少女
執務室を出てすぐにフィオラがくるりと振り返る。ドレスの裾がふわりと翻る。
「私、専属護衛騎士って憧れてたんです」
「……護衛に敬語など不要です」
明るい笑顔で話す彼女にダリアスは淡々と返す。
「あ、ごめんなさい。教えてくれてありがとう」
前髪を触りながらフィオラはぎこちなく笑って恥ずかしそうに俯く。
今目の前にいる少女からは不遜な印象は受けない。流石に初対面の人間には高慢に振る舞わないのだろうか。それとも伯爵家より下の人間に対してのみ我儘になるのだろうか。
ダリアスがそんなことを考えているとフィオラが言葉を続ける。
「ねえ、貴方は私のことを守ってくれるの?」
「はい。それが仕事ですので」
すると彼女はぱっと花が咲いたように笑う。
「嬉しい!ありがとう!」
「……礼には及びません」
そもそもそれ以前に守られるような状況に陥らない方が良いのでは、と口から出そうになるのを彼は抑えた。
癇癪持ちであろう令嬢に余計なことは言うまい。どうもこの少女は自分の調子を狂わせる。ダリアスは奥歯を噛んだ。
「ところでお嬢様、今日のご予定は」
「あ、今日も明日も施療院に治療に行くの」
フィオラの返答にダリアスは小さく眉根を寄せる。その答えは彼が予想していたものと違っていた。
彼女はカーテシーすら年齢相応にできていない。作法もろくに学んでいないであろう彼女はきっと怠惰な人間なのだろう。そう考えていた彼は、てっきり彼女が悠々自適に過ごすのだろうと想定していた。
(いや、聖女と呼ばれているのだから治癒魔法くらいはしないと格好がつかないか)
「かしこまりました」
窓から陽射しが差し込み、屈託なく笑うフィオラを照らす。その眩しさにダリアスは僅かに目を細めた。
***
「大丈夫ですか」
「ありがとう。大丈夫」
目の前の少女の額が汗ばんでいる。その滴が流れ落ちる様を彼は静かに見つめていた。
休憩を取ることなく終日治癒魔法を施し続けたフィオラ。笑ってはいるがその表情には明らかに疲労が滲んでいる。
(……意外だな)
与えられた責務を果たすのは当然のことだ。どれだけつらくとも苦しくとも、自分がそれを受け入れた以上責務は果たさねばならない。ゆえに、フィオラが領民を治療するのも当たり前のことだ。
しかし、彼はもっと文句を言いながら治療するのかと思っていた。彼女は大公令嬢かつ聖女と呼ばれる身でありながら、たかが見習い騎士を護衛にあてがわれるような我儘令嬢なのだから。
その彼の予想に反して、彼女は真摯に一人ひとり対応していた。いちいち数えてはいないが、相当数の人間を治療していたはずだ。にも関わらず彼女は不満は一切口にせず、今もなお笑顔が崩れることはない。
当たり散らされる覚悟をしていた彼にとって、それはいささか拍子抜けだった。
(仕事には責任を持つということか)
彼女に対する小さな違和感が胸に落ちるものの、気のせいだろうと蓋をする。そもそも彼女が傲慢であろうとなかろうと関係がないのだから。ただ職務を果たすだけなのだから。
***
「聖女様~。ちょっとこの傷治してくれませんかぁ?」
「先に治療の約束してて……。終わったら行くね!」
「えー、そうなんですかぁ。早くしてくださいね」
「あ、うん。ごめんね、なるべく早く行くね」
護衛について数日、ダリアスは目の前で繰り広げられる主と使用人のやり取りを見つめていた。
放っておいても治るような明らかに小さな怪我。それなのにわざわざ呼びつける使用人たち。まるで彼女が彼らの使用人であるかのように。血は繋がってはいないが、彼女は彼らの主である大公の娘だというのに。使用人たちから親しみを持たれているのか、それとも……。
「差し出がましいようですが」
「え?」
「権威ある立場の者が下の者に取る対応としてはいかがなものかと」
数日フィオラの護衛を務めて、ダリアスの彼女への認識は二つ改められていた。まず一つ目は、フィオラは高慢ではないということだ。むしろ彼女はお人好しの類の人間だとダリアスは感じていた。彼女は自ら損を買って出るように見える。一般的にはそれは良しとされるのかもしれない。けれど大公令嬢としては、過剰に下の者にへりくだっているように見えるその対応はあまり良くないはずだ。ダリアスはそう考えていた。
「そうかな?駄目かな?」
きょとんと首を傾げる彼女に気持ち悪い何かが込み上げてくる。それをごくりと飲み込んで彼は口を開く。
「お嬢様の対応はノブレス・オブリージュとは違うように見えます。それでは周りの人間は付け上がるだけでは」
ダリアスが告げるとフィオラは一瞬目を瞬かせ、それからにっこりと笑った。
「ノブレス・オブリージュなんてそんな立派なこと、私考えてないよ」
彼女はそう言って言葉を続ける。
「みんなが私を必要としてくれて嬉しいから。それに応えたいから。それだけだよ」
貴族らしからぬ、そして大公令嬢らしからぬ発言。眩しい笑顔を浮かべる彼女にダリアスは小さく顔を顰める。
やはり彼女は貴族としての知識をろくに学んでないのだと。




