姉妹
フィオラは昼食をほとんど食べないまま、侍女に食事を下げさせた。利き手を負傷して食べにくいからと言って。けれどそれは言い訳だった。どうしても食欲が湧かない。フィオラは小さく息を吐く。
(……気が休まる時がない)
ダリアスも部屋から出てもらおうと思ったのに、利き手が使えないと不自由だろうからと室内に留まり続けている。見張られているようで落ち着かない。
すると、扉を叩く音と共に澄んだ声が聞こえてきた。
「フィオラ、入るわね」
その声を聞いた瞬間、全身の毛が逆立った。氷を背中に押し当てられたかのような悪寒が背筋を駆け上がる。
――イゾッタ。
扉を開けた彼女の顔を見て、過去の記憶が津波のように押し寄せる。
それまでは目も合わせてくれなかったのに、治癒魔法を使えるようになってから笑顔を向けてくれるようになった姉。いつも優しい声で話しかけてくれた姉。落ち込んでいたら励ましてくれた姉。貴重なお茶をくれた姉。他の人たちに冷たく扱われて泣いた自分を抱きしめてくれた姉。香り袋をくれた姉。
信じていたのに。全部全部、嘘だった。
近づいてくるイゾッタがまるでスローモーションのようにゆっくりに見える。
「お姉、様……ど、うされたんで……すか?」
まともに舌が回りすらしない。自分が情けなくて涙が出そうになる。けれどイゾッタはそんな妹の変化になど気づきもしない。
「昼食ほとんど食べなかったと聞いたから、気になって来たの」
心配そうな顔をしてフィオラの顔を覗き込みながら。イゾッタはそれに、と言葉を続ける。
「今日は午前に領民の治療をしなかったらしいじゃない?」
そう言って妹の肩に手を乗せ、顔を寄せる。
「つらいのは分かるけど、フィオラの力をみんな待ち望んでいるのよ?貴女が今日来なかったことで死んでしまう人もいるかも……。大公家の尊厳にも関わることだと思わない?」
――やはり心配するのは建前だったのか。
血の気が引いていき、フィオラの顔は真っ白だった。何か言わないと。そう思うのに言葉が喉に貼りついて出てこない。浅く呼吸するのがやっとだった。
「フィオラ?聞いてる?」
「は、い……」
焦点の合わない虚ろな顔で脂汗をかいて返事をするフィオラ。イゾッタはそんな彼女を見て一瞬だけ表情を曇らせたが、すぐにいつもの穏やかな笑みを浮かべた。
「せっかく様子を見に来たのに、嬉しそうにしてくれないのね。……まぁいいわ。貴女ももう十歳なんだから我儘ばかり言ってはダメよ?お母様もがっかりなさるわ」
そう言って彼女は身を翻す。イゾッタの姿が見えなくなると、フィオラは全身の力が抜けてその場にへたりこんだ。全身から汗が吹き出ている。
怖い。喉に蛇が巻きついたような圧迫感が、彼女が去ってもなお消えない。フィオラは無意識に首元を掻きむしった。
「お嬢様、傷になります」
不意に頭上から声が降ってくる。ダリアスが部屋にいたことをすっかり忘れてしまっていた。
「……ダリアス……」
ダリアスは静かにしゃがみ込み、フィオラと視線の高さを合わせた。思わず彼女の肩が跳ねる。
「な、なに……」
「失礼します」
そう言うと彼は懐から白いハンカチを取り出す。ひんやりとしたリネンの布が額に触れる。汗が吸い取られる感覚に、張り詰めていた呼吸が僅かに緩んだ。
「……昨日の勢いはどうされたのですか」
「……え?」
「侍女に鏡を投げつけておられた方とは思えません」
フィオラはムッとしてダリアスを睨んだ。彼はこんな嫌味のようなことを言う男だったのか。
「お二人は仲の良い姉妹なのかと思っていました」
「ち……!」
――違う、ふざけないで。
そう言おうとして言葉を止めた。誰も信用できないこの状況で、安易に本音を話すのは得策ではない。咄嗟にそう思ったのだ。
「……貴方に関係ないでしょ」
顔を伏せてそう答えると、ダリアスが小さく息を吐く音が聞こえてきた。ひねくれている自分に呆れているのだろう。彼女は言葉を付け足した。
「……だから、放っておいて」
「ならば、このような怯えきった態度はお控えいただきたく存じます」
ああ言えばこう言うダリアスに顔がカッと熱くなる。過去にはこんなふうに言い返してきたことなんて、一度もなかったのに。
自分が子供みたいに感情を制御できてないとでも言いたいのか。実際、自分は子供なんだから怯えて何が悪い。仲の良い姉妹だなんて、自分が一番そう思っていた。ずっと。死ぬ間際まで。
だから、馬車でだって気持ちを落ち着かせるために香り袋を嗅いだ。魔物が出てくる直前まで香り袋を握りしめていた。
その結果がこれだ。
(……本当に、馬鹿みたい)
「……そうね、気をつけるわ」
自嘲してぽつりと呟くように言ったその声は、驚くほど掠れている。まるで、もう過去と同じ馬鹿なことをしないと自身へ言い聞かせているかのようだった。




