死の経験
今もなおダリアスがフィオラを離す気配はない。握られたところが熱い。けれど、それがダリアスの熱なのかフィオラの熱なのか彼女には判別できなかった。熱さが腕から全身に広がっていく感覚が気持ち悪い。
「ちょっと、ねぇ?聞いてるの?どうしたの?」
しっかりと腕を握ったまま離そうとしないのに、その割には何も言おうとしない。理解できない彼の言動に彼女は困惑していた。
「お嬢様は……香り袋がお嫌いなのですか」
壊れたかのように同じことばかり聞いてくるダリアスに彼女は眉間に皺を寄せる。
「そうよ。そう言ったじゃない。何でそんなこと……」
「……なぜ」
「え?」
「なぜ、お嫌いなのですか」
「なぜって……」
そんなこと、言えるわけがないじゃないか。実は自分は死んで今は二度目の人生を生きていて、過去の死因に香り袋が直結しているから……だなんて。正気の沙汰とは思えない発言を、ダリアスに言えるわけがない。気でも狂ったのかと嫌味を言われるに決まっている。
フィオラは喉を上下させ、そして目を伏せる。
「……香り袋には嫌な思い出があるから……それだけよ」
彼女の返答に彼は何も言わなかった。あれだけしつこく何度も聞いておきながら、何も。考え込むようなダリアスの表情に、フィオラの胸には漠然とした妙な不安が広がってゆく。
「どうしたのよ……?本当に貴方変よ?何なのよ?」
「……イゾッタ……お嬢様から渡された香り袋ですか」
「……っ!」
思いも寄らない言葉にフィオラは目を見開く。心臓を直接握りしめられたような衝撃を受ける。視界がなぜだか定まらない。目の前にいるはずのダリアスがぼやけて見える。
――どうして、ダリアスが。
「な、何言って……」
過去にフィオラがイゾッタから香り袋をもらったのは、たった一度だけ。あの、最期の日だけだ。
そして彼女が姉から香り袋を渡された事実は、誰も知らないはずだ。それを他の誰に見せることもなく、フィオラは魔物に殺されたのだから。
フィオラの背筋に冷たい汗が流れる。
「貴女は……」
ダリアスは言葉を続ける。
「……貴女は、命を落とした記憶があるのですか」
あまりに唐突で、脈絡のないその言葉。けれどフィオラの血の気は一気に引いていく。
「……何、を……」
彼女の口から零れる声は震えている。明らかに動揺していると捉えられてしまう自身の声音に気づき、フィオラは一度ごくりと唾液を飲み込む。
「ダリアス、貴方何を言っているの……?」
「答えてください」
「……っ」
真剣な瞳から逃げるように視線を逸らそうとする。けれど、それを許さないかのようにダリアスの手が再び彼女の腕を掴んだ。
「離してよっ」
彼がフィオラの命令を聞くことはなかった。腕の力は少しも緩まない。拘束されているのはフィオラの方なのに、彼女ではなくなぜかダリアスが苦しそうに眉を寄せる。
「確かめたいだけです」
「……何を?」
「お嬢様が……」
そこで言葉が途切れる。フィオラがダリアスをじっと見つめるも、その表情からは何も分からない。ただ、彼はいつもより僅かに焦っているように見える。
――ダリアスは何かを知っている。
それだけは、もう疑いようがなかった。
(……もしかして)
――もしかして彼も、自分と同じものを抱えている?
(……ダリアスも、死んで、過去に……)
そんな馬鹿げた考えが頭を過ぎり、フィオラは頭を振った。
まさか、そんなことがあるわけがない。だってあの時、殺されたのは自分だけだったのだから。あの場には、自分しかいなかったのだから。
けれど、もし……もしも。万が一ダリアスも一度死んで人生をやり直していたとしたら。
そこまで考えてフィオラは目を瞑る。
それでも、彼に馬鹿正直に話していいわけがない。話せるわけがなかった。
もう、疑うことを知らない純粋だったフィオラには、戻れない。
彼女はきつくダリアスを睨みつけた。
「……っ何変なこと言ってるのよ!?ダリアス貴方おかしいんじゃないの!?そんな変なこと言って、貴方こそ一度死んでるんじゃないの!?」
必死に腕を振りほどこうとするも、びくともしない。あの青灰色の瞳に見つめられ続けるとすべてを見抜かれてしまう気がする。
だから、少しでも彼から離れたいのに。
「……だとしたら?」
「え?」
「……私が一度死んでいるのだとしたら、貴女はどうなさるのですか?」
「……は?」
まっすぐに射抜くダリアスの双眸。その瞳に宿るものが何なのか分からず、フィオラは懸命に考えを巡らせる。
何と答えるのが正解なのか。どう言えば彼は納得するのか。彼の意図は何なのか。そもそも、本当に彼も自分と同じく死んで三年前に戻ってきているのか。
「し、知らないわよそんなの!私は死んだことなんてないもの!貴方やっぱり頭おかしくなったんじゃないの!?」
必死に考えたにも関わらず、あまりにお粗末な返答。けれどダリアスは何も言わない。窓の外では夕暮れの名残が夜の闇へとゆっくりと溶けていた。




