笑顔の恐怖
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いつの間にか眠っていたようだ。フィオラはのそりと体を起こす。窓の外には雲ひとつない青空が広がっている。
ぼんやりとその景色を眺めた後で、彼女は小さく息を吐いて寝台から足を下ろした。
身支度を整えるために鈴を鳴らして侍女を呼ぶ。手鏡をぶつけて以降は多少改善されたものの、その手つきは乱暴なままだ。
「ねえ、痛いんだけど」
そう言って侍女を睨みつける。一瞬身体を強ばらせるも、彼女は平然とした顔で口を開く。
「そうですか?すみません。ですが、気にしすぎではないですか?この程度で痛がられては困ります」
――舐められている。
胸の奥から苦いものが込み上げてくる。イゾッタには死んでもこんな態度は取らないくせに。フィオラは奥歯を噛み締めた。
「手鏡だけじゃ足りなかったみたいね」
「は?」
侍女は面倒そうな顔をして、もはや返事とすら言えないような返答をする。フィオラはおもむろに立ち上がると戸棚まで向かい引き出しを開ける。中から果物ナイフを取り出して侍女に見せた。
「今度はこれを投げてあげましょうか?」
それとも、と彼女は言葉を続ける。
「直接刺してあげる方がいいかしら?ねえ、どこがいい?」
フィオラはナイフの刃先を指先で撫でながら問う。侍女の顔からみるみる血の気が引いていく。
「な、そんなことできるわけ……」
その言葉を最後まで聞くことはなかった。ヒュッと風を裂く音が部屋に響く。
「ひ、ひぃ……!」
「あーあ。外しちゃった」
恐怖でへたりこんでガタガタと震える侍女を尻目にフィオラは残念そうに呟きながらゆったりと歩き、ナイフを拾う。そして不気味な笑顔を浮かべて侍女の方を向いた。
「次は当たるかもしれないわね」
「ゆ、許して、ください……!も、も、申し訳ございませんでした……!」
必死な形相で勢いよく土下座をする侍女を見て、フィオラは可笑しそうに声をあげて笑う。ナイフをサイドテーブルに置いて姿見の前に移動した。
「いいわ。私は優しいから許してあげる。次からはきちんとしてね」
「は、はい!ありがとうございます!」
先ほどまでとは打って変わって丁寧な手つきで身支度を整える侍女。緊張からかその手は微かに震えている。それを見てフィオラは心の中で苦笑しながら自身の手元へと視線を移動させる。そしてドレスをぎゅっと握りしめた。
(……気づかれなくて良かった)
果物ナイフを取りに行ってからずっと、フィオラの手は僅かに震えていた。もし外れていなければ……。そう考えて背筋がぞわりとなる。
当てるつもりなんてなかった。けれど本当に刺さっていたら、自分はどうしていたのだろう。
けれど、他に選択肢はなかった。
舐められたら、侮られたら、終わりだ。すぐに足元をすくわれてしまう。過去にそうだったように。最期は死へと追いやられたように。
そこまで考えて魔物を思い出しそうになり頭を振る。するとそれをフィオラの不満だと捉えた侍女が焦った様子で口を開く。
「も、申し訳ありません……!お痛みがありましたか?」
「……大丈夫」
フィオラの返答に安堵したように、侍女は再び髪を櫛で通し始める。その様子を鏡越しに見つめながら彼女は小さく目を伏せた。
(私は何がしたいんだろう)
フィオラは心の中で苦笑する。自分のことを追いつめられているように見えるとカルロは言った。けれどそれはきっと、治癒魔法を使っている時だけではない。
自分には何もない。何も持ってない。それは自分でよく分かっている。だからこそ、過去は懸命に尽くしてきたつもりだった。それでも厭われて疎まれて、最後には死を望まれた。
ならば、自分に害をなそうとする人間を攻撃するしかないじゃないか。必死に気を張って死へ近づかないように身を守るしかないじゃないか。
(心を落ち着けるなんて、程遠いなぁ)
そうして身支度を終えた頃、ノックと同時に扉が開いた。
「フィオラ?入るわね」
澄んだ声にどくりと心臓が鳴る。美しい赤色のドレスを身に包んだイゾッタが部屋に入ってくる。するとこれ幸いにと侍女はイゾッタに一礼して、身支度の道具を抱えていそいそと退出していく。
(……私じゃなくて、お姉様に礼をするのね)
そんな考えが一瞬頭を過ぎったが、そんなことはどうでもよかった。イゾッタを見るだけでみるみるうちにフィオラの心拍は早くなっていった。
「フィオラ、魔力制御を学び始めたんですって?順調に進んでる?」
にこやかに話すイゾッタ。彼女の意図が分からない。フィオラは唇を噛んだ。自分の死を望む相手だ。魔力制御を学び始めたことを良しと思っているわけがない。
「そ、れが……あまり……思ったようには、ならなくて……」
たどたどしく言葉を返す。事実を話しただけであるが、この返答は決して間違ってはいないだろう。順調であればあるほど、イゾッタの不興を買うはずだから。
「あら、それは残念だったわね」
イゾッタは悲しそうな顔をしてフィオラへ一歩近づき、彼女の頬へ優しく手を添える。萎縮して後ずさりしそうになるのを必死に耐えながら笑顔で応えた。
「でも」
そう言ってイゾッタは言葉を続ける。
「そうやって訓練が上手くいかないからと言って、治癒魔法を怠っていてはいけないわ。フィオラの治癒魔法を待っている人がたくさんいるのよ?」
恐ろしいほど感情のない笑顔にフィオラの口の中が乾いていく。
「少しくらい身体がきついくらいで休んでいてはいけないわ。今日からまた治癒魔法も頑張りましょうね」




