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無価値

フィオラの言葉にカルロは困ったような顔を浮かべてしどろもどろになるばかりで、いつまで経っても答えを明言しない。痺れを切らした彼女はテーブルに置いてあるハーブティーの入ったカップを手に取り、勢いよく立ち上がる。


そしてカップを振り下ろそうとした瞬間、彼女の視界を一本の腕が横切った。思わず動きが止まる。ダリアスが腕でフィオラの行く手を遮っていた。冷ややかな青灰色の瞳が彼女を射抜く。最期の日を彷彿とさせる瞳。彼女は唇を噛んだ。


「……お嬢様、何をなさろうとしているのです」


「こ、この男がいつまでも返事をしないからっ」


「……しないから?」


「……お茶を、かけてやろうと思っただけよ。私は、悪くないもの」


静かに見下ろしているだけなのに、その圧に威勢のよかった態度が少しづつ萎んでいく。


(だって、ここで愛想よくしたところで舐められるだけじゃないの)


心の中で小さく悪態をつくが、そんな警戒心の強い野良猫のようなことは言えるはずもない。ボソボソと言い訳をするのがやっとだった。ダリアスは彼女に小さくため息を吐き、髪をかき上げる。


「やっていいことと悪いことの分別くらい身につけておかれるべきかと」


呆れたように言われ、顔がかぁっと熱くなる。いちいち癇に障ることを言う。


「そんなこと、貴方に言われる謂れはないわ!」


どうしてダリアスにそんなことを言われなければならないのか。自分は母に、姉に、父に、使用人たちに、良いように使われて最後には殺されたというのに。分別がないのは自分ではない。彼らではないか。自分は被害者だ。


好きでこんな態度を取ってるわけではない。身も守るため、生きるため。それなのに……。


そして他の誰でもなくダリアスに指摘されたことが、なぜか胸に刺さった。腹立たしいはずなのに、悲しさばかりが込み上げてくる。


けれどそんなことを言えるわけもなく、フィオラは顔を伏せた。


「あ、えっと、大公様の許可があればお教えいたします!」


ひりついた空気を感じたのか、慌てて話す治癒術師にフィオラは思わず苦笑を漏らす。魔塔に所属するほど優秀な治癒術師。それなのに自分のような歳下の小娘の顔色を窺わせている。そんな自分が情けなく思えた。



***



空が燃え広がるような茜色に染まっていく。カルロが去ってもなお、フィオラの頭の中はごちゃごちゃしていた。彼女はベッドにうつ伏せになり、枕に顔を埋めている。


息が苦しい。このまま顔を埋め続ければいっそ楽になれるのだろうか。痛みも苦しみもない安全で平和な世界に行けるのだろうか。


(……馬鹿馬鹿しい)


自分の愚かな考えを鼻で笑って体を起こすと、扉を叩く音が聞こえてきた。


「……どうぞ」


先ほど部屋から下がらせていたダリアスが静かに入室してくる。彼はフィオラの顔を見てから窓の外を一瞥した。


「そろそろ失礼いたします」


ダリアスは軽く会釈をして身を翻す。しかし、ドアノブに手をかけるとそのまま彼の動きは止まってしまう。彼女は怪訝そうな表情を浮かべた。


「何してるの?帰るんじゃないの?」


「……魔力制御の件ですが」


ひと呼吸置いて彼は言葉を続ける。


「今まで魔力制御もせずに治癒魔法を?魔力制御が基礎だということは、魔力のない私でも知っています」


そう言って振り返るダリアス。彼の青灰色の瞳が揺れている。それがどこか憐れんでいるように見えて、フィオラの胸がざわついた。


無知だとでも言いたいのか。基礎すら教えてもらえてない自分を哀れだとでも思っているのか。


「そうよ。知らないものは知らないんだから仕方ないじゃない」


感情に任せ刺々しい口調でぶっきらぼうに返す。ダリアスは何か言いたげに一瞬口を開きかけたが、そのまま唇を固く結んだ。部屋に静寂が落ちる。居心地が悪い。


「……何?言いたいことがあるならはっきり言って」


静寂に耐えきれず吐き捨てるように言うと、ダリアスは彼女を見つめた。そこにはもう憐れみの色は消えている。冬の海のような瞳がただまっすぐにフィオラを射抜いていた。


「……いえ。失礼いたします」


再度軽く会釈すると、今度こそダリアスは部屋を出て行った。遠ざかる足音を聞きながらフィオラは机へと向かい、引き出しを開ける。


日記を取り出しページを開きペンを握るが、その手は僅かに震えている。カルロの言っていたことを書こうと思うのに。魔力制御について書こうと思うのに。そうしようとするたびに手が震え出す。


自分が誰もが知っているような基礎すら知らなかったこと。それを教える価値すらない使い捨ての人間だと思われていたこと。


まるでその現実を再確認することを拒否しているかのように。ペン先が紙に点を落とすだけだった。その一滴のインクは涙のようにじわりと紙へ滲んでいく。


不意に、あの青灰色の瞳が脳裏をよぎる。窓の外は夜の色に変わりつつあった。

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