↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
11/156

福音には対価が必要です

挿絵(By みてみん)

「ばら撒きって強えな」


俺は、福音へ群がる小魚たちを見ていた。


「教祖様!」

「もっと福音を!」

「今日もお願いします!」


海上では、教祖が何も知らずにコマセを撒いている。


ざばっ。


「うおおおおお!!」


魚たちが群がり、大量のオキアミが一瞬で消えていく。


そして、その中には当然――針がある。


「お前ら! 忘れてないよな!?」


「何を?」


「針だよ!」


「ああ。あるね」


「あるね、じゃねえよ!」


小魚は普通にオキアミを食べ続ける。


「でも福音もあるよ」


「だから何でそっちが勝つんだよ!!」


*


その日、教祖はなかなか釣れなかった。


コマセだけが減っていく。カワハギは餌を盗み、フグは糸をかじり、アイゴとニザダイは「糸付きか、糸なしか」で盛り上がっている。小魚たちは安全なコマセだけを食べる。


教祖にとっては、最悪の海だった。


「おかしいですな」


海上から声がした。


「そりゃそうだ! そのまま諦めろ!」


教祖が竿を上げ、仕掛けを確認する。餌がない。


「帰れ帰れ!」


時計を見る。


「よし!」


「帰れ!」


今度はコマセの入った容器を見る。


「帰れ!」


そして――蓋を閉じた。


「よおおおし!!」


俺は歓声を上げた。


「勝った!!」


エンジンがかかり、海上レクサスが動き出す。


「帰ったぞ!!」


キンメダイが言った。


「やりましたね」


「ああ!」


キントキダイも嬉しそうだ。


「これで平和です」


「ああ!」


俺は小魚たちを振り返った。


「見たか!」


誰も喜んでいなかった。


「…………」


「…………」


「…………」


ものすごく静かだった。


「どうした?」


小魚たちは、海上レクサスの消えた方向を見ている。


「帰っちゃった」


「帰ったよ」


「福音は?」


「…………」


「もうないの?」


「今日はな」


別の小魚が、ぽつりと言った。


「お腹空くね」


「自分で探せよ!!」


*


翌日。


教祖は来た。


「来た!!」


小魚たちが喜ぶ。俺は嫌な顔をした。


「また来た……」


ざばっ。


福音が降る。


「うおおおおお!!」


魚が群がる。


しかし、釣れない。


そして教祖は帰った。


翌日。また来た。


福音。釣れない。帰る。


その翌日も、福音。釣れない。帰る。


そして――さらにその翌日。


教祖は来なかった。


「…………」


海は静かだった。


「来ないね」


「来ないな」


「福音は?」


「ないな」


昼になっても来ない。夕方になっても来ない。


小魚たちは仕方なく、自分で餌を探していた。


「大変だね」


「大変だな」


「教祖様、明日は来るかな」


俺は答えなかった。


分かっていた。


釣り人は、釣れない場所には通わない。


*


その夜。


魚たちが集まった。


「会議をします」


「何の?」


「福音について」


「嫌な議題だな」


キンメダイ、キントキダイ、小魚たち。アイゴ、ニザダイ、カワハギ、フグ。


いろいろな魚が集まっている。


「教祖様が来なくなりました」


「そうだな」


「福音も来なくなりました」


「そうだな」


「困ります」


「自分で飯探せよ」


魚たちが俺を見る。


冷たい目だった。


「何?」


一匹が言った。


「あなたが釣らせないようにしたからでは?」


「…………」


「教祖様、釣れなくなった」


「いや、俺だけじゃないだろ!」


俺はカワハギを見る。


「こいつ餌盗ってたし!」


「食事です」


「フグは糸切ってた!」


フグは何も言わない。


「アイゴとニザダイなんて遊んでたぞ!」


アイゴが言った。


「自己責任だろ」


「急に人間社会みたいな言葉使うな!!」


だが、魚たちの視線はなぜか俺に集まっていた。


「…………」


嫌な感じだ。


俺、これ知ってる。


集団で何か困ったとき、一番うるさく反対していた奴が、だいたい原因みたいにされるやつだ。


「待て。俺はみんなが釣られないように――」


「でも福音がなくなりました」


「…………」


「前は毎日食べられました」


「…………」


「今は?」


「…………自分で探す」


「大変です」


「それが普通の魚だよ!!」


誰も納得していなかった。


俺は魚になって初めて、村八分の気配を感じた。


村ないけど。


*


一匹の魚が言った。


「提案があります」


「嫌な予感しかしない」


「教祖様は、なぜ来なくなったのでしょう」


「釣れないからだろ」


「では、釣れればいいのでは?」


「…………」


俺は止まった。


「どういう意味?」


「たくさん釣られる必要はありません。毎回、一匹」


「…………」


「一匹だけ釣れれば、教祖様はまた来るのでは?」


海が静かになった。


俺は周囲を見る。


誰も笑っていない。


「待て」


一匹が続ける。


「一匹の犠牲で、みんなが福音を得られる」


「待て待て待て」


「合理的です」


「合理的じゃねえよ!!」


俺は叫んだ。


「それ、生贄だろ!!」


魚たちがざわつく。


「生贄?」


「何ですか、それ」


「人間が昔やってたんだよ!」


俺は前世の知識を引っ張り出した。


神に供物を捧げ、恵みを得る。作物や動物、時には――。


「…………」


俺は周囲を見る。


魚たちは真剣に話し合っている。


神に供物を捧げる。


恵みを得るために。


雨。豊作。安全。


そして、ここでは――コマセ。


「…………ああ」


俺は呟いた。


「こうやって昔の人類も、神に供物を……」


「教祖様は神ではありませんよ」


キントキダイが言った。


「分かってるよ!!」


よりによって、俺だよ。


*


問題は、誰を差し出すかだった。


俺はもう会議から帰りたかった。だが帰ろうとすると、魚たちが妙に道を空けない。


「俺、反対だからな」


「分かっています」


「絶対やめろよ」


「分かっています」


「その『分かっています』、採用する気ないだろ」


「では選考に入ります」


「入るな!!」


俺は思った。


こういう話なら、若い魚が犠牲になる。昔話でもだいたいそうだ。


若者。美しい娘。未来ある命。


だからこそ悲劇になる。


一匹の魚が言った。


「年長者がよいのでは?」


「え?」


俺は予想外すぎて止まった。


「なんで?」


「大きいので」


「…………」


「教祖様が喜びます」


「そっち!?」


別の魚も頷く。


「小さい魚では、教祖様が逃がすかもしれません。大きい方が確実です」


「生贄の選考基準が釣果写真なんだよ!!」


魚の世界では、長く生きた魚ほど大きい。


大きい魚ほど、釣り人は喜ぶ。


人間社会と、犠牲にする年齢層が逆だった。


*


群れの奥から、一匹の大きな魚が出てきた。


黒っぽい身体。分厚い背中。周囲の小魚とは明らかに存在感が違う。


「チヌ爺……」


一匹の小魚が呟いた。


「チヌ?」


俺はその魚を見る。


クロダイだ。人間だった頃なら、俺も普通にチヌと呼んでいた。


かなり大きい。長くこの辺りで生きてきたのだろう。


「私が行こう」


チヌ爺は静かに言った。


「行くな!!」


俺は即答した。


「もう十分生きた」


「そういう問題じゃねえ!」


「若い者たちが福音を得られるのなら」


「急に感動的にするな!!」


チヌ爺は海上を見た。


「私一匹で、皆が腹いっぱい食べられる」


「ダメだって!」


「悪くない」


「悪いわ!!」


周囲の魚たちは静かにチヌ爺を見る。誰も止めない。むしろ、感謝している。


「ありがとう、チヌ爺」


「チヌ爺……」


「忘れないよ」


「やめろやめろやめろ!!」


俺はチヌ爺の前へ出た。


「釣られるってことはな!」


言葉に詰まる。


針に掛かる。海上へ引き上げられる。教祖が喜ぶ。


そして――新宿ISE◯AN。


「最終的に価格調べられるんだぞ!!」


「それは少し楽しみだ」


「楽しみにすんな!!」


*


翌朝。


海上からエンジン音がした。


「来た!」


魚たちがざわつく。


海上レクサス。


教祖だ。


「なんで今日に限って来るんだよ!!」


教祖が魚探を見る。


「おや」


魚たちは一斉にチヌ爺を見る。


チヌ爺が前へ出た。


「行ってくる」


「待て!!」


ざばっ。


福音が降ってきた。


だが魚たちは、いつものようには群がらない。静かに道を空ける。


その真ん中を、チヌ爺だけがゆっくりと進んでいく。


「何この儀式!?」


オキアミ。


その中に、付け餌。


チヌ爺が近づく。


「食うな!!」


俺は追った。


だが周りの魚が、俺の前に出る。


「邪魔するな」


「お前ら正気か!?」


「みんなのためだ」


「飯くらい自分で探せ!!」


「福音は楽です」


「本音が軽い!!」


チヌ爺が付け餌を見る。


「では」


「やめろおおお!!」


ぱくっ。


ギュイイイイイイン!!


竿が曲がった。


海上から教祖の絶叫が響く。


「でかいですぞおおおおおお!!!」


「喜んでんじゃねえええええ!!!」


チヌ爺の身体が、水面へ向かって上がっていく。


小魚たちは静かに見送った。


「チヌ爺……」


「ありがとう……」


「忘れないよ……」


そして――教祖が追加のコマセを撒いた。


ざばっ。


「福音だあああああ!!」


「切り替え早っ!!!」


魚たちが一斉に食べ始めた。


ぱく。ぱく。ぱく。


俺だけが海上を見ていた。


チヌ爺は、もう戻ってこなかった。


*


それから、教祖はまた来るようになった。


一匹釣れる。


福音が降る。


魚たちは喜ぶ。


俺は喜べなかった。


そして数日後、小魚の一匹が俺のところへ来た。


「ねえ」


「何?」


「チヌ爺、まだいるよ」


「…………え?」


俺は止まった。


「何言ってんの?」


「見えるんだ。たまに」


小魚は海面を見上げた。


「どこに?」


「海の上」


「…………」


背中が冷たくなった。


魚だけど。


「チヌ爺は教祖に釣られたんだぞ」


「うん」


「戻ってきてない」


「うん」


「じゃあ――」


小魚が海面を見上げる。


「でも、いるよ」


「…………」


「ほら」


俺も見上げた。


海上レクサスが、こちらへ近づいてくる。


船体。白い服の教祖。竿。


そして、船の壁。


何かが黒い。


大きい。


魚の形。


「…………え?」


小魚が言った。


「チヌ爺」


俺は目を凝らした。


船の壁に、黒い魚体。


大きなチヌ。


間違いない。


チヌ爺だった。


「チヌ爺……」


小魚たちが静かに見上げる。


「チヌ様は、今も海の上から我々を見守っている」


「いや、ただの魚拓だから」


「…………」


小魚は嬉しそうに言った。


「ずっと教祖様と一緒にいる」


海上レクサスの壁で、大きなクロダイの魚拓が波に揺れている。


小魚たちは知らない。


あれが何なのか。


ただ、チヌ爺が今も海の上から、自分たちを見ていると思っている。


「…………」


俺は思った。


これ。


宗教でもないのに、どんどん宗教みたいになってない?


そのとき、小魚が魚拓へ向かって頭を下げた。


「今日も福音をありがとうございます」


「そいつに祈るなああああああ!!!」


一匹。また一匹。


小魚たちが、海上の魚拓へ頭を下げ始める。


教祖は何も知らずにコマセを撒いた。


ざばっ。


福音が海へ降り注ぐ。


「チヌ爺が福音をくださった!」


「違う!!」


「チヌ爺ありがとう!」


「撒いてるのは教祖だ!!」


「チヌ爺が教祖様のもとへ行ったから、福音が戻ったんだ!」


「因果関係だけ妙に合ってるのやめろ!!」


そして一匹が、ぽつりと言った。


「チヌ爺じゃないよ」


「?」


別の小魚が聞いた。


「じゃあ何?」


その魚は、海上の魚拓を見上げたまま答えた。


「海上へ行ったんだから――」


一拍。


「チヌ様」


「昇格させるなああああああ!!!」


「チヌ様!」


「チヌ様!」


「福音をありがとうございます!」


「もう広まってる!!」


海上では、教祖が今日も何も知らずにコマセを撒いていた。


そして船には、ただの魚拓が貼られていた。


――第十一話 完――


【教祖と海の経典】

■ カワハギ

名前の通り、皮を簡単に剥ぐことができる魚ですな。

釣りでは小さな口で器用にエサだけ取っていくため、「エサ取り名人」としても知られておりますぞ。

肝醤油で食べる刺身は絶品ですな。


■ キタマクラ

フグ科の小型魚ですな。

皮膚や内臓などに毒を持つため、食用には向きませんぞ。

名前の由来もなかなか物騒ですな。


■ チヌ

クロダイの別名ですな。

沿岸や堤防、磯など身近な場所にも生息し、釣りの対象魚として人気がありますぞ。

警戒心が強く、なかなか一筋縄ではいかない魚ですな。

■ アイゴ

磯場などに生息する海水魚ですな。

背びれ・腹びれ・尻びれのトゲに毒がありますぞ。

釣り上げても、うっかり握ってはいけませんな。


■ ニザダイ

磯場などでよく見られる海水魚ですな。

釣り人からは「サンノジ」と呼ばれることもありますぞ。




■ 海上レクサス

レクサスの高級クルーザーですな。

無論、わたくしの私物ですぞ。


■ コマセ

魚を自分の釣り場へ集めるため、海へ撒いたり仕掛けのカゴに詰めたりするエサのことですな。

いわゆる撒き餌・寄せ餌ですぞ。

主なものにオキアミ、アミコマセ、イワシミンチなどがありますな。


■ 福音

コマセのことですぞ。

海の者は、ありがたがってそう呼んでおりますな。


■ 新宿ISE◯AN

新宿にある伊勢丹ですぞ。

値段もクオリティも日本最高峰クラスですな。


■ 某高級百貨店

新宿高島屋ですぞ。高級鮮魚売り場もありますな。

新宿にはほかにも、小田急ハルク、京王、伊勢丹など鮮魚を眺められる場所がありますぞ。

私の毎日の散歩コースですな。


■ チカメキントキ

赤い魚。本作の主人公。

値段は……まあ、微妙ですな。



■ キンメダイ

赤い魚。

伊豆では立派な高級魚ですぞ。



■ キントキダイ

赤い魚。

チカメキントキによく似ていますが別種ですな。


■ オキアミ

釣りでよく使うエサですな。

コマセにも付けエサにも使えますぞ。

尾びれの付け根付近に硬い骨質板がありますので、素手で扱うときはお気をつけくだされ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。