香り
「貴方、他人事だと思って危機感が足りてないんじゃないの?こっちは命がかかってるっていうのに呑気過ぎるわよ」
恨めしげに話すフィオラの刺々しい声を受け、カルロは誤魔化すように顔の前で手を振りながら口を開いた。
「いやいや。必要以上にお嬢様が切羽詰まっていらっしゃるから場を和ませようとしているだけですよ」
「和まないわよ。大体貴方って……」
「ですが、焦ったところで状況は変わりませんよ?それどころか空回りして余計習得に時間がかかってしまいます。……現在のように」
話していたのを遮られた上に、彼の表情は笑顔から一転真剣な面持ちへと変わる。さらに正論で諭されてしまい、フィオラは何も言えなくなってしまう。
「焦るお気持ちは分かります。でもやはり、お嬢様の場合は心穏やかでいることが成功の近道だと思いますよ」
「わ、分かってるわよ。そんなこと……」
だんだんと尻すぼみになっていく己の声が恥ずかしい。けれどフィオラには必死に虚勢を張ることしかできない。
分かっている。分かってはいるのだ。
けれど、頭で理解していても心がそれを拒否してしまう。そんな悠長にする余裕はないだろうと責め立ててくる。そして成功させようと意気込んだ結果、カルロに止められる。
(……悪循環だって、分かってるのに……)
フィオラはドレスをギュッと握りしめたまま何も言えずにいた。
「……大丈夫ですか」
不意に隣に気配を感じたかと思うと、右からダリアスの声が降ってくる。いつの間にか隣に来ていた彼の顔を見上げると、その端正な顔は小さく歪んでいる。
「ダリアス?一体何を……」
そこまで言ったところで彼女の言葉は止まる。ダリアスの手が自身の頬に触れていたからだ。
「な……っ」
「顔色がよくない」
そう言いながら覗き込むように見てくる青灰色の瞳に、フィオラの心臓は大きく跳ねる。顔色がよくないと言うが、今の自分はみるみるうちに赤色に染まっていることだろう。それに気づかれたくなくて、彼女は顔を逸らした。
「だ、大丈夫だから!カルロ、続けるわよ!」
どうにかこの場を切り抜けようとカルロへと向き直ったその瞬間、魔道具によって可視化されていた魔力の光が次々と消えていってしまう。
「あ……」
「今日はこれまで、ですね」
そう言いながらカルロは魔道具を革鞄へと仕舞う。そしてそういえば、と言葉を続けた。
「今日初めてイゾッタ様をお見掛けしたんですけど、お綺麗な方ですね。美人姉妹ですねぇ」
他愛のない雑談のつもりだったのだろう。けれどフィオラの身体は、心は、その言葉だけで一気に冷えていく。
「そ、う……。お姉様……と……」
カルロの言う通りだ。イゾッタは美しい。誰からも疎まれることはない。皆に慕われ、敬われている。そう、自分とは違って。
そんな姉が、フィオラの自慢でもあった。
――命を落とした、あの瞬間までは。
「通りすがりに挨拶しただけですけどね。イゾッタ様のあの香りは何なんですかね?薔薇の香油ですかね?お嬢様とはまた全然違いますよね。お嬢様の香油は……って、お嬢様!?大丈夫ですか!?」
「……あ、……え……?」
「顔色が真っ青です!お手を!」
そう言ってカルロは慌ただしく治癒魔法を施そうとするが、フィオラはそれを手を上げてそれを制止する。
「……疲れただけだから、大丈夫」
「ですが……」
「いいから」
せめて回復を促進できるように、と簡単な魔法を手際よく施していくカルロ。それをぼんやりと見ながら、フィオラは彼が話の途中だったことをふと思い出した。
「……確か貴方話の途中だったわよね、何だったの?」
「あ、いえ。体調が優れない中で無理に聞きたい話では……」
イゾッタと話をするたびに、イゾッタの話をするたびにいちいち動揺して心身に不調をきたしていては話になりやしない。
ここで話すことからすら逃げていては、いつまでも自分は変われない。
「いいから。話して」
「いえ、本当に大した話ではないんですよ。お嬢様の香油の種類を伺いたかっただけで」
その言葉にフィオラは眉間に皺を寄せる。
「はぁ?女の香油の種類なんて聞いてどうするのよ?何か変な趣味でもあるわけ?」
あからさまに怪訝そうな顔を向けてくるフィオラに、慌ててカルロは口を開く。
「いやそんなつもりはなくてですね……」
「ネロリとシトロンよ」
カルロに特殊な趣味があろうとなかろうと興味はない。いや、多少気味が悪いとは思うが、自分に直接的に関わりがなければどうでもいい。それよりも、カルロの趣味の事情を聞く方が不快な気分になりそうだ。
そう考えたフィオラは、早く会話を切り上げようと彼の説明を遮り回答した。イゾッタの話を延々と聞かされる覚悟をして話を切り出したのに、何だか肩透かしを食らった気分になりながら。
「柑橘系がお好きなんですか?」
「気分をすっきりさせたいから。それだけよ」
(本当は違うけど……)
過去のフィオラはスミレとリンデンの香油を好んで身にまとわせていた。あの甘く柔らかな香りが好きだった。けれど……。
フィオラは瞳を閉じる。瞼の裏に浮かぶのは、死んだあの日にイゾッタから渡された香り袋。――あの濃厚な甘い香りの、魔物寄せ。
あの日以来、フィオラは甘い香りをすっかり受け付けなくなってしまっていた。




