第8話 試作一号、折れないピッケル
試験炉に火を入れてから、どれだけの夜を越えただろうか。
東京での日雇い勤務を数日まとめてこなし、最低限の生活費と宿代を握りしめて倉敷へ戻る。
そんなギリギリの往復生活が続いていた。
西原徹という男の技術力と職人としての執念は、本物だった。
勘だけに頼るのではなく、温度、配合、冷却時間を記録し、一度に変える条件を絞りながら試行錯誤を繰り返す。
俺はその条件と結果を表に整理し、限られた試作費を無駄にしないようデータとして蓄積していった。
それでも、出来上がった小さな試験片の多くは、惨憺たる結果に終わった。
硬すぎて割れる。粘りを優先しすぎてひしゃげる。素材が均一に混ざらず、内部に空隙ができる。
何より、俺が設計目標とした『限界前に目で見える変化』など、一度として出なかった。
だが今日。
工場の薄暗い作業台の上に、鈍い銀色に光る一つの道具が置かれていた。
初めて実際の道具の形まで加工した、実用品型の試作一号。
それは剣ではなく、ダンジョンの壁面から魔石を掘り出すためのピッケルだった。
「なんでまた、剣じゃなくてピッケルなんじゃ」
図面を引いた際、西原はいぶかしげな顔をした。
俺は理由を答えた。
「剣は形状や重心、使用者の癖によって結果が変わりやすいからです。ピッケルなら同じ動作を再現しやすい。それに、採掘用具なら武器としての切れ味より、純粋な強度と粘りを比較できます」
「なるほどな。まずは素材の素性を見極めるっちゅうわけか」
西原は納得し、そのままピッケルの形へと打ち上げたのだ。
そして今、工場の奥にある油圧プレス機の前で、俺たちは比較試験の準備を整えていた。
対象は、市販されている一般的な通常鋼のピッケルと、俺たちの対魔鋼試作一号。形状と寸法はできるだけ揃えてある。
「いいか、念のため飛散防止カバーを下ろす。離れとれよ」
西原が安全距離を確保し、プレス機を稼働させた。
まずは通常鋼のピッケルをセットする。
重厚なモーター音が響き、分厚い金属板がゆっくりと降下していく。
一定の負荷がかかった瞬間だった。
パァンッ!
乾いた破裂音とともに、通常鋼のピッケルはあっけなく真っ二つに折れ飛んだ。
カバーの内側で、金属の破片が跳ね返る音がする。
限界を超えた瞬間に、何の前兆もなく突然割れる。これが機械的な負荷に対する通常鋼の挙動だ。
「次は、こっちの番じゃ」
西原は破片を片付けると、対魔鋼の試作一号をプレス機にセットした。
再び、モーター音が唸りを上げる。
プレス機が降下し、対魔鋼のピッケルにじわじわと凄まじい圧力がかかり始めた。
ギギギギッ、と金属が悲鳴を上げるような音が響く。
油圧プレス機の横にあるデジタル計器の数値が、跳ね上がっていく。
先ほど通常鋼のピッケルが砕け散った荷重を、あっさりと超えた。
だが、対魔鋼は突然破断しない。
「……まだ耐えよる。少し曲がり始めたな」
西原が、プレス機の計器とピッケルを交互に見ながら呟いた。
硬さを保ちながらも、圧力を受け流すようにピッケルの首の部分がごくわずかに変形し始めている。
さらに圧力が上がる。
計器の数値は、通常鋼の二倍近くに達しようとしていた。
「もう限界じゃ。これ以上は……」
西原がプレス機を止めようと手を伸ばした、その時だった。
「あっ、おじいちゃん! あれ見て!」
少し離れた安全区域からテストを見守っていた芽衣が、鋭い声を上げた。
俺と西原は、ピッケルの一点に視線を釘付けにされた。
最も負荷がかかっているピッケルの首の部分。
鈍色の金属表面に、スッと一筋の、鮮やかな赤い線が現れた。
「プレスを止めろ!」
俺の声に、西原が慌てて機械の動きを止める。
工場の中が、水を打ったように静まり返った。
俺たちは飛散防止カバー越しに、ピッケルを観察した。
破断はしていない。重大な変形も起きていない。
だが、表面には確実に赤い線が浮かび上がっている。
「……本当に出た」
西原の呟きは、掠れていた。
「俺はすぐ記録と撮影をします。西原社長、安全を確認したうえで、限界まで負荷をかけてください。赤線が出た後に、どう壊れるか確認する必要があります」
「分かった。離れろ」
西原が再びプレス機を稼働させる。
さらに荷重を加えると、赤い線は少しずつ太くなり、やがてバキンという鈍い音とともに、対魔鋼のピッケルは完全にへし折れるのではなく、くの字に大きく曲がって限界を迎えた。
プレス機を止め、俺たちは作業台の上にひしゃげた試作一号を乗せた。
「……折れはせんかった。大きく曲がって潰れたな」
西原が、表面に焼き付いたように残る赤い線を、穴が開くほど見つめていた。
「限界を迎える前に、重大な変形が起きる前に、確かに赤い線が出たぞ」
「ええ。記録しました」
俺はカメラを置き、ひしゃげた試作一号を観察した。
タングステン、希土類、魔石粉末のどれが作用したのか、あるいは加工条件が影響したのか。正確な原因はまだ分からない。
だが、機械的な負荷試験において、破断より早い段階で見逃さない変化を出した。その事実は確認できた。
「これ、すごいよ!」
芽衣が目を輝かせながら、作業台に駆け寄ってきた。
「ただ『丈夫です』って言われるより、この赤い線が出る方が絶対に分かりやすい! 色が変わるなら、専門知識がない人にも伝わるよ」
「レビュー動画なんかでも、変化を説明しやすいだろうな」
俺が言うと、芽衣は嬉しそうに頷いた。
「おいおい、勝手に舞い上がるな」
西原が、職人としての厳しい顔で釘を刺した。
「これはまだ、工場の機械で一定の圧力をかけただけのテストじゃ。ダンジョン内の魔力疲労を再現したわけじゃない。実戦でどうなるかなんて、何も分からんぞ」
西原の言う通りだ。
赤い線が出る荷重、出現位置、そして何より、同じ配合で毎回この線が出る再現性があるかどうかも不明だ。
この一回の成功で、安全だと宣伝できる段階ではない。
「分かっています。まだ一つの試作品で起きた、一度きりの現象です。これから再現性を確かめなければなりません」
俺は高揚感を落ち着かせ、現実的な制約を口にした。
だが、もしこの赤い線が再現できれば、どうなるか。
使用中止や交換を判断する手掛かりになる。
強度だけでなく、安全性そのものが明確な商品価値になり得る。
俺は、ひしゃげた試作一号を見下ろした。
目に見える機能を持った、最初の実用品型の試作。
俺の頭の中では、すでに次の課題が計算され始めていた。
もしこの安全性が本物ならば、これを一番必要としているのは誰か。
一番困っていて、一番金を払えるのは誰か。
最初にこの価値を、誰へ届けるべきか。
俺は、最初の市場の選定へと、思考を移していった。




