その理由
カルロがフィオラから手を離すと、水球はぱしゃりと弾けて手を濡らす。
「冷たっ!ちょっと、急に何するのよ!」
「はは、すみません。でも冷たいも五感ですね」
カルロ本人は一滴も濡れていない。悪びれる様子もせず笑う彼に少しムッとしながら、彼女は濡れた手をハンカチで拭く。
「でも、これで魔力が自分の中に流れる感覚を思い出していただけましたね。五感もちゃんと使えてますよ」
カルロは言葉を続ける。
「お嬢様にはもっと気持ちを緩めていただきたいですね」
「……それ昨日も似たようなこと言ってたわよね。心を落ち着けるのが一番大事だとか、土台だとか」
「お、流石です。よく覚えてらっしゃいますね」
「馬鹿にしてるの?」
フィオラが睨みながら言うも、カルロは嬉しそうに笑っている。意味が分からない。つい先日まで大公令嬢を前に肩を強張らせていた人物と同じとは思えない。
「いえいえ、まさかそんな。きちんと聞いていただけてるんだなと思って嬉しかっただけです」
「……馬鹿じゃないの」
「で、どうですか?心を落ち着けるのが大事な理由はお分かりになりますか?」
唇を尖らせるフィオラを軽く躱してカルロは質問する。彼女は眉間に皺を寄せ逡巡するも、答えはなかなか浮かんでこない。そんな自分に次第に苛立ちが募る。そしてその感情の矛先は問いを投げかけたカルロへと向く。
「昨日今日教わり始めたばかりで分かるはずないじゃない!」
すると一瞬カルロの表情が曇る。
「すみません、少し意地悪でしたね」
すぐに彼は笑顔になるも、フィオラは彼の哀しげな表情に戸惑っていた。
なぜあんな表情をしたのだろう。自分が何か傷つけるようなことを言ったのだろうか。いや、特に何も酷いことは言っていないはずだ。フィオラは小さく首を振る。
「理由は二つあります。まず一つ目、単純に心が落ち着いている時の方が外の魔力を感知しやすいからです。そして二つ目は……」
そう言うと彼は真面目な顔でフィオラを見つめる。あまりに真剣な色を帯びたその双眸に、彼女は喉を上下させる。
「体内の魔力路を焼き切らないためです」
「魔力路……?焼き切る……?」
「魔力路は魔力を通る体の中の道のことです。本来魔力は優しく細く、必要な分だけ体内に流すものです。ですがお嬢様の魔力の使い方は違います。常に最大出力で必要以上の量の魔力を流しています」
重みのある声音にフィオラは困惑する。確かに効率が悪そうではあるし、魔力が枯渇しそうな気もする。そんなに深刻な問題なのだろうか。それを察したかのようにカルロは言葉を続ける。
「そんな使い方をしていては魔力路は焼き切れてしまいます。その先にあるのは全身の痛みです」
フィオラは息を呑んだ。その痛みなら知っている。朝起きた時から身体が痛み、時には指先一つ動かすことすらつらかった日々を。原因はこれだったのか、そう思った。しかしそこで、ふと疑問が湧く。
「心を落ち着かせることと、その……最大出力っていうの?関係あるの?」
「お嬢様の場合は大いに関係があると考えています」
「私の場合って?」
何気なく質問するとカルロは僅かに目を伏せる。そして彼はぽつりと呟くように答えた。
「お嬢様は、まるで何かに追い詰められているかのように治癒魔法をしているんです」
「……どういうこと?」
カルロは気まずそうにダリアスに視線をやる。そしてなぜか訊ねたフィオラではなく彼の方を向き直した。訝しげにダリアスが口を開く。
「……何か」
「あの、今からお嬢様に対してとても失礼なこと言いますけど、不敬だからって斬らないでくださいね」
カルロの言葉に一瞬眉をひそめたものの、ダリアスは否定の言葉も肯定の言葉も発さずに目を閉じる。その様子を受諾と受け取ったカルロは再びフィオラの方を向いた。
「な、何よ……」
目の前で自分に失礼なことを言うと宣言され、フィオラの肩に思わず力が入る。どんな暴言を吐かれるのだろう。
(あまりに失礼だったら引っぱたいてやるんだから)
「私は前にもお話した通り平民出身なんです」
「は……?」
思わぬ発言に肩透かしを食らう。彼が何を言わんとしているのかまったく理解できなかった。
「だから、私はあまり治安のよくない場所にも馴染みがあって……。貧民街とか、お嬢様は行ったことがあります?」
「ないわよ」
そう答えてフィオラが首を横に振ると、ですよね、とカルロは苦笑する。
「貧民街には毎日生きていくだけで必死な人間が山程います。特に子供はひどいです。飢えだけじゃなく大人からの暴力も日常茶飯事なので。誰も信じられず目の光を失って、でも必死にどうにか命を繋ごうとしている子供ばかりです」
そこまで言うと、カルロはフィオラを真っ直ぐ見据えた。
「治癒魔法をしているお嬢様の目は、その子供達とどこか似ているんです」




