小さな願い
***
「ダリアス、今日もよろしくね」
「……護衛が仕事ですので」
太陽のように明るい笑顔が眩しくてダリアスは思わず目を細める。
ダリアスがフィオラと出会ってから三年の月日が流れていた。出会った当初は十歳だったフィオラ。天使のようだった彼女は十三歳になり、まだその無垢な面影は残したまま女神を思わせる美しさを湛えていた。
ダリアスは吸い込まれるように無意識に彼女を見つめてしまう。そんな自分に気づき視線を断ち切ると、彼女の咳き込む音が聞こえてくる。
「大丈夫ですか」
急いで背中に手を当ててさする。華奢な背中から荒く浅い呼吸が伝わってきて奥歯を噛んでいるとか細い声が耳に届く。
「……だ、大丈夫。心配かけて、ごめんね」
――どこが大丈夫なんだ。
そう言いたいのを無理やり飲み込み唇を固く結ぶ。口を開いてしまえば彼女をきつく問い詰めてしまいそうで、彼女を怯えさせてしまいそうで、彼は何も言えなかった。
三年前は頭痛と嘔吐しか見られなかった彼女だが、最近ではよく咳き込むようになっている。歩く速度も遅くなり、足をもたつかせてふらつくこともしばしばだ。いつも笑って誤魔化しているが、口にはしないだけで他にも症状があるのかもしれない。
彼女の病は確実に進行している。そんな彼女の様子を見るたびに脳裏に過ぎるのはかつてイゾッタに言われた言葉だった。
――『これからきっとどんどん症状が出てきて、色々なことができなくなるわ』
(イゾッタお嬢様の言う通りだったな)
「……ダリアス?大丈夫だから、行こう?」
「……はい」
今日も彼女は施療院に行く予定となっていた。自分の体調だってまったくと言っていいほど万全でないのに。人を治療するような状態ではないだろうに。
彼がそう思わない日はなかった。けれど決してフィオラ本人を止めることはなかった。三年前にイゾッタと話して以来、自分が口を挟むべきことではないと痛感したからだ。
――『貴方はただの護衛。ただの見習い騎士。ただの伯爵令息。だから何も分かってないわ』
今は正式に騎士として認められていて、もう見習いではない。近いうちに上級騎士に叙任される予定でもある。しかしだからと言ってただの護衛であり伯爵の出身であることには変わりない。
ダリアスは小さく息を吐いて歩き出す。頼りなげな、けれど意志の強い美しい彼女の背中を見つめながら。
***
「……大丈夫ですか」
「ありがとう。大丈夫」
陽の高い時から治療を始めたというのに、空はもう赤くなっている。明らかに大丈夫ではなさそうな彼女。それなのに懸命に笑顔を絶やさない彼女。そんなフィオラを見ているとダリアスは自身の心臓のあたりがちくちくと痛むのを感じる。
(今日は五十二人か……。明日は動けなさそうだな)
いつからだろうか、ダリアスはフィオラが何人に治癒魔法を施したか数えるようになっていた。人数を数えようが数えまいが、彼女は施療師に言われるがままに治療する。何人以上は治癒魔法を施さないと決めることもなく、際限なく。それでも、彼は毎回数えるのをやめられずにいた。――何人の人間が今日もフィオラの病を進行させたのかと。
「……お支えしましょうか」
「ありがとう。お言葉に甘えちゃおうかな」
覚束ない足取りで歩くフィオラに手を差し出すと、笑顔のまま頬を赤らめておずおずと手を取るフィオラ。細く白いその指先はいつも彼の手に触れる時、僅かに薄紅色に染まり熱を持つ。
(やはり熱がありそうだ)
彼女の速度に合わせて歩くと、近いはずの馬車寄せが遠く感じる。もどかしい気持ちを拳に込めてダリアスは歩みを進めていく。
すべてが、もどかしい。
病が進行していく彼女を目の前にして何もできない自分も、療養せずに他人にかまけてばかりいるフィオラも、明らかに弱っていく彼女を気にも留めず酷使する人間も。
馬車に乗り、ダリアスは前髪をかきあげる。イゾッタの意向に口を出すまいと決めていた彼だったが、一度車輪付きの椅子を購入してみてはどうかと進言したことがあった。
しかしイゾッタは、今歩けているフィオラの能力を奪いたくない、彼女にはできることに目を向けて欲しいと一蹴した。
イゾッタの言葉はもっともだ。しかしやはりこうして歩くのすらままならない様子の彼女を見ていると、苦いものが込み上げてくる。
(もう一度話をしてみるか……。いやでも、彼女のことを一番理解して思いやっているのはイゾッタお嬢様だろう)
そうやって自分を納得させても、ついフィオラを目で追ってしまう。見てしまう。気にかけてしまう。心配してしまう。しかし彼はそんな自分にももうすっかり慣れてしまっていた。
――三年も仕えれば情くらい湧いて当然だ。
そう考えながらダリアスはフィオラへと視線をうつす。彼女は疲労からか窓に顔を預け眠っている。長い睫毛が頬に繊細な影を落として眠るその姿は、まるで一枚の絵のようだ。
その安らかな眠りが少しでも長く続くよう願いながら、彼は傍らにある膝掛けを手に取りそっとフィオラに掛けた。




