第9話 売る相手はS級じゃない
西原鋼業の事務所で、俺たちはひしゃげたピッケルを囲んでいた。
限界に近づいた対魔鋼の表面に、赤い線が浮かんだ。
確認できたのは、まだ一度だけだ。狙って再現できるのかも、ダンジョン内で同じ現象が起きるのかも分からない。
それでも、安全性を目で伝えられる可能性が、初めて形になった。
「仮に、この赤い線を安定して出せるようになったとしてじゃ」
西原が、ひしゃげたピッケルを指で叩いた。
「九条さん。こいつを誰に売る?」
技術が商品へ変わるためには、必ず買い手が必要になる。
「それなら、S級探索者でしょ」
芽衣がスマートフォンを俺たちに向けた。
画面では、銀髪の少女が魔物を切り伏せる短い動画が再生されている。表示された再生回数は、すでに数百万を超えていた。
「『白銀の陽炎』に使ってもらえば、一発だよ。桐生陽菜が使ってる装備なら、欲しがる人はいくらでもいるって」
「一番強い者に使わせて、下へ評判を広げるわけか」
西原も頷いた。
「普通なら、それが王道じゃろうな」
「ええ。完成した商品なら、有効な方法です」
俺はメモ帳を開き、探索者市場を表す三角形を描いた。
「ですが、俺たちが最初に狙う相手としては適していません」
「なんで?」
「S級や上位A級の多くは、すでに大手メーカーやスポンサーと契約しています。使用する装備を、本人だけの判断では変えられない」
性能以前に、調達の入口へ立てない。
契約、メーカーの審査、安全確認。無名の町工場が作った未実証の試作品を持ち込んでも、その壁を越えるまでに時間がかかる。
「トップ層へ売れないという意味ではありません。ただ、最初の顧客にするには、取引コストが高すぎます」
「取引コスト?」
「商品以外に必要な手間と時間です。今の俺たちには、そこへ費やす信用も資金もありません」
俺は三角形の頂点に線を引き、続いて中央部分を囲んだ。
「最初に見るべきは、準中堅から中堅の探索者です」
協会が公開している登録者の階級分布と、探索収入、装備費の資料を並べる。
この層は、継続してダンジョンへ潜れるだけの実力がある。一方で、専属スポンサーや専任の整備担当を持つ者は少ない。
「装備の購入費も修理費も、基本的には自分持ちです。武器の破損による損失を受けやすく、それでも探索収入から装備費を出せる」
「困っていて、買う金もあるということか」
「データ上は、そうなります」
西原が、俺の描いた三角形を見下ろした。
「探索者を強さだけで見ず、商売相手として分けるわけか。三葉物産じゃ、こんなことばかりやっとったのか?」
「特別なことではありません。必要としていても買えない相手と、買えても必要としていない相手は、顧客にはなりませんから」
条件が重なる場所へ、限られた資源を投入する。
商社では、ごく当たり前の判断だった。
「でもさ」
芽衣が、三角形の中央を覗き込んだ。
「お金を持ってて、武器が壊れて困ってるなら、本当に買ってくれるの?」
「条件は揃っています」
「でも、命を預ける道具でしょ?」
芽衣は、ひしゃげた試作一号へ目を向けた。
「今まで使ってた大手の製品をやめて、聞いたこともない町工場の新素材に替えるかな。買えることと、買うことって、同じじゃないと思う」
俺は一瞬、言葉を止めた。
数字には表れない不安。
見知らぬ製品へ命を預ける恐怖は、確かに存在する。
だが、性能を比較し、赤い線が破断前のサインになると証明できれば、その不安は小さくできるはずだ。
「まずは検証データです。安全性を客観的に示せなければ、どの層にも売れません」
「そうかもしれないけど……」
「心理的な抵抗については、その後で考えます。今は、需要が本当に存在するかを現場で確かめる方が先です」
芽衣はまだ納得していない様子だった。
それでも俺は、メモ帳の中央につけた丸を消さなかった。
数字で確認できる需要を優先する。
その判断に、大きな穴があるとは考えていなかった。
*
数日後。
東京へ戻った俺は、ダンジョン協会が運営する探索者向けの複合施設を訪れた。
装備店、修理受付、訓練場、公開試験スペース。平日にもかかわらず、武器や防具を抱えた探索者が絶えず行き交っている。
俺は通路脇の休憩スペースに座り、装備の状態と会話を記録した。
「また買い替えかよ。先月も剣を替えたばかりだぞ」
「修理で済ませたいけど、次に折れたらと思うと怖いんだよな」
「上位モデルは高すぎる。かといって安物で潜るのも怖い」
装備の破損頻度。
修理か買い替えか。
安全へ支払える金額。
公開資料で見た問題が、目の前では探索者一人ひとりの迷いとして現れていた。
需要はある。
少なくとも、武器の寿命と費用に悩んでいる人間は、俺の想像以上に多い。
だが、彼らが対魔鋼を選ぶかどうかは別の問題だ。
芽衣の言葉が頭をよぎったが、俺は観察を続けた。
その時だった。
騒がしかった施設内の空気が、わずかに変わった。
通路を歩いていた探索者たちが足を止め、一斉に同じ方向を見る。ざわめきが波のように広がり、自然と一本の道ができた。
その中央を、一人の少女が歩いてくる。
艶やかな銀色の髪。
無駄な装飾のない、漆黒の軽装鎧。
小柄な身体から放たれる張り詰めた気配に、周囲の探索者たちが距離を空けていく。
動画で何度も見た姿だった。
日本ランキング三位。
S級探索者、『白銀の陽炎』。
桐生陽菜。
最初の顧客には適さない。
そう判断し、検討対象から外したはずの頂点が、俺のすぐ目の前を歩いていた。




