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残酷な気づき

フィオラは気づけば走り出していた。早く自室へ戻りたい。いや、自分の部屋でなくとも構わない。とにかく、あの場から離れたい。


きっと自分は今酷く醜い形相をしていることだろう。それを誰にも見られずにすんだことがせめてもの救いだった。


胸が苦しい。息が苦しい。


息を切らしながら回廊で立ち止まる。呼吸が定まらない状態で手の中にある木彫りのうさぎを見ると、様々な感情が込み上げてくる。それが怒りなのか悲しみなのか悔しさなのか、はたまたもっと別の感情なのか。ぐちゃぐちゃに絡まって解けず雁字搦めになっていた。


胸の奥がずきずきと痛む。


「……っこんなの……いらない……!」


先ほどまで宝物のように扱っていたうさぎを思い切り振り上げる。けれどうさぎが弧を描くことはなく、こつんと音を立ててフィオラの足元に悲しげに転がる。


「……ふっ……うう……っ」


フィオラは膝をついて嗚咽を漏らす。床に染みがぽたりぽたりと落ちていく。涙がとめどなく零れて止まらない。震える手を伸ばし、虚しく転がるうさぎに触れる。


「捨てられない……っ」


決して大した物じゃないのに。このうさぎに意味なんてないはずなのに。


でも、それでも、本当は嬉しかったのだ。


砂糖菓子の時とは違って人から貰った物ではない。ダリアスが自ら選んでくれた物。ただ、たったそれだけのことが。


なぜかは分からないけれど、嬉しかったのだ。


フィオラはうさぎを手に取った。そして胸元でぎゅっと握りしめ、顔を寄せる。


「馬鹿みたい……」


自分が何に傷ついているのかよく分からない。


ダリアスが姉と話していただけなのに。非番の日に誰と何をしようが彼の自由じゃないか。彼が誰を抱きしめようとも、誰と恋仲であろうとも――。


「……っ」


ダリアスがイゾッタを抱きしめていた姿が脳裏に過(よ)ぎり、涙がさらに溢れてくる。


健康的で美しい姉。誰の心をも掴み皆から愛される姉。ダリアスが彼女を選ぶのは何もおかしいことはない。


けれど、どうして寄りにもよって姉なのか。


イゾッタは自分を騙していた人間なのに。たった一人の妹が魔物に襲われるように魔物寄せを渡したというのに。自分が死んだ一番の原因は、姉なのに。ダリアスはそんな人がいいと言うのか。


「どうして……」


三年以上ずっと傍にいたのは自分だったのに。ずっと思っていたのに。自分だってダリアスを――。


(今……私何を……)


フィオラは自分でも思いもよらない思考に固まる。自分だってダリアスを?自分は何と続けようとしていた?


確かに死ぬ前はずっとダリアスに恋心を抱いていた。けれど死んでからはそうでなかったはずだ。思いは断ち切っていたはずだ。


そのはずだったのに。


(……ああ……そっか……)


ダリアスの些細な表情の変化を気にしてしまうのも。ダリアスの行動をいちいち目で追ってしまうのも。ダリアスの対応に意味を求めてしまうのも。ダリアスの言葉に傷ついてしまうのも。ダリアスだけは触れても恐怖心が湧かないのも。


――すべては、彼のことが好きだから。


断ち切れてなんかなかった。誤魔化そうとしてただけだった。気づかない振りをしてただけだった。ずっと変わらず好きなままだった。


涙と一緒に乾いた笑いが込み上げてくる。


「気づきたく……なかったなぁ……」


胸元のうさぎをぎゅっと握りしめる。気持ちを自覚してしまえば答えは簡単だった。好きな人が自分のために選んで買ってくれたもの。だから嬉しい。だから捨てられない。だからよく見える場所に置きたい。だから早く礼を言いたかった。


(馬鹿みたい……)


もう誰も信じないと決めたのに。過去に散々痛い目に遭ったのに。最後には命まで落としたというのに。それなのに。


愚かにもまた、ダリアスを信じようとしてしまった。信じたいと思ってしまった。好きだから。


――『やっていいことと悪いことの分別くらい身につけておかれるべきかと』


――『怯えきった態度はお控えいただきたく存じます』


――『自己犠牲精神の結果がそれですか』


あれだけ冷たくされたのに。あれだけ嫌味を言われたのに。性懲りもなくいまだにダリアスを思ってしまうなんて、自分はなんて愚かで浅はかで無様なんだろう。


いっそ嫌いになってしまいたい。自分の気持ちを否定してしまいたい。けれどもう、否定することなんてできなかった。


「どうして……お姉様なの……」


自分がダリアスに相応しいとは思わない。人に疎まれ嫌われ死を願われ、魔法も正しく使えない出来損ないで、人を信じることすらやめてしまった人間なのだから。


確かに姉は賢く美しい。ダリアスが好意を持つのもよく分かる。けれどそれでも姉だけは。自分が魔物に襲われるように、死ぬように仕向けたイゾッタだけは、選んで欲しくなかった。




フィオラは月夜をぼんやりと見ながら静かに涙を流し続けていた。


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