動揺の警告
瞳が潤みそうなのを必死に耐える。涙は見せたくなかった。弱い人間だと思われてしまうから。フィオラは誤魔化すかのように口を開いた。
「そ、そんなことより、貴方は毎日何をして過ごしてるのよ?私のことばかり探らないでよ」
「あーそうですよね、すみません。私は治癒魔法の他には先輩の研究の手伝いしたりレポートまとめたりしてますね」
「……何それ。私に趣味を聞いたくせに、貴方全然趣味とかないじゃない」
じとりとカルロを見ると彼は笑った。人を安心させるような穏やかな笑顔で。
「そうですね。お嬢様のことをとやかく言えませんよね」
「……馬鹿じゃないの」
フィオラは気づかぬうちに口元を緩める。
「それに貴方、さっきから発言が失礼よ。前回とは全然違うじゃない」
「それは緊張していましたので……。お嬢様とお話して年相応の可愛らしさを感じて安心してつい。私は本来これが素に近いので失礼をすみません」
苦笑するカルロに目を瞬かせる。自分は彼にお茶をかけようとしたり、頬を叩こうとした。それなのにそんな自分に年相応の可愛らしさがあると言ったカルロ。彼の感性がよく分からなかった。
ふと視線を感じて横を見ると、壁際に控え静かにフィオラを見ているダリアスの姿があった。何を考えているのか分からない青灰色の瞳。目が合うと彼は何事もなかったかのように視線を逸らした。
「しかし……お嬢様のご様子を見る限り、今日は無理に進めるべきではなさそうですね。本来なら一日でも早く魔力制御を覚えていただきたいところですが……」
「……っ!そんな、大丈夫、無理じゃない!やれるから!」
カルロの声に慌てて視線を戻して反論する。一刻も早く魔力制御を覚えたかった。いや、覚えなければならないのだ。
過去の全身を引き裂くような痛み。息をするだけで苦しかった日々。目眩、感覚が消えていく恐怖。思い出すだけで彼女の身体が強張る。二度とあんな地獄は味わいたくなかった。
部屋に静寂が落ちる。フィオラの青色の瞳が深みを増して揺れている。カルロはそんな彼女をじっと見つめた。それは先ほどの柔らかい笑みではない。一治癒術師として患者の状態を見極めるような、そんな真剣な眼差しだった。
「……分かりました」
フィオラの表情がぱあっと明るくなる。しかしそんな彼女に釘を刺すようにカルロは言葉を続ける。
「ですが、少しでも無理だと感じたらすぐに止めます。いいですね?」
「……分かったわよ」
小さく唇を尖らせてそう言うフィオラにカルロはふっと笑う。そして先ほど銀針で刺した指の小さな傷跡を彼女に見せる。
「では、片方の手で私の手を握りながら治癒魔法をしてみせてください」
フィオラは唇を噛んで、おずおずとカルロへと手を伸ばす。今度は震えてはいない。けれど、あと少しというところでその手はぴたりと止まった。
目の前にいるカルロは、あの男ではない。
何度も自分にそう言い聞かせる。彼女は小さく息を吸い込み、意を決してカルロの手を握った。
(……握れた……)
少し骨ばった指。年相応にまだ細い手だが、治癒術師として積み重ねてきた年月を感じさせる硬さが掌にあった。
そして、温かい。
あの日、自分を押さえつけた男の手とはまるで違う。乱暴に掴むことも、力任せに引き寄せることもない。なめくじのように気持ち悪く体に這わせたりもしない。
ただそこにあるだけの、穏やかな温もり。それにフィオラは大きな安堵感を覚えた。
しかし、手を握って終わりではない。むしろここからだ。彼女はカルロの指先の傷跡に手をかざす。そして治癒魔法を施し始めたその瞬間。
「……っ!止めてください!!」
突然の大きな声にフィオラはびくりと肩を震わせる。怒声に近い声。慌てて治癒魔法を止めてカルロの顔を見るも、カルロの表情は怒りというよりも青ざめているように見えた。
「え、何……どうしたの」
「お嬢様、今まで本当にこんなやり方で治癒魔法をされてたんですか」
カルロは問いには答えない。ただ、握ったままのその手から彼の緊張感だけは伝わってきていた。
「お嬢様……貴女の治癒魔法は」
絞り出すような声で彼は言葉を続ける。
「命を削る、自殺行為です」
その瞳には穏やかさの欠片もない。現場を知る治癒術師としての双眸だった。ダリアスが鋭い目でカルロを見るが、彼は気づきもしない。ただまっすぐにフィオラを見ていた。
「こんなやり方をしていては数年で命を落とします。確実に」
カルロの言葉にダリアスの目が僅かに見開かれる。
しかし彼の言葉は脅しでも誇張でもない。事実であり警告だった。
フィオラから怒られるかもしれない。泣き出されてしまうかもしれない。あるいは、受容できず拒絶されるかもしれない。
それでも彼は治癒術師として真実を伝える責務から目を逸らさなかった。
フィオラがどんな反応をするか。そして次に何を伝えるべきか。
すると、沈黙の落ちる部屋での逡巡の隙間を縫うように、フィオラの口が静かに動く。
「でしょうね」
あまりにもあっさりとした返答。思いがけない反応にカルロは口をぽかんと開けた。
――フィオラは笑っていた。
安心や納得からくる笑みではない。光の届かない深い水底のような、温度のない青い瞳の笑みだった。
その冷めきった表情は、とても十歳の少女のものとは到底思えない。カルロは背筋に寒気が走るのを感じていた。




