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寄り道


***


「ダリアス」


「はい」


「少し寄り道してもいいかな?行きたい場所があるの」


施療院での治療を終えたある日、フィオラからの突然の申し出にダリアスは小さく目を瞬かせる。そして彼女の頭の先から足先まで視線を走らせ全身の状態を確認する。彼の目には今日の彼女はいつもよりつらそうではなさそうに見えた。


「……仰せのままに」


「ありがとうダリアス!」


花が咲いたような笑顔に思わず喉を上下させる。


(どうして、いちいち……)


彼女は大公令嬢なのだ。言葉一つで、いや、顎先一つ動かせば護衛を従わせられるのに。


いちいち護衛ごときにお伺いを立てて、拒否しなければ嬉しそうに笑う。そんな彼女の姿はこの三年で何度も目にしてきたが、彼はそれにいまだ慣れることができずにいた。




どこに行こうとしているのか尋ねることもなく、ダリアスはフィオラの後ろに付き従う。彼女の行く道は整備された道からは外れており、伸びた草が足元を覆う。足場の悪いこの道は、どう考えてもフィオラには不向きだ。案の定、彼女は度々足をもつれさせていた。


(いっそ抱いて歩いた方が……)


そう考え、ダリアスは口を開きかける。しかし車輪付きの椅子について話した時のイゾッタの言葉が頭を掠めて、彼は何も言うことができずに唇を固く結ぶ。


(できることに目を向けて欲しい、か)


目の前のフィオラの様子からつい手を貸そうとしてしまう自分。過去と現在と未来のフィオラについて包括的に考えて対応を決定するイゾッタ。彼女はフィオラに関して自分とは視野の広さが違うなと感じながらダリアスは小さく息を吐く。


フィオラは決してつらいとは言わない。彼女と関わり始めて三年経つが、彼は彼女が音を上げているところを一度も見たことがなかった。彼女はどんな状況でもいつも明るい笑顔を作る。そして大丈夫だと、気にかけてくれてありがとうと言うだけだった。


他の誰でもない本人が弱音を吐かないのだ。イゾッタの意向は抜きにしても、そんなフィオラに手を貸すのは余計なことなのかもしれない。彼女の自尊心を傷つけるのかもしれない。そしてそれはダリアスの本意ではなかった。




そうして結局彼が手を貸すことなく辿り着いたのは小高い丘だった。


「うわぁ……」


フィオラの弾んだ声が風に乗る。嬉しそうな感嘆の声と共に彼女のスミレの香油が鼻腔をくすぐった。彼女の横に並んだダリアスはその声と香りを受けて不意にその方向へと目を向ける。


蜂蜜色の髪が陽の光を浴びて輝く。青い瞳は水面のようにきらきらと揺れ、嬉しそうに目を細めている。どこまでも澄んだその横顔は、清らかで可憐な天使のようだ。しかし不意に見せる切なげな微笑みはどこか大人びていて女神のようにも見えた。


彼女がこれほど感動しているとはどれほどの景色なのだろう。そう思い彼が彼女の視線の先に目をやるも、視界が開けたその先はどこでもよく見るような草原と花々だった。


青空。草原。花々。それだけだ。


(これならば大公家の庭園の方が余程……)


「あ、ダリアスはあんまり綺麗だとは思わなかった、かな?」


様子を窺うような声に再びフィオラへと視線を向けると、彼女は困ったような顔でダリアスを見ていた。


景色を見ても別に綺麗だとは思わなかった。そもそも美しかろうがそうでなかろうが関心がない。心は一切動かない。しかし……。


ダリアスはまっすぐにフィオラを見つめる。


「いえ、美しいと思います。……とても」


どんなふうに草木が生えようとも花が咲いていようとも、まったく心惹かれない。しかし、それを見るフィオラは綺麗だと思った。美しいと思った。……神々しいとさえ。


「一緒に見たかったの!ありがとうダリアス」


「……こちらこそ、ありがとうございます」


同意されたことが嬉しかったのか彼女は頬を赤く染めてにっこりと笑う。


――こちらこそ。


自分で言っておきながら、何がこちらこそなのかはダリアスにもよく分かっていなかった。しかし気づけば自然と口から零れ出ていた言葉だった。


彼女は再び景色へと視線をうつし、眼前に広がる光景を眺めながら頬を緩ませて幸せそうに微笑んでいる。青空のような瞳に夕焼けの橙が滲み、幻想的に煌めいている。


ダリアスは再びどこまでも広がる草原と茜色の空に目を向ける。


――この穏やかな時間がいつまでも続くといい。この人にとっても。そして自分にとっても。


しかし彼女の体調のことを考えると、もうそろそろ帰った方がいいのだろう。そう進言すべきだろう。


「……お嬢様」


「なぁに?」


明るい笑顔がダリアスに向けられる。


「……いえ、何でもありません」


しかし彼は言えなかった。


彼女のためを考えれば何を言うべきかは明らかなのに。それが護衛としての務めなのに。


あと少しだけ。


――あと少しだけ、彼女にこの何でもない時間を味わって欲しい。


――そしてあと少しだけ、彼女を自分といるだけのこの空間に閉じ込めておきたい。


そう思いながら彼は小さく拳を握り締めた。

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