信じる
「……意味が分からないのだけど」
失礼な話をすることを前置きまでされて、本当は声を荒らげて不敬だと非難するつもりだった。けれど、できなかった。小さな声で納得いかなそうな言葉を吐くのがやっとだ。
――だって、本当は思い当たるから。
ずっと使用人たちにつらく当たられてまともな食事は与えられず、母には駒扱いされて、姉には無視されて。自分は何の価値もない存在。そう思って生きていた。
けれど、治癒魔法を使えるようになってからは違った。母の機嫌が良い時が増えて。姉も話してくれるようになって。使用人たちも笑顔を向けてくれて。
魔法をもっと使えと言われた時も、期待されているのだと思った。頑張れば認めてもらえるのだと。だから苦しくても手を止めなかった。身体が悲鳴を上げても、信じていた。もっと頑張れば褒めてもらえるのだと。
(……違う)
胸が苦しくなる。認められたかったからだけではない。止めたら自分には何も残らないと思っていたからだ。
そして一度死を経験した今は、なおさらだった。もう二度と、あんな無惨な最期は迎えたくない。
カルロの言葉が胸の奥へ静かに沈んでいく。その意味が不思議なくらい理解できてしまったから。
「……私を、可哀想な子供扱いしないでよ」
自分でも驚くほど掠れた声になり、思わず咳払いをする。
「そういう話ではありません。お嬢様はそれくらい追いつめられているように見える、という話です」
はっきりと言い切られ言葉に詰まっていると、カルロは言葉を続ける。
「追いつめられて必死なあまり最大出力で魔力を放出してしまう。私にはそう見えます。だからお嬢様には心を落ち着かせることが大事だと。そう申し上げたいだけなんです」
返事はできなかった。なるほどとも、そうねとも。納得してしまえば、カルロの言ったことを肯定したのと同じ意味になってしまう。
自分が追いつめられて、その日命を繋ぐだけで精一杯の、哀れに藻掻いている人間なのだと。
フィオラは唇を噛んで目を伏せた。
***
「……まだ戻られないのですか」
庭園の長椅子にぼんやり腰掛けたままのフィオラにダリアスが声を掛ける。カルロが帰ってどれくらいの時間が経ったのだろうか。彼女は噴水の水音に耳を傾けたまま彼の方に視線をやり、また視線を前へと戻した。
「心を、落ち着けられるようになりたいの」
「……無為な時間のように思えますが」
小さく息を漏らしてそう言うダリアス。フィオラは目を吊り上げて彼を見た。
「そもそも、落ち着こうとしてどうにかなるものなのですか。無理に抑え込んでいるようにしか見えませんが」
「じゃあどうすればいいって言うのよっ」
「何を焦っておられるのですか」
青灰色の瞳が探るようにじっと見てくる。何もかも見透かされそうな気がしてフィオラはさっと体ごと逸らすも、ダリアスに肩を掴まれ阻止されてしまう。
「な……!離して!」
そう言って顔を上げると、あまりにも近くに整った彼の顔があった。彼に感情は見えない。けれど、その冬の海のような双眸にすべてを見抜かれてしまう気がする。心臓を掴まれるような感覚に陥り、フィオラはせめてもの抵抗のつもりで目を伏せた。
「焦るな。いちいち敵意を剥き出しにするな」
敬語が消えて、胸がひやりとする。敬われる価値も自分にはないというのか。けれど彼の声の迫力に怯み、何も言い返せない。
「だって……」
「何とそんなに戦っているのですか」
言えるわけがない。自分をこの世から消そうとするすべてのものに抗おうとしている。そんなことをダリアスに言ったところで、頭がおかしいと思われるだけだ。
「守るから。頼れ」
――嘘つき。
守ってくれなかったくせに。最後は突き放したくせに。
今自分を捉えている青灰色の瞳は、過去に昏く冷たく自分をどん底に突き落とした。
――あれが貴方の答えでしょう。
信じていたのに。想っていたのに。ずっと傍にいて欲しかった。守って欲しかった。気持ちを粉々にしたのは貴方なのに。
「どうして……今さら……」
言葉にならない。言葉にできない。
なぜ今それを言うのか。その言葉は、過去の貴方に言って欲しかった。
怒りなのか悲しみなのか。自分でも分からない。視界が揺らぎそうになる。フィオラは頬の内側を噛んで必死に堪えた。
「……信じられない」
必死に紡いだその言葉は情けないほど震えている。自分のことが情けなくなる。
「貴方は私のことを守ってくれない。いつだって。だから、信じない」
ダリアスが眉をひそめ、その瞳が微かに揺れる。沈黙の後に呆れたような顔になる。
「誰も信じられないままでは、いつまで経っても心は休まらないかと」
「み……」
――見習い騎士が偉そうに言わないで。
そう言おうとして言葉を止める。
朝も夜も訓練に励んでいたことを知っている。未来で彼がどれほどの騎士になるのかも知っている。
――その努力を嘲るような言葉だけは口にしてはいけない。
「……誰を信じるかは、私が決める。……少なくとも、ダリアスじゃない」
小さく発したその言葉は、二人の間に溶けるように消えていった。




