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呼び起こされる


カルロが部屋を後にした瞬間、フィオラは息を吐いた。重たい何かが肩にのしかかったような疲労感にどっと襲われる。


「お疲れですか」


「だからそう言ってるじゃない」


鬱陶しそうに顔の前で手を振ってダリアスを下がらせようとするが、彼は部屋から出て行かない。それどころか探るようにじっと見てくる彼に、フィオラは居心地の悪さを感じる。


「用事があるなら早く言って。ないならさっさと出て行って」


「……来週」


「え?」


中途半端に言葉を止められ、思わず顔を上げて聞き返してしまう。


「来週私は非番をいただいておりますが……」


「ああ、そうだったわね。それが何?」


歯切れの悪い喋り方に若干の苛立ちを覚えているとダリアスにそう言われ、彼女はそういえばと思い出す。けれどわざわざ自分に言うことではないだろう。しかも、明日明後日ではなく来週の話を。フィオラは小首を傾げた。


ダリアスは口を開きかけるが、躊躇うように唇を固く閉じて奥歯を噛んだ。あまり見られない彼の行動に、彼女はますますその意図が読めず眉間に皺を寄せる。


「……いえ。私がいないからと言ってご無理なさらないように」


ようやく彼の開いた口から出てきたのは小言に近い言葉だった。


「もったいぶっといて言いたいことがそれなの?分かってるわよ。いちいちうるさいわね。早く出て行って」


「……失礼します」


そう言うとダリアスは静かに部屋から出て行った。


(意味分かんない……)


最近のダリアスは不可解な言動が多すぎて混乱する。今の自分にはそんなことに心を割く余裕なんてないのに。


自分しかいない部屋で何度か深呼吸をしてようやく、彼女は自身の身体に酸素が染み渡っていくのを感じていた。



***



「……っできた!」


「いいですね!今日は順調じゃないですか!」


ダリアスが非番だった日の翌日、その日の訓練はかなり調子が良かった。魔力を体内に取り入れることに関しては一度も失敗することがなかったし、そこから治癒魔法への以降も五割は成功していた。


フィオラの口角が自然と上がる。目尻も勝手に緩んでいく。こんな満足感に満たされたのは、死んでから初めてのことだ。


(嬉しい、嬉しい……やっと、ここまで)


まだ、ようやく正しく魔法を使えるようになってきただけだ。これを自然に使いこなせるようになって初めて魔力制御の訓練へと移行する。


現段階では魔力制御のスタート地点に立ててすらいない。でも、それでも。フィオラはこの小さな一歩が猛烈に嬉しかった。


「お嬢様ご機嫌ですねぇ」


「う、うるさいわね。そんなことないわよ普通よ」


カルロの揶揄うような口調に、フィオラは締まりのない顔を戻そうと頬を押さえながら言葉を返す。いつもは腹立たしく感じる彼の軽口すら、今のフィオラには気にならなかった。


(これで、死ぬ可能性が少しは減ったはず)


喜びを抑えられていない彼女を見て、カルロは微笑みながら口を開く。


「そんなお嬢様の手助けになるといいんですが……」


がさがさと革鞄を漁るカルロにフィオラは眉根を寄せる。


「何のこと?」


「並行して心を落ち着けて五感を刺激できたらいいなと思いまして、香りと魔術の相互関係を研究してる先輩に協力してもらったんですよ」


「だから、何なのよ?」


カルロの言葉の意味がよく分からず、彼女は訝しげに彼の手元を注視する。そして、目を見開いた。


「……っ」


言葉が出てこない。思わず咄嗟にポケットに入れている小石を巾着袋越しにぎゅっと握る。


「そ、れ……」


「香り袋です!魔力を円滑に体内を循環させる先輩特製の効果付きです。ちゃんとお嬢様の香油に合わせて柑橘系の香りなんですよ」


――香り袋。


その存在を見るだけで、彼女の高揚感は一気に氷点下まで落ちていく。香り袋はフィオラの中で自分の死の象徴だった。


昨日のことのようにあの死の間際の記憶が蘇ってくる。甘い香り袋の香り。それを奪い合う魔物の姿。そして――。


全身の毛が粟立つ。頭が真っ白になる。顎が震える。


カルロが何か説明をしているが、フィオラの耳にはまったく入ってこない。彼女の頭も心も、恐怖に支配されていた。


「というわけで、これをお嬢様にお渡ししたくて……」


いつもはフィオラの機微に気づくことの多い彼だが、魔塔の研究成果物に興奮しているのか彼女の異変には気づかない。上機嫌にカルロが彼女に香り袋を差し出したその時だった。


「……っ!やめてっ!」


フィオラがカルロの手から香り袋を払い除け、音もなく惨めに香り袋が絨毯へと落ちる。


「お、お嬢様?どうされました?」


そこでようやくフィオラの変化に気づいたカルロが困惑した様子で声を掛ける。けれどフィオラは浅く呼吸をするのがやっとだった。


つい先程までは順調だったのに。万能感すらあったのに。いとも簡単に過去に引きずられてしまう。なんて無様なんだろう。


そんなことを考えながらフィオラは必死に呼吸をしていた。


まるでどうにか生きようと足掻くみたいに。


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