砂糖菓子
ダリアスの言葉にイゾッタは小さく顔を顰める。普通の男ならばしっぽを振って喜ぶ美しき大公令嬢からの申し出。それを無下にするような返答をしたことを考えると、彼女の表情は至極当然のものに思えた。
「……最初から私との結婚は考えてないということね」
「申し上げた通り、私には過ぎた話です」
「……私との結婚よりフィオラの護衛を取るということね」
「……そのような意図はございません」
ダリアスがそう言うと、イゾッタの顔はいつもの気品ある笑顔へと戻る。そして小さな声で何かを呟き、身を翻してダリアスの元から去って行った。
***
ある日の夕方、ダリアスは訓練を終えて身支度を整えフィオラの元へ挨拶に行こうと一旦騎士棟へと戻っていた。その途中で左腕に鈍い痛みを感じ、彼は眉をひそめる。今朝の訓練で魔物を斬った時に負った傷だった。利き手だったら訓練にも支障が出たことだろう。
(不幸中の幸い……いや、俺が未熟なだけか。もっと励まないとな)
そんなことを考えながら着替えていると、突然乱暴に扉が開けられた。
「ダリアス!」
「……お嬢様」
ダリアスは僅かに目を見開く。目の前には顔を真っ青にしたフィオラがいた。一体何があったというのか。彼が口を開こうとするも、それは必死の形相をした彼女によって遮られる。
「今朝の実践訓練で怪我をしたって聞いたわ!魔物にやられたんでしょう!?大丈夫!?私がすぐに治すから……」
そこまで言うと彼女は時が止まったかのようにぴたりと固まる。そして気まずそうに目を伏せる。彼女らしからぬ、相手のことを一切考えずに勢い良く捲し立てる己に気づき、我に返ったのだろう。
「ご、ごめんなさいノックもせずに……。ダリアスが怪我したって他の人たちが話しているのが聞こえてきて、心配でいてもたってもいられなくてつい……」
その言葉にダリアスは眉根を寄せる。理解できなかった。なぜフィオラが慌てる必要があるのだろう。自分は騎士なのだから身の危険とはいつも隣り合わせだ。そもそも、自分がどれだけの傷を負っても彼女自身は痛くも痒くもないだろうに。
(……いや)
彼女は面識のない領民にも礼儀のなっていない使用人たちにも、いつも真摯に治癒魔法を施している。そんな彼女のことだ。関わりのある自分が怪我をして慌てることも致し方ないのだろう。
しかし、彼女に治癒魔法を使わせるわけにはいかない。この程度の怪我でフィオラに不調をきたさせるような真似ができるはずがない。
そう考えて彼女を安心させようとシャツを腕に通しながら大丈夫だと伝えるも、フィオラの不安そうな表情は中々変わらない。
「心配だから……傷を見せて」
潤んだ瞳で見上げられ、胃の中を引っ掻き回されたような奇妙な感覚に陥る。
(……これ以上押し問答を繰り返しても納得しなさそうだな)
ダリアスはフィオラの根気に負けて小さく息を吐き、腕をまくって包帯をほどく。腕の裂傷を見ると彼女の顔は見る見るうちにさらに青ざめていく。
「た、大したことないなんて嘘じゃない!」
そう言いながら傍まで駆け寄り、涙が零れ落ちそうな瞳でフィオラはダリアスを見つめる。
――まただ。
胃の中がぐちゃぐちゃになっていく。フィオラをどこかに閉じ込めておきたい衝動に駆られる。自分でも理解できない己の感情を抑え込もうとダリアスは奥歯をギリギリと噛み締め、彼女を腕の中に閉じ込める代わりにフィオラの頭を右手で撫でた。
「見た目ほど深くありません。すぐに治ります。それに利き手ではないので」
「腕が動かなくなったらどうするの!」
彼女を落ち着かせようと吐いた言葉。しかしそれはどうやら彼女の怒りに触れたようだった。
「私は騎士のことよく分からないけど、ダリアスが毎日すごく頑張ってるのは知ってる!これから、どんどんもっと強くて立派な騎士になるもの。それなのにダリアスに何かあったら、私、私……」
涙をぼろぼろと流しながら訴えるフィオラ。なぜ護衛ごときの怪我でここまで必死になれるのか。
その理由はさっぱり分からない。しかし彼女には泣かないで欲しい。泣き止んで欲しい。笑っていて欲しい。そう思った。
***
「ありがとうございます」
結局彼女の涙に負けて、ダリアスはフィオラから治癒魔法を施された。治癒魔法を使わせてしまったことに対して己の不甲斐なさを感じながら彼は袖を降ろす。
そしてフィオラへと視線をうつす。治癒魔法を使わせてしまい、彼女の体調が心配だった。しかし幸いにも、調子が悪そうなところは見受けられない。ダリアスは小さく安堵の息を漏らした。
いつもいつも、彼女は人のためにばかり動く。自分の体すらままならないだろうに。弱音を吐かず、文句の一つも言わずに、健気に、笑顔で。この三年、ずっと。
しかし彼女はだからこそ危ういとも思った。フィオラという存在が、彼女自身の中で軽過ぎるように見えてならなかった。
案の定、彼女はダリアスが治療費を渡そうとした時に拒否をする。価値があるのはあくまで治癒魔法であり、フィオラ自身に価値があるわけではないからと言って。
その言葉になぜか胸を抉られる。
(そんなことは……ないだろう。そんなこと……あるはずがないのに)
行き場のない憤りが腹の中をぐるぐると渦巻く。それを掻き消すかのように半ば乱暴に彼女に銀貨を握らせ、ダリアスは心を落ち着けようと室内を歩く。
ふと、サイドテーブルに目が留まる。その上には小さな陶器の器が乗っている。確か中には砂糖菓子が入っていたはずだ。
「……砂糖菓子、召し上がりますか」
気づけば口から脈絡のない提案が漏れ出ていた。突然の言葉にフィオラも顔をきょとんとさせている。
しかし他にどう話題を変えれば、自分の中の衝動に近い苛立ちや、理由の分からない焦燥感のようなものを抑えられるかが分からなかった。
フィオラにはもっと自分を大切にして欲しい。労わって欲しい。
――笑っていて欲しい。
「……ありがとう。いただくね」
控えめな笑顔を浮かべてフィオラは砂糖菓子を口へと運ぶ。その穏やかな光景を眺めながら、ダリアスは荒れていた感情の波が落ち着いていくのを感じていた。




