試みる
「見えるって……分かりやすいのね」
何年も生活している部屋。見慣れた部屋。そのはずなのにまるで違う世界に迷い込んだような感覚に陥りながらフィオラは小さな声で呟く。
「そうですね。魔力が見えずとも正しく魔法を使えるようになるのが一般的なので、そもそも見えるようにする必要はないんですけどね」
カルロの言葉にフィオラはぎろりと彼を睨む。
「一般的じゃなくて悪かったわね」
「あー、すみません。嫌味とかじゃないんですよ。まぁ要は、お嬢様の場合は見える状態から始めてみましょうってことです」
苦笑しながらカルロは言葉を続ける。
「では、魔道具の効果が切れないうちに魔力を体内に取り入れる練習をしましょうか。そうですね……。息を吸う時に魔力を取り入れて、吐く時に放出するイメージをするとやりやすいかもしれません」
そう言ってカルロは実際にやって見せる。彼が目を閉じて息を吸うと、周囲を漂っていた光の粒が揺らめき、その身体に吸い込まれていく。そして彼がゆっくりと息を吐くと、今度は彼の手から青白い炎がふわりと浮いて静かに消えていく。
(すごい……)
――その様子は、あまりにも自然だった。
カルロは言っていた。外界から魔力を取り入れて魔法を使うのは、赤ん坊が誰にも教えられずともハイハイをするのと同じくらい当たり前のことだと。
魔力を可視化して実際にカルロがしていることを目の当たりにすると、フィオラはまざまざとそれを納得させられた。彼は本当に自然に魔力を取り込んでいる。力を込めている様子も一切なかった。
――自分に、できるのだろうか。
「こんな感じです。お嬢様もやってみましょうか。さぁ私の手を握って」
笑顔で言いながらカルロは手を差し出す。その言動にフィオラは首を傾ける。
「やるのは構わないわ。でもどうして貴方の手を握らないといけないわけ?」
彼女の問いにカルロは目を瞬かせる。
「え?お嬢様お一人では、魔力を取り入れられてるかご自身の生命力を魔力に変換しようとしているかをすぐに判断するのは難しいでしょう?」
「でも、可視化してるんだから魔力が体に入っていくかは見えるじゃない」
「それでは遅いです」
少し言葉を被せるような形でぴしゃりと言い切られ、フィオラは思わず口を噤む。彼は彼女を真剣な面持ちで見つめて口を開いた。
「一瞬でもご自身の生命力を使えば、必ず何かしらの代償が出ます。そうなる前にすぐに気づけるように、私がお嬢様の魔力の流れを感知する必要があるんです」
「……分かったわ」
フィオラは僅かに目を伏せて小さな声で呟く。浅慮な自分が何だか情けなかった。
けれど彼女のそんな様子を気にすることなく、カルロは自身の腕をまくる。そこにはいくつかの切り傷があった。フィオラの伏せた視界に傷が目に入る。まだその傷は新しく、みみず腫れのような跡もあり、痛々しく見える。
「え、何これ、どうしたの?」
「今朝先輩の実験に付き合ってた時にやらかしまして。お嬢様の訓練にちょうどいいなと思って治さずにいました」
「……馬鹿じゃないの?」
自分なんかのために傷を治さずにいたなんて。魔塔なら治癒術師だってたくさんいるはずなのに。すぐに治せるはずなのに。
(……見るからに、痛そうな傷なのに)
フィオラは唇を噛む。
彼女のためにカルロが結果的に彼自身を犠牲にした。もしかしたらその自己犠牲に喜んだりありがたがったりする人間もいるのかもしれない。けれどフィオラに喜びの感情はまったく湧かない。
むしろフィオラは何だか嫌なものを体中にべったり塗られたような不快な感情になった。
「……私が失敗したら貴方の傷もそのままになっちゃうじゃない」
体の中心から滲むように広がっていく不快な感覚を無理やり堰き止めて言葉を吐くと、カルロはあっけらかんと笑う。
「その時は先輩に治してもらうのでお気遣いなく」
そう言いながらカルロは手を差し出す。
「わ、分かったわよ」
カルロの手を握れるようになったとはいえ、まだ嫌な緊張感がフィオラの中を駆け巡っていく。小さく息を吸ってからカルロへと手を伸ばすが、触れる直前で手が止まる。
「に、握るからっ」
「はい、どうぞ」
手が止まったのを誤魔化すように宣言をしてカルロの手を握る。フィオラは自身の鼓動が急激に早くなるのを感じた。少しずつ呼吸が浅くなっていく。
――『落ち着いて。息を吐いて』
不意にダリアスの声が脳に響く。感情のこもっていない彼の声が、逆にフィオラに冷静さを取り戻させる。その声の指示に従い何度か呼吸を繰り返すと、それだけで彼女の心はすんなり落ち着いていく。
「……握ったわ」
「では、魔力を取り入れることを意識しながら治癒魔法をお願いします」
穏やかに微笑むカルロにフィオラは小さく頷き、目を閉じた。




