綻び
施療院を出た頃はまだ明るかった青空が、帰りの馬車に乗る頃には赤みがかっている。
結局ダリアスが謝罪の意図を打ち明けることはなかったが、フィオラは特に気に止めなかった。きっと今日とはまた別の無礼な発言の詫びに違いないと考えたからだ。それに、正直なところ彼女の関心はそもそもそこにはない。
フィオラは巾着袋を懐から取り出す。細い糸が織り成す花弁の感触は僅かに凸凹があり、ひと針ひと針丁寧に縫われたことが伝わってくる。
ゆっくりと口紐を解くと小さな小石が掌へ転がり落ちる。角張った、灰色の、小さな歪な小石。
――『これ、おはなみたいなかたちなんだよ!』
改めて見ても、花の形には見えなかった。
「……ふふ」
思わず口元を綻ばせる。
「やっぱり全然似てない」
そう言いながら小石を目の前にかざす。角度を変える。くるりと回す。やはり、花には見えない。
フィオラの瞼の裏に小石をくれた子供の満面の笑みが浮かぶ。宝物を自分に差し出してくれた可愛らしい手も。思い出すだけで胸の奥がじんわりと温かくなる。
彼女は石を再び巾着へ戻すと、そっと口紐を結んだ。宝物をしまうように。大切な思い出を閉じ込めるように。そして巾着を手に握りしめたまま、微笑んで窓の外の流れる景色を眺めた。
「ずいぶんお気に召したようですね」
フィオラの様子を静かに見つめていたダリアスが唐突に話しかけてくる。
「……何よ、悪い?」
「いえ」
フィオラがダリアスをじとりと睨むも、彼はそれに応酬することなく僅かに口角を上げただけだった。
(……笑った……?)
瞬く間にいつもの感情のない表情に戻ったが、そのほんの一瞬の笑顔にフィオラの心臓はざわついた。ダリアスが笑うなど、過去で三年以上の関わりも含めてほんの片手で数えられる程度しかない。
そんな彼がなぜ笑ったのか。自分が何かおかしいことをしていたのか。はたまた変な顔でもしていたのか。何だか急にうなじが汗ばむ。そしてその居た堪れなさの矛先はダリアスへと向かう。
「何で笑うの、馬鹿にしてるわけ?」
「……そのようなつもりはありません」
「嘘。じゃあ何で笑ったのよ。笑われて馬鹿にされたと思わない人なんている?」
フィオラが不満気に言い返すと、ダリアスは小さく眉根を寄せた。
「むしろ、なぜその発想になるか分かりかねます」
「え?」
「笑うことと人を馬鹿にすることは同義ではありません。少なくとも私は、そのような意味で笑った覚えはありません」
正直なところ、笑ったこと自体見間違いだと否定されるかもしれないと思っていたフィオラは、予想していない返事に一瞬言葉を失う。彼は否定したが、彼女には図星を指摘された言い訳だとしか思えなかった。
「でも、どうして笑ったか答えられないじゃない。本当は馬鹿にしてるからでしょう」
フィオラがむっとした顔で言うと、ダリアスは小さく息を吐く。
「……説明が難しいだけです」
「意味が分からないんだけど」
「でしょうね」
あっさりと肯定され、フィオラはますます不満そうに頬を膨らませる。けれど、これ以上押し問答をしても無意味だと悟った彼女は窓へと目を向けた。巾着袋を握る指先に無意識に力が入る。
馬鹿にしたわけではないとダリアスは言った。それなのに、なぜ笑ったのかは教えてくれない。その理由だけが小さな棘のように胸の奥に残り続けていた。
***
「ええ!?お嬢様大人数に治癒魔法かけちゃったんですか!?」
翌日フィオラを待っていたのは、カルロの怒りに近い唖然とした声だった。
「うるさいわね。大きな声出さないでよ……」
片耳を押さえながら鬱陶しそうに言うと、カルロは勢いよくフィオラとの距離を詰める。思わずフィオラは後ずさる。
詰問されることを恐れたわけではない。単純に、怖かったのだ。カルロの勢いが、距離の詰め方が。
頭では分かっている。けれどどうしても重なってしまう。重ねて見てしまう。……庭師見習いのあの男と。
体が震えそうになる。昨日男性に治癒魔法を施した時には大丈夫だったのに。克服できたのかと思っていたのに。それに、カルロはそんな男ではないと知っているのに。
――いや、違う。
フィオラはその考えをすぐに頭の中から消し去った。庭師見習いの男だって最初は自分のことを助けたではないか。どんな人間だって内側にどんな思惑を隠しているか分からない。油断してはいけない。
「ち……」
近いから離れて、そう言おうとした時だった。不意にフィオラの目の前が暗くなる。
「距離が近すぎます」
間にダリアスが立っていた。フィオラに背を向けて。彼女の胸の中に何だか気持ち悪いものが込み上げてくる。自分に背を向けるように間に立つだなんて、まるで自分を庇っているみたいではないか。
今まではフィオラが誰かに手を上げようとすればその腕を掴んだ。容赦なく制した。彼はいつだって自分を止める側の人間だった。それなのに。
フィオラは胸の奥がむず痒くなるのを感じる。
(……違う)
護衛として当然の行動。それだけだ。そう言い聞かせても込み上げてきた気持ち悪さは消えてはくれななかった。




