幸せと違和感と
イゾッタから解放されたのはそれからしばらく後のことだ。時間を浪費させられたとはいえ、彼女が去ったのはいつもより比較的早い時間だった。恐らく護衛騎士の提案を断ったことで機嫌を損ねていたのだろう。幸いにもまだ時間があったおかげでダリアスは再び鍛錬に戻ることができた。
基礎鍛錬をこなし木剣で剣術の型や技を反復をしてから騎士棟に戻り汗を拭う。そして身なりを整えてフィオラの元へと向かう。もう家庭教師も帰った頃だろう。
――『それは……少し違うかも』
歩きながら、自分が問いかけたことに対するフィオラの言葉を思い返す。
てっきり彼女はいつもの天真爛漫な笑顔で肯定するかと思っていたのに――
***
「……それは……どういう意味ですか」
聖女と呼ばれることが幸せなだけで治癒魔法そのものに幸せを感じてはいないということか、とは問えなかった。そんな問いは聖女と呼ばれたいだけの自己顕示欲の塊だと言っているも同然で、あまりに無礼だったからだ。
フィオラの性格から考えて不用意な発言をしたところで首が飛んだりはしないだろうが、それでも彼女に気分を害されたくはなかった。
「……必要としてもらえてるから幸せなのかなって思う」
そう言って目を伏せて微笑んでいるフィオラにダリアスは喉を上下させる。なんと返答すればいいのか分からなかった。
彼女は以前も同じようなことを言っていた。貴族の思考としてはへりくだったような言い方に多少の違和感を感じるものの、言っている内容自体は誰でもよく言いそうな言葉だ。
――それなのに、どうして彼女はこんなに悲しそうな笑顔を作っているのだろう。
「私を、じゃなくて治癒魔法を必要としてるだけって分かってはいるんだけどね」
ぱっと顔を上げたその顔はいつものように、にこやかな表情だ。しかしダリアスには彼女がいまだどことなく寂しげに見えた。
自分から話を持ち掛けておきながら、なかなか言葉が出てこない。ダリアスはぐっと拳を握りしめる。
「……聖女と呼ばれているではないですか。治癒魔法ではなくお嬢様が求められている証拠なのでは」
口から出たのは心にもない言葉だった。
これまでのフィオラとの関わりの中で、彼女が使用人たちに良いように使われているのは流石に伝わっている。使用人たちの態度を諌めないのだから、大公も実母ルクレツィアもそれを是としているのだろう。
施療院の人間たちはフィオラを雑に扱ってこそいないものの、彼女を敬っているようには到底見えない。方や領民たちは彼女を敬ってはいるが、それは聖女云々だからではない。彼らはそもそも平民なのだ。貴族であるフィオラに対して当然の態度を取っているだけだと言える。
フィオラ個人を気にかけているのは姉であるイゾッタくらいだろう。
フィオラの言う通り、きっと彼女自身を求められてはいない。ダリアスもそう思っているのに、ついその場凌ぎの慰めのような言葉を口にしてしまう。
フィオラの傷つく顔は見たくなかった。
(なぜ?)
彼女の心が傷つこうが自分には関係がないはずじゃないか。そう考えるとダリアスの胸に違和感が募っていき、何だか喉の辺りが気持ち悪くなってくる。
(……いや、違う)
関係なくはない。自分は彼女の護衛なのだ。これは護衛としての責任感ゆえの感情だ。だから傷つけたくないと思うことは何もおかしいことはない。むしろ至極当然のことだ。
そのために彼女を傷つけずにすむように耳障りのいい嘘をついた。それだけの話だ。
頭の中で言い訳じみたことを言い聞かせていると、彼の耳にフィオラの声が届く。
「そうだったら、嬉しいなぁ」
フィオラはそう言ってへにゃりと笑う。そして彼女は言葉を続けた。
「でも聖女なんて言われてもいまだにぴんと来ないよ。私は治癒魔法してるだけだもん。それなら女性治癒術師はみんな聖女って呼ばれてないとおかしくない?」
こてんと首を傾けて人差し指を顎に当てるフィオラ。まるで天使が下界へと降りてどこへ行こうか悩んでいるかのように見えてしまう。そんな己の意味の分からないふざけた思考を、窓から流れる景色に一瞬視線をやって無理やり断ち切り、彼はフィオラの話に集中する。
「……大公令嬢が多くの領民を治療したからこそ得ている象徴的な呼び名ですので。……私はお嬢様は聖女と呼ばれて喜んでいらっしゃるのかと思っていました」
「え、嘘。そんなふうに見えてた?恥ずかしいなぁ。全然そんなことないよ」
「……いえ。私が勝手にそう思い込んでいただけです。大変失礼しました」
聖女という適当な称号で彼女を持ち上げていいように使われて。それは彼女自身、聖女と呼ばれることに固執しているからという理由もあるのだとダリアスは思っていた。だからこそ、治癒魔法ばかりしているのだと。しかし、そうではないのなら……。
「……治癒魔法ばかりしなくてもいいのでは」
「え?」
誰かに必要とされたいのならば、希少価値を上げれば良いのではないか。誰彼構わず治療せずここぞという時だけ治療する方が、彼女の希少価値も存在価値も上がるはずだ。その方が彼女は皆に敬われるようになるはずだ。
「……いえ。独り言です」
「ふふ、変なダリアス」
たかが護衛にしか過ぎない伯爵令息が主である大公令嬢に進言できるはずもない。微笑むフィオラにそれ以上何も言うことができず、ダリアスは奥歯を噛んだ。
そして彼は馬車に揺られながらふと思った。自分程度で思いついたのだから、日頃彼女を気にかけているイゾッタもこの考えに至るのは容易であるはずだ。
ならばなぜ、イゾッタはフィオラに伝えないでいるのだろうと。




