偽り
室内に静寂が落ちる。ダリアスの背中に静電気のような緊張感が走る。
――馬鹿げている。
迷いなく答えは一択だ。そう思うのに、イゾッタの昏く光のない瞳を見ると安易に言葉を発してはいけないような気がした。
「……最後とは。受諾しなければどうなるのですか」
「それに答えるのはフェアじゃないわね」
――そもそもがフィオラの居場所との交換条件の話だというのに、どこがフェアだというのか。
ダリアスが言葉を躊躇していると、イゾッタがふっと微笑む。
「安心して。貴方の返事が何であろうとフィオラの居場所は教えてあげる。それだけは保証するわ」
油断してはいけない。本能が警鐘を鳴らす。慎重に考えたい。それなのに体の痛みと息苦しさのせいか、脳に酸素が回らずそれすらも難しい。ダリアスは喉を上下させる。そんな彼を見て彼女は見透かしたように口を開いた。
「警戒してるのね。……そうね、それなら思わず返事をしたくなるような話をしてあげましょうか」
そう言って言葉を続ける。
「庭園で死んでた庭師見習い……。あれをやったのは、フィオラよ」
「……は?」
落ち着き払って告げるその姿は到底嘘をついているようには見えない。しかしそれ以上に、フィオラが殺人を犯すような人間だとは思えない。
「お嬢様が……そんなことをするはずが……」
「そうね。いつものフィオラだったらしないわね」
言いながらイゾッタはダリアスに背を向けて室内を歩き出す。
「貴方に教えてあげるわね。あの男とフィオラが恋仲なんて、嘘よ。男が一方的にフィオラを慕っていただけ」
ダリアスは眉根を寄せる。彼女の言っている言葉は理解できても、その意味が理解できない。
――『フィオラはどうも彼のことがお気に入りみたいで』
――『とても親しげで確かにお似合いだとは思うわ』
――『恋にうつつを抜かすのはちょっと……』
――『この前なんか庭園で体を寄せ合ったりして、終いには抱きしめ合ってたわよ』
これまでイゾッタに言われてきたことが頭を過ぎる。あれらの言葉はすべて偽りだったということだろうか。
しかし実際に自分もこの目で見たのだ。フィオラと庭師見習いの男が抱きしめ合っている姿を。
その時の映像が脳内にありありと再現され、ダリアスは奥歯を噛む。今はこんなことを思い出している場合ではない。
「フィオラはね、あの男に襲われそうになったの。だから身を守るためにあんなことをしてしまったというわけ」
――襲われそうになった?
抑揚なく紡がれていくイゾッタの言葉にダリアスは目を見開く。情報を脳が処理しきれない。何も言葉を発せずにいる彼を尻目に、彼女はくるりと振り返る。ドレスの裾がふわりと翻る。そしてイゾッタは満面の笑みを浮かべるが、その目の奥は少しも笑っていなかった。
「ね、だからさっき貴方に言ったでしょう?護衛失格だって」
笑顔でそう告げると、彼女はまたダリアスに背を向けて今度はフィオラの机へと向かう。
「まぁ襲われそうになったのか襲われたのかまでは私にも分からないけど。とにかく、そういうことで今フィオラは逃げてるのよ。馬車で。ある所にね」
フィオラの彼女の引き出しを漁りながら淡々と言うイゾッタ。
妹が男に襲われたのかもしれない。妹が庭師見習いを殺害した。故に妹がその身を隠そうと逃げている。
これらが真実であるかは分からない。しかし、まるで今日の天気について話すかのように感情なく話すイゾッタをダリアスは恐ろしく感じていた。
「……なぜ貴女がそんなことをご存知なのですか」
絞り出すように問い掛けると机の引き出しを漁っていたイゾッタの手がぴたりと止まり、ゆっくりと顔をダリアスへと向ける。そしてその美しいはずの顔が醜く歪む。
「……どうしてだと思う?」
美しいはずの笑顔。整った顔立ちも柔らかく弧を描く唇も、何も不自然ではない。そのはずなのに、見ているだけで悪寒がぞわぞわと這い上がる。ダリアスは喉の乾きを感じ、唇を舌で舐めて潤した。
「……貴女は……フィオラお嬢様を愛してらっしゃったのではないのですか」
その言葉をイゾッタは鼻で笑って返した。
「大っ嫌いよ、あんな奴」
フィオラのすべてを拒絶するかのようなその声音は冷え切っている。
ダリアスの頭が真っ白になっていく。
この三年間ずっと、イゾッタはフィオラを思い遣って大切にしているのだと思っていた。すべてが愛情ありきの言動なのだと思っていた。しかし、その前提がそもそも違っていたのならば……。
ダリアスが立ち尽くしている間にもイゾッタは机を漁り続けていたが、ようやくそれをやめたかと思うと満足気に片方の口角を上げて不気味な笑みを浮かべる。
そして自身のポケットから何かを取り出すとダリアスに近づき、それを握らせる。
「これ、なーんだ?」
愉しそうな顔に薄気味悪さを覚えつつその手を開くと、掌の上には小さな布袋が乗っている。
(これは……香り袋か……?いや、違う)
一見何の変哲もない香り袋。しかしダリアスにはその匂いに覚えがあった。
訓練でも使うことのある、この匂い。
「魔物寄せ……」
ダリアスは小さな声でぽつりと呟いた。




