治癒術師
翌日になり、大公の命を受けた治癒術師がフィオラの部屋へとやって来た。
「魔塔所属のカルロ・フェルンと申します!」
紫色のローブを纏った男は、そう言って勢いよく頭を下げる。カルロは大公家の娘を前に緊張しているのか、明らかに歳下の少女を相手にしているとは思えないほどに肩に力が入っている。
「体調が優れないと伺っておりますが、治癒魔法をご所望ということでよろしいでしょうか?」
「いいえ」
彼女の返事にカルロが目を瞬かせる。ではなぜ治癒術師である自分が呼ばれたのか。そう問おうと口を開こうとしたその時、先にフィオラへの言葉を発したのはダリアスだった。
「お嬢様は手を切っておられます。治療すべきかと」
「こんなもの放っておけば治るわ」
そこまで言って、彼女はふと思い立ちダリアスに尋ねた。
「……治せば貴方がずっと部屋にいる必要はなくなるのよね?」
「……そうですね」
短い肯定を聞くと、彼女は少し間を置いてからカルロに傷のある手を差し出した。
「気が変わったわ。治して。でも本題はこれじゃないから」
「はい!」
彼は慌ただしくも的確に治癒魔法を施していく。じんわりと温かい。今の自分なら、この程度の傷でも治癒に倍の時間がかかるだろう。そんなことをぼんやり考えながらフィオラは口を開く。
「ねぇ、貴方は治癒魔法を使って身体がつらくならないの?」
カルロが顔を上げると、そこには青い瞳を揺らしている美しい少女が苦々しげな表情をしていた。
「つらくなるほど魔力を使わないようにしているので……。魔力制御もしていますし」
「……魔力制御?」
「はい。治癒術師の基礎ですからね」
フィオラはぴくりと反応する。過去何年も治癒魔法を酷使したが、魔力制御なんてしたことがない。やり方も知らない。した方がいいとすら、誰も言ってくれなかった。
「基礎、なのね」
「……?はい。お嬢様もご存知かとは思いますが、魔力を無駄に消耗させないための基礎技術です」
大公家の娘が、聖女と呼ばれている少女が、そんな基礎を知らないはずがない。なぜこんなことをわざわざ聞くのかと小首をかしげながらカルロは答えた。しかし目の前の少女の表情は暗い。
「酷使し過ぎたら……身体はどうなるの?戻るの?」
「身体が資本なので緊急の時以外に酷使することもありませんが……。使いすぎると頭痛と吐き気の症状はありますね。それでも一週間しっかりほど休めば戻りますよ」
その答えに目の前が真っ暗になる。
聞きたいことは山ほどあった。それなら目眩は?耳鳴りは?足の感覚がなくなったりはするの?全身の痛みは?吐血は?そうなってしまったら、体は治るの?休まず酷使し続けた場合は治らないの?
けれどフィオラは言葉をすべて飲み込んだ。自分の中の傷を増やしてしまいそうで、これ以上何も聞けなかった。
「ところでお嬢様……本題とは何でしょう?」
彼女はカルロを気怠げに見る。そもそもの目的は治癒魔法による不調について尋ねることだった。身体症状、そして治療についてと予後。大きな目的はある程度果たしている。
「本題ならもう――」
そこまで言いかけて言葉を止める。そして、しばらく考え込むように視線を彷徨わせた。
「……教えて」
「はい?」
「魔力制御って、誰でも覚えられる?」
なぜそんな当たり前のことを聞くのだろう。カルロはきょとんとした。
「え、あ、はい、もちろんです。治癒術師が最初に学ぶことですから」
最初に学ぶこと。その一言が彼女の胸に突き刺さる。
自分は死ぬまで一度も教わらなかった。きっと、最初から教えるつもりなんてなかったんだろう。使い潰せれば、それで良かったのだ。フィオラは膝の上で拳を握りしめる。
「……私にも、教えて」
「はい?」
「魔力制御、教えて」
部屋がしんと静まり返る。カルロが戸惑っている様子を感じながらもフィオラはじっと彼を見つめた。
「い、いえ、私がお嬢様にお教えするなど……。お嬢様にはすでに優れた先生方がいらっしゃるでしょうし」
「いないわ」
両手を振りながら慌てた様子で話すカルロに間髪入れずに言葉を返すと、彼の動きが止まる。ダリアスはゆっくりと静かにフィオラへ視線を向けた。
「……いやぁ、ご冗談を」
「こんな馬鹿げた冗談を言うはずがないじゃない。魔力制御なんてしたことないし、教わったこともないわ」
カルロは困ったように笑ってみせるが、フィオラの顔には笑みも怒りも悲しみもない。彼女はただ諦めたような表情を浮かべているだけだ。
絶望に近しいその表情を見て、カルロは言葉を失う。聖女と呼ばれる大公家の令嬢。そんな彼女が治癒術師ならば誰でも最初に学ぶ基礎を知らない。そんなことが、あるはずがない。
けれど澄み切った青空のような瞳は、嘘をついているようにはどうしても見えない。
カルロは大公家に気味の悪い歪さを感じていた。




