希望
「も、申し訳ございません!」
侍女がバタバタと土下座をする。頭がおかしそうに見えた、ということに対しての否定はしないのか。乾いた笑いが込み上げてきそうになる。
侍女が自分に怯えていることは間違いない。けれど根本的には自分を馬鹿にして、下に見ているのだろう。
フィオラの脳裏に、以前自分ではなくイゾッタにのみ礼をして退室をした侍女の様子が浮かんでくる。
(……これ以上舐められてたまるもんですか)
フィオラはうさぎを持ち直し、ゆっくりと侍女へと歩みを進める。そして土下座をしながら肩を震わせている侍女の前で立ち止まり、口を開いた。
「……ダリアスが、これを?」
「は、はい……その……」
「なぁに、聞こえない」
そう言ってフィオラは侍女の髪を思い切り引っ張って無理やり顔を挙げさせた。侍女の呻き声をあげるが、フィオラは不気味な笑顔で言葉を続ける。
「ダリアスが露店でこれを買ったって言ってたの?」
「は、はい……っ。昨日の非番の際に見つけて、お嬢様に買われた、と」
「私に買ったのね?間違いないのね?」
「は、はい!」
フィオラが手の力を緩めると、侍女は必死にこくこくと頷く。
「……そ。分かったわ。もう下がっていいわよ」
それだけ答えてフィオラは侍女を解放する。侍女は慌ただしく礼をして逃げるように部屋から出て行った。それを見届けると、フィオラは手元に視線をうつす。
小さな木彫りのうさぎ。素朴な木の色。丸みを帯びた耳。簡素な造り。
「……これを、ダリアスが……」
ぽつりと呟く。
彼は昨日は非番だった。つまり、ダリアスには自分のために時間を使う必要などなかったということだ。騎士としての仕事もない。護衛の必要もない。
それなのに。露店を見てその中からこれを見つけて。わざわざ買って。しかも、自分に渡そうとしていた。
「……どうして?」
もちろん答えが返ってくるはずがない。部屋に静寂が落ちる。
「……意味分かんない」
けれどその口元はほんの少しだけ、緩んでいる。それに気づいたフィオラは、慌てて唇を引き結んだ。
「……何を喜んでるのよ」
口元を手で押さえる。
別にこんな物は大したことではない。たかが木彫りのうさぎだ。それなのに。胸の奥に張り詰めていたものが、ほんの少しだけ解けている気がした。
香り袋によって引きずり出された死の恐怖も、ダリアスからの切迫感のある問いかけの謎も。
フィオラはベッドに腰掛けて、木彫りのうさぎをじっと眺める。
もし、もしも。彼が本当に自分と同じく一度死を経験しているのならば。
「もしかしたら、協力、してくれたり……」
そう口にすると、胸の奥に小さな光が灯ったような気がした。
今まで自分は、ずっと一人だった。誰にも話せない。話しても信じてもらえない。仮に信じてもらえたところで、味方なんていなかった。
死んだ記憶も、未来で起こったことも、これから自分に待ち受けている死も。すべてを自分一人で抱えて、どうにかしなければならないと思っていた。けれど……。
もし彼も一度命を落として過去を知っているのなら。自分の話をきっと信じてもらえるだろう。それどころか、協力すらしてもらえるかもしれない。だってきっと、彼だって今度こそ死にたくないだろうから。
そう考えた瞬間、胸の奥が少しだけ軽くなった。
自分が死なないために、何をすればいいのか。何に気をつければいいのか。誰にどう対応するのが最善なのか。あの最期の日までに、何を変えればいいのか。
――自分一人では分からないことも、二人なら。
そこまで考えたところで、フィオラはふと気づく。自分でも驚くほど、気持ちが前向きになっていることに。つい先ほどまで、頭の中は濃霧のよう靄がかかっていたというのに。
フィオラは微笑みながら木彫りのうさぎをそっと戸棚の上に戻す。そして、眉根を寄せる。
「……何か、違う……」
そう呟きながらうさぎを手に取り、今度は寝台の脇にあるサイドテーブルへと移す。こちらの方がよく見える。フィオラは満足気に口角を上げた。
かと思えば、彼女は視線を彷徨わせておもむろにクローゼットへと向かう。取り出したのは薄手のローブ。それを羽織ると彼女は再びうさぎを手に取る。
「せっかく買ってくれたんだから……」
礼くらい言うのが筋だろう。そう考えてフィオラは歩き出す。
夜も遅いのだから、別に今でなくてもいい。明日でもいい。けれどやはり、今がいい。
早く礼が言いたい。そして聞きたい。本当にダリアスも死に戻っているのかと。そして打ち明けたい。自分も死んで、三年前に戻ってきているのだと。
――『守るから、頼れ』
以前ダリアスに言われた言葉が脳裏に過ぎる。何度も心の中で繰り返す。
誰も信じられない。
だけど彼だけは、ダリアスだけは。信じてみてもいいのかもしれない。
フィオラは部屋の扉へ向かう。
その足取りは、先ほどまでとは比べものにならないほど軽かった。




