日常
フィオラと出会って数ヶ月の時が過ぎていた。彼女は相変わらず治癒魔法を施すのに毎日駆け回っている。しかしダリアスはそれでいいと思っていた。イゾッタの命令でもあったし、何より彼女自身がそれを望んでいるのだからと。
「ダリアスー!」
穏やかで澄んだ声が自分を呼ぶ声に振り返る。そこには息を切らして、しかしつらさは見せずに声と同じく澄んだ笑顔を浮かべているフィオラがいた。
「昨日はごめんね」
「いえ、お体は大丈夫ですか」
「うん、ちょっとふらついちゃっただけだから」
「あの後熱が出て嘔吐していたと侍女から聞きましたが」
「あは……。バレちゃってるかぁ……」
ダリアスがそう指摘するとフィオラは困ったように笑う。その表情を見ると彼の中に妙な苛立ちが湧いてくる。
いつもいつも治療ばかりして、一体何が楽しいというのか。施療院に行くと体調を崩してばかりではないか。持病があるなら大人しく寝ておけばよいのに。そんなに聖女としての体面を保ちたいのか。
苦いものが込み上げてくるがそれを飲み込む。自分には関係のないことなのだから。ダリアスは小さく息を漏らす。
「……昨日治ったばかりで今日また施療院へ?」
「あ、ううん。今日は違うの」
その言葉にダリアスか僅かに安堵するも、フィオラは笑顔で言葉を続ける。
「今日はね、使用人たちを治療することになってるの。最近してなかったからたくさん希望者がいるらしくて」
思わず反対する言葉が出そうになる。たかが使用人のために身を粉にして何になる。いつも奴らは大した症状でもないのに治療に呼びつけているじゃないか。フィオラは使用人たちに良いように使われているようにしか見えない。大公令嬢としての矜恃はないのか。昨日もぐったりしていたじゃないか。状態が落ち着いたばかりだというのに。
――『これからきっとどんどん症状が出てきて、色々なことができなくなるわ』
――『させたいことを存分にさせてあげてね』
いつぞやにイゾッタから言われた言葉が頭を掠める。ダリアスは奥歯を噛んで言葉を飲み込んだ。
「……承知しました。ご無理なさらないように」
「ふふ、ありがとう」
そう言って彼女は笑う。嬉しそうに。頬を染めて。一体何が嬉しいというのか。理解できない。
しかし、そんな彼女をなぜか吸い込まれたように見つめてしまう。なぜか、目が離せない。
そんな自分は意味の分からないことで嬉しそうに笑うフィオラのことよりも、もっと理解できなかった。
「あ、ねえ見てダリアスあっち!綺麗だよ!」
屈託のない明るい笑顔でフィオラが庭園を指差す。その先には黄色のカレンデュラが鮮やかに揺れている。
「……そうですね」
――目の前の少女はただの護衛対象に過ぎない。自分の通過点でしかない。しかし、彼女は少し眩しい。眩しすぎて直視できないと思うくらいに。
***
「そう……。フィオラは毎日治癒魔法を頑張っているのね」
「はい」
騎士棟近くの小さな中庭の長椅子にイゾッタが座っている。そんな彼女を横目でちらりと見て、ダリアスは練兵場の方向へ視線をうつす。彼は心の中で溜息を吐いていた。
初めて顔を合わせて以降、定期的に彼女はここへやって来る。フィオラに家庭教師が来ていたり体調を崩したりして、自分が鍛錬をしている時に。
そして取り留めのない話やフィオラのことを聞いてから帰って行くのだ。きっと妹のことが心配なのだろう。
(……戻りたい)
しかしそれはダリアスにとって邪魔以外の何でもなかった。フィオラの護衛についている日は早朝と夜にしか鍛錬ができない。終日鍛錬に充てられる日をくだらない雑談で無駄にしたくはなかった。
相手は大公令嬢なのだから我慢せねば。そう考えながら、ダリアスは今日の鍛錬の予定を頭の中で組みつつ適当に相槌を打っていた。
イゾッタはずっと笑顔で何やら話し続けている。最近はこんなことを勉強しているだとか、将来の縁談の話だとか、周りからこんなことを言われただとか。すべてが彼にとってどうでも良い話ばかりだった。
薔薇の匂いが鬱陶しい。高い声が煩わしい。話している内容もつまらない。
「だから私は大公令嬢として学ぶことが多いのだけど、先生方がいつも褒めてくださって本当に嬉しいの。フィオラが病弱な分、私が頑張らないといけないじゃない?」
「……そうですね。ご無理なさらないように」
「ふふっありがとう」
(……ある種、精神鍛錬だな)
心の中で再び溜息を吐きながらふと空を見上げると、そこには青空が広がっていた。フィオラの瞳を彷彿とさせる澄んだ青色の空が。
フィオラの話だっていつも取り留めのないことばかりだ。それなのに、なぜ彼女の話は不快に感じないのだろう。
――彼女は今頃、何をしているだろうか。
天真爛漫なフィオラの笑顔が頭に浮かぶ。ここにはいない彼女のことをぼんやりと思っていたところで風が吹き始める。ダリアスは砂埃に混じってスミレの香りが漂った気がした。




