北の森
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ダリアスが我に返った時、室内はしんと静まり返っていた。
頭は靄がかかったようで、いまだ思考は明瞭にならない。ぼんやりと見下ろすと、そこには手足を力なくだらんと垂らして横たわっているイゾッタの姿があった。
扼痕。防御創。
(……ああ、俺がやったのか……)
目の前にある、女の死体。
記憶にはない。思い出せない。しかし自分が殺したことは状況から見て明らかだった。
抜け殻となったイゾッタを見ても後悔や悔恨、罪悪感などといった感情は驚くほど湧いてこない。かと言って、魔物を倒した時のような小さな達成感のようなものも感じられない。胸の奥にはただ凪いだような無があるだけだった。
ダリアスはすっと顔を上げる。もはや横たわる死体には何の関心もない。
――フィオラの所に行かなければ。
迷いなく扉を開け、庭園を避けて足早に目的地へと向かう。殺人事件を捜査する影響だろう、ダリアスの通る道はがらんとしている。練兵場を横切って隣接する厩に到着する。
痛む体をどうにか鎮めようと何度か深い呼吸を繰り返そうとするも、そもそも浅く呼吸をすることで精一杯だった。ダリアスは小さく舌打ちをして足を進める。
乗り慣れた栗毛の馬の手綱を引いて扉を開けると、馬が小さく嘶く。
「行くぞ」
彼は馬を厩から引っ張り出して手をかけると、勢いよく跨った。手綱を握り直して踵で馬腹を軽く蹴る。――北の森に着くまでは、死ねない。
風が頬を撫で、景色が次々と後方へ流れていく。ダリアスは手綱を握り締め、前だけを見据えた。
愚かな自分のせいで、フィオラも自分も恐らく今日死んでしまうのだろう。もうこの未来は変えられないのだろう。
しかし、それでも。
彼女を独りで死なせたくはなかった。孤独のまま苦しみにのたうち回らせながら死ぬなんて、そんな残酷なことはしたくなかった。
ダリアスは奥歯を噛んで馬に脚を入れる。風が容赦なく頬を叩いた。
***
北の森へ入ると月明かりが途端に遠のいた。木々が空を覆い隠し、道に落ちる光は僅かしかない。左右に連なる木々は黒い影となって迫り、風に揺れる枝がまるで何かが手を伸ばしてくるようだ。
この森には訓練で何度も足を運んでいる。夜であろうとも迷うことはない。
(お嬢様は……馬車を使ったはずだ)
毒の影響を考えても日頃の彼女の体調を考えても、十三歳のフィオラがここまで歩いてくるとは考えにくい。まして、馬に乗れるわけでもない。ならば、馬車をどこかに停めているはずだ。
森の中へ入ってしばらく進むと道幅が広くなっている場所がある。馬車を寄せるなら、あそこだろう。体全体が軋んでいくのに耐えながら、ダリアスは必死で考える。彼は馬の速度を緩め、周囲を見回した。
――ない。
馬車を停めたような形跡はある。馬車の車輪が残したはずの轍も。しかし、肝心の馬車も御者の姿も見当たらない。
(痕跡はまだ……新しそうだな)
馬車の車輪が残した二本の轍。森の奥から伸びているそれは道幅が広くなった場所で大きく弧を描き、再び来た道を戻っている。傍らには馬の蹄跡も残っている。
(……引き返している?)
馬の蹄が地面を打つ音が森の中に響く。その音に混じって、どこからともなく枝の折れる音がする。
ダリアスは暗闇の向こうに目を凝らす。
何度も訓練で訪れた森だ。それなのに、毒が体を蝕み目が霞む。今夜は見慣れたはずのこの場所がひどく得体の知れない場所に思えた。
来る途中で馬車とすれ違ってはいない。引き返しているということはフィオラはとうに屋敷に戻っているということだろうか。それとも……。
逡巡しているとふと気づく。ぽつりぽつりと淡く銀色に森の中に光が灯っていることに。
「光……?」
毒で幻視でも見えているのだろうか。そう思いながら、ダリアスは馬から降りる。そして吸い寄せられるように彼の足は光の方へと進んでいく。
――やはり、光っている。
あちこちで花がぼんやりと銀色の光を放っている。今にも消えてしまいそうな、淡く頼りない光が。
そう言えば、魔力に反応して夜に光る花があると騎士棟で誰かが話しているのを聞いたことがあった。確か、銀灯花といっただろうか。
(魔力に……反応……?)
――自分には魔力がないのに?
そこまで考えてダリアスははっとする。
――まだ近くに、フィオラがいるかもしれない。
そう思った瞬間、体が動き出していた。しかし走ろうとすると、足元がふらつく。
「……っ」
体に鋭い痛みが走る。視界が揺れる。息を吸うたびに肺の奥が焼けるように苦しい。それでもダリアスはよろめきながら血眼になり彼女の姿を探す。
「――フィオラ!!」
必死の叫び声も虚しく、木々の隙間に落ちていくだけで何も返ってはこない。ただ枝葉が風に揺れる不気味な音が森の中に広がっていくだけだった。




