分岐点
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「ダリアス、お疲れ様」
「……お早いですね」
今日はフィオラに家庭教師が来る予定もないし、体調が悪いとも聞いていない。早朝と夜にしか鍛錬ができない日だ。にも関わらず朝の貴重な鍛錬の最中にイゾッタがやって来て、ダリアスは眉に皺を寄せた。
「ふふ、迷惑そうね。鍛錬の邪魔をしたかしら」
「……いえ」
(迷惑だと分かっているなら来ないで欲しいのだが)
そんなことを言えるはずもなく、ダリアスは騎士棟脇の水場で顔を洗う。傍らに置いていた布で乱暴に顔を拭いてから彼は口を開いた。
「何か御用でしょうか」
「あら、用がないと来ちゃいけないのかしら?」
「そういうわけでは……。ただ、この時間に来られることは珍しいので」
「ただ、貴方に会いたくて来ただけよ」
ダリアスの不躾な発言にも特に気分を害した様子もなく、ゆっくりと練兵場を見渡し微笑んでいるイゾッタ。いつもは中庭にいるイゾッタが今日は練兵場にいる。ダリアスと同様に朝から訓練や鍛錬をしていた数人の騎士や見習い騎士たちのうち、美しいイゾッタに見惚れて集中できていない者もいるようだった。
「鍛錬に熱心なのはいいことよね」
「……お嬢様に見られて集中できてない者もいるようですが」
「そんなことで集中力は欠かないで欲しいものね」
可笑しそうにくすくすと笑うイゾッタ。その笑顔はとても品がある。作り込まれた隙のないその笑みは、大公令嬢の模範のようだ。
「彼らもいつか私の護衛になるかもしれないし、私に慣れてもらわないと。……貴方もね?」
「……お断りさせていただいたはずですが」
伏せた睫毛の隙間からちらりとダリアスを見上げるイゾッタに、またこの話かと思いながら彼は言葉を返す。
「そうね、今はフィオラの護衛騎士だものね」
先日とは違い特に不機嫌になる様子もなく、イゾッタは穏やかな声音で言う。この前はきっと元々不機嫌だっただけだろう。そう自身で結論づけてダリアスは口を開いた。
「フィオラお嬢様と言えば」
「なぁに?」
「昨日お嬢様は治癒魔法をするのが幸せなのでも、聖女と呼ばれるのが幸せなのでもなく、人に必要とされるのが幸せなのだとおっしゃっていました」
「あの子らしいわね」
口角を上げてそう言うイゾッタにダリアスは言葉を続ける。
「……考えたのですが、お嬢様は手当たり次第治癒魔法を施すのではなく治癒魔法を使う場面は選んではいかがかと」
「……選ぶ?」
先程までの穏やかな声音が僅かに鋭くなる。イゾッタは訝しげにダリアスを見つめる。まるで罪人を裁くようなその瞳に一瞬ダリアスは言葉を詰まらせる。
「差し出がましい発言をしてしまい申し訳ございません。ただ、その方が希少価値も高まりますし……。持病のあるお嬢様にちょうど良いかと思いまして」
その言葉にイゾッタはにっこりと笑う。
「フィオラのことを考えてくれてるのね。ありがとう。貴方にそんなふうに思ってもらえてあの子は幸せね」
「いえ。私はただ護衛として……」
「そうね」
そう言うとイゾッタの目がぎらりと光る。獲物を仕留めようとする蛇のようだ。
「貴方はただの護衛。ただの見習い騎士。ただの伯爵令息。だから何も分かってないわ」
彼女はダリアスへと近づき、その手にゆっくりと触れる。イゾッタの手は驚くほど冷えている。思わず背筋が凍りそうになる。
「フィオラにそんなことを言ったところで“待ってるだけじゃ助けられない命があるのに”とか言って断られるのが落ちよ?そんなことも分からない?」
静かな声でそれに、と彼女は言葉を続けた。
「領民あっての大公家なの。だから大公家の権威のためにこれは必要なことでもあるの。フィオラ個人の問題ではないわ」
ダリアスは喉を上下させる。確かにイゾッタの言う通りだと思った。
あれだけ自己犠牲を厭わない人なのだ。誰が進言したところでフィオラはきっと断るだろう。それに、彼女が大公家を掲げて治癒魔法を施していることを考えれば、多くの領民を治療した方が良いことも間違いないだろう。
自分の浅慮さにダリアスは奥歯を噛んだ。
「出過ぎた発言を……大変失礼いたしました」
ダリアスの謝罪にイゾッタはふわりと微笑む。そして彼の頬を包むようにそっと手を添える。
「いいのよ。妹のことを考えてくれてありがとう」
優しく触れているはずなのに、穏やかな声音のはずなのに、ぞわりと鳥肌が立つ。微笑んでいるはずの彼女の目の奥は笑っているようには見えない。怒りが孕んでいるようにすら見えた。
「私はね、体が弱いフィオラに勉強を無理強いしないわ。好きなことをしたらいいと思ってる。でも最低限、大公家の人間としてやれることはやってもらいたいの。そうすることがあの子の存在価値にも繋がるのではないかしら?」
――その通りだ。
イゾッタは妹を思う姉として、大公家の令嬢として、多角的に物事を見て取捨選択をしている。それは姉として、貴族として、正しい。
フィオラのことはイゾッタに任せておくべきだ。
立ち去っていくイゾッタの背中を見つめながら、ダリアスは静かに瞳を閉じた。




