいない。
「来るっすかねー」
イトヨリがスマホを見ている。
「昨日あれだけ拡散されたんだぞ」
「教祖が見てれば来るだろ」
「見てなかったら?」
「言うな」
キントキダイが海面を見上げた。
「今日はナブラやらないの?」
「教祖が来てからでいいだろ」
「来なかったら?」
「言うな!!」
ホンガツオが沖を見ていた。
「船影なし」
「…………」
時間だけが過ぎる。
「チカメさん」
「今度は何だよ」
「昨日の動画、まだ増えてるっす」
「もういいよ昨日の俺たちは!!!」
「でも、かなり見られてるっすよ」
「教祖一人に見られりゃいいんだよ!!!」
そのとき。
ホンガツオが動いた。
「船だ」
「え?」
全員が沖を見る。
遠く。
伊東マリンタウン方面。
小さな船影が。
こっちへ向かっていた。
「…………」
イトヨリが目を凝らす。
「チカメさん」
「分かってる」
近づいてくる。
白い船体。
見覚えがある。
「来たっす!!!」
海上レクサス。
教祖だ!!
「釣れたあああああ!!!」
「釣れたっすー!!!」
キントキダイが首を傾げた。
「まだ誰も釣ってないよ?」
「俺たちが釣ったんだよ!!!」
昨日。
観光客に撮らせた。ネットに流した。
そして今日。
教祖が来た。
「やっとだ……」
川奈から始めて。
富戸へ。
いがいが根へ。
城ヶ崎へ。
魚を集め。
鳥を集め。
観光客まで集めて。
ようやく。
一人の釣り人が来た。
「よし!!」
俺は叫んだ。
「ナブラ作るぞ!!」
「今から!?」
「ここまで呼んで何もしなかったら帰るだろ!!!」
ホンガツオが前へ出た。
「全員、配置につけ!」
イワシが海面へ。
サバ。
ソウダガツオ。
鳥。
昨日まで何度も繰り返した陣形が。
一気に出来上がる。
ばしゃばしゃばしゃ!!
静かだった海面が。
一気に沸いた。
教祖の船が。
こっちへ向きを変えた。
「食いついたっす!!」
「その言い方やめろ!!」
海上レクサスが近づいてくる。
場所も。
クエの棲家のすぐそば。
あとは。
クエが教祖の仕掛けに掛かればいい。
その時が勝負の開始だ。
「…………クエは?」
俺は海底を見る。
いない。
「おーい!! クエー!!」
返事はない。
「教祖連れてきたぞー!!」
返事はない。
「この肝心なときにどこ行ったんだよ!!」
そのとき。
イトヨリが。
俺とは全然違う方向を見ていた。
「…………」
「イトヨリ?」
「…………え?」
「何見てんの?」
「いや……」
イトヨリが目を細める。
教祖の海上レクサスじゃない。
少し離れたところに。
もう一隻。
船が浮かんでいた。
「…………あっ」
「何?」
「あっ!!!」
イトヨリが突然泳ぎ出した。
「ちょっと近くで見るっす!!」
「何を!?」
「あれ、シマノの釣り番組でよく見る高橋◯也っす!!」
「伏せた!!」
「芸能人っす!!」
「説明した!!!」
「本物っすよ!! チカメさん!!」
「今それどころじゃねえんだよ!! クエ探せ!!」
イトヨリはもう船の下まで行っていた。
「近いっす!!」
「ミーハーかよ!!!」
そのとき。
船の上から声が聞こえた。
「泳がせ釣りには、横の泳がせ釣りと縦の泳がせ釣りというのがありまして」
「始まったっす!!」
「何が!?」
「この海域、昨日ナブラがすごかったらしいんですよね」
「俺たちのことだ!!!」
「なので横の泳がせ、と言いたいところなんですが、それじゃあ面白くないということで、私は縦の釣りをやりたいと思います」
「好きにしてくれ!! 俺たちはクエを――」
そのとき。
海底で。
何かが動いた。
「…………ん?」
でかい。
暗い。
岩の間から。
巨大な魚影が出てきた。
「…………いた」
「クエっす!!」
「やっと出てきた!!」
クエが岩の間からゆっくりと出てくる。
「おいクエ!!」
俺は海上レクサスを指した。
「連れてきたぞ!! 教祖だ!!」
「…………」
クエは上を見た。
そのとき。
すぐ近くを。
一匹の魚が泳いでいった。
「…………ん?」
高橋◯也の泳がせ仕掛けだった。
「おい」
クエが。
そっちを向いた。
「待て」
クエが近づいていく。
「待て待て待て!!」
全員がそっちを見る。
「クエ!! そっちじゃねえ!!!」
俺は必死に海上レクサスを指した。
「教祖はあっちだ!!!」
クエは止まらない。
「おい!!」
「何食おうとしてんだよ!!」
そして。
パクッ。
「食ったああああああ!!!」
船の上。
竿先が。
ぐっ。
海面へ入った。
「あ、何かかかりましたね」
「お前だよクエえええええええ!!!」
竿が。
一気に曲がった。
「おっ? いい引きですね〜」
クエが根に潜ろうとする。
ジジジジ、ジ――!!
「!!!」
「クエ!! 踏ん張れ!!」
「教祖はあっちだあああああ!!!」
ジ――!!
その中で。
一匹だけ。
違う意味で震えていた。
「…………来た」
「え?」
イトヨリの目が。
完全に開いた。
「来たっすうううううううう!!!」
「お前は何を待ってたんだよ!!!」
ジジジジ――!!
「もっとドラグを鳴らせ!おけまる水産丸!!!」
「イトヨリがついに壊れた!!!」
クエは根へ向かう。
ラインが。
岩の間へ向かっていく。
「そのまま潜れ!!」
「クエ!! 根に入れ!!」
「切っちまえ!!!」
「貴様!!これはどういうことだ!!!」
「俺たちもこんな予定じゃなかったんだよ!!!」
ジジジジ――!!
イトヨリが震える。
「ヤバいっす!!」
「今度は何!?」
「これがリール最高峰ステラの音っすか!! ドラグ音が三倍いい音に聞こえるっす!!」
「まだステラか確認してねえよ!!!」
その言葉に。
クエが反応した。
「…………ステラ?」
「え?」
ジジジジジジジ――!!
クエが上を見た。
「ステラあああああああ!!!」
「お前まで勝手に決めんな!!!」
「ついに来たぞ!! 最強のリール!!」
「音しか聞いてねえだろ!!!」
その頃。
船の上では。
高橋◯也が竿を立てていた。
「ただ、魚に主導権を渡してはいけない」
「クエ!! 主導権取れ!!!」
「根に入れ!!」
「踏ん張れ!!」
「ドラグ締めて、巻き上げます」
「やめろおおおおお!!!」
ジジジジ――。
ジジジ――。
ジジ――。
……ジ。
「あああああああああ!!!」
イトヨリが崩れ落ちた。
「ドラグを締めるなあああああ!!!」
「お前はクエとドラグどっち応援してんだよ!!!」
クエが。
根から離される。
「待て!!」
上へ。
少しずつ。
上へ。
「クエ!! 戻れ!!」
「下だ!! 下に泳げ!!」
「ぐっ……!」
クエが身体を振る。
だが。
止まらない。
「ダメっす!!」
イトヨリが叫んだ。
「クエ!! それ以上上昇不可がかかったら、浮袋が飛び出る呪いにかかるっす!!」
「なんだその呪い!!!」
「上昇負荷っす!!」
「ただの水圧変化だよ!!!」
クエはさらに上がっていく。
「貴様らあああああ!!!」
「踏ん張れ!!」
「まだ戻れる!!」
十メートル。
さらに上。
イトヨリが。
静かに首を振った。
「あー……」
「なんだよ!?」
「深海五層から一層、十メートルまでの上昇負荷には耐えられなかったっすかー」
クエの口から。
ぼこっ。
浮袋が出た。
「もう浮袋出て慣れ果ててるっす」
「言い方あああああ!!!」
「はい、上がって来ますよー」
「クエえええええ!!!」
海面が。
盛り上がる。
巨大な魚体が。
水面を割った。
「ぼーーーーーん!! やりました、クエです」
「テンションが違いすぎる!!!」
「…………」
終わった。
一週間。
クエにステラを持ってこいと言われ。
教祖を釣るためにナブラを作り。
鳥を集め。
富戸へ行き。
いがいが根へ行き。
観光客に撮らせ。
SNSにまで流した。
教祖も。
ちゃんと来た。
その結果。
たまたま隣にいた高橋◯也が。
クエを釣った。
「…………なんだったんだよ」
そのとき。
少し離れた海上レクサスから。
教祖の声が聞こえた。
「いやあ! いいヒラマサですな!!」
「…………え?」
俺は振り向いた。
教祖が。
魚を一匹持っていた。
「脂ものってそうですぞ!」
「それブリだよ!!!」
教祖は嬉しそうに魚を見る。
「立派なヒラマサですなあ!」
「ブリだっつってんだろ!!!」
当然。
聞こえない。
「今日はいい釣りになりましたぞ!」
海上レクサスが動き出す。
「待て!!」
教祖は帰っていく。
ブリをヒラマサだと思ったまま。
数日かけて釣れてきた教祖は。
最後まで。
何の役にも立たなかった。
「このにわかがああああああ!!!」
第113話 終
【教祖と海の経典】
■ 城ヶ崎海岸
静岡県伊東市にある壮大な海岸ですな。
約4000年前、大室山の噴火で流れ出した溶岩が海へ達し、現在の独特な海岸を作りましたぞ。
■ シマノ(SHIMANO)
自転車部品や釣具などを世界で展開するメーカーですな。
えっ? 釣具メーカーじゃないの!?
■ 高橋◯也
霊長目ヒト科ヒト属。
釣りの世界のレジェンドですぞ。
■ 伊東マリンタウン
静岡県伊東市にある「道の駅」であり「海の駅」ですな。
伊東サンライズマリーナも併設され、クルーザーやヨットが並んでおりますぞ。
■ いがいが根
約4000年前、大室山の溶岩が海へ流れ込んでできた城ヶ崎海岸の一部ですな。
駐車場から歩いて行ける磯で、釣り場としても知られておりますぞ。
■ クエ
大型になるハタ科の海水魚ですな。
非常に高価な魚としても知られ、釣り人にとって憧れの魚のひとつですぞ。
■ ドラグ
魚が強く引いたとき、リールから自動的に糸を送り出して糸切れを防ぐ仕組みですぞ。
■ ステラ
シマノが誇る最高峰クラスの高級リールですな。
■ 富戸
伊東市にある海沿いの地域。透明度の高い海で、ダイビングなども盛んですぞ。
■ 海上レクサス
レクサスのクルーザーですな。無論、わたくしの私物ですぞ。
■ ヒラマサ
ブリによく似た大型の海水魚。強烈な引きで釣り人にも人気ですぞ。
■ ナブラ
大型魚に追われた小魚の群れが、水面付近で逃げ惑っている状態ですな。




