第74話 廃工場の炉を、三千万円で落札
翌朝。
廃工場の仮設事務所で、破産管財人による競争入札が始まった。
参加者は俺たちを含めて五社。
設備を解体して金属資源として売る業者。一般魔導具用の低等級粉末へ転用しようとする事業者。中古機械を海外へ仲介するブローカー。
彼らにとって、十年以上前の精錬炉は、補修費と解体費を差し引いて値を付ける商品だ。
俺たちだけが、そこに十八か月分の時間を見ていた。
「精錬設備一式、現状有姿での売却となります。最低入札価格は二千五百万円です」
管財人が事務的に告げた。
「二千五百五十万円」
スクラップ業者が札を上げる。
「二千六百万円」
ブローカーが続いた。
俺は、事前に決めた上限額をもう一度確認した。
輸送、再設置、非破壊検査、安全部品の交換費を含めれば、落札価格の何倍もの金がかかる。それでも、新品の反応槽を待つことによる十八か月の供給停止よりは安い。
「三千万円」
俺が札を上げると、室内の視線が一斉に集まった。
「あの年代物に三千万円?」
「解体したら赤字だぞ」
彼らの採算では、その通りだ。
だが、俺たちは解体して売るのではない。
「三千万円。他にありませんか」
管財人が三度確認する。
新しい札は上がらなかった。
「落札者は、合同精錬株式会社」
木槌が鳴った。
俺は、段階融資の第一実行分から支出する取得費を、その場で正式に確定させた。
手に入れたのは完成した精錬所ではない。
保証のない中古設備と、解体からやり直す権利だけだ。
それでも、最初のボトルネックは外れた。
相馬は、その場で取得後検査の一覧を開いた。
「落札したからといって、すぐ解体はできません。内部残留物の分析、耐魔コーティングの追加測定、圧力容器としての再使用可否。どれか一つでも外れれば、反応槽は使わない」
「分かっています」
三千万円を払った設備でも、不合格なら切る。
落札額を惜しんで安全基準を曲げた瞬間、安く買った意味は消える。
*
それから数週間。
設備会社と行政へ移設計画を提出し、反応槽内の残留物を処理し、重量物輸送の経路と日程を確保した。
分解された反応槽と粉砕機が大型トレーラーで倉敷市水島地区へ到着した時、真壁精錬所の隣に確保した敷地には、六つの独立工場から職人たちが集まっていた。
「こりゃまた、年季の入った鉄の塊を買ったもんじゃ」
荷台を見上げた西原が、呆れたように言う。
「三千万円の殻です」
俺は輸送業者の受領書へ署名した。
「ただし、安かったから買ったわけではありません。非破壊検査を通過した反応槽と粉砕機の躯体だけを使います。安全に関わる部品は、すべて現行仕様へ更新します」
相馬が、改修項目をモニターへ映した。
緊急遮断弁。
防爆集塵設備。
排気と排水の監視センサー。
異常時に原料の投入を止め、安全側へ移行させる制御系。
住民との条件付き合意で約束した公開監視へ送る計測系も、独立した第三者の校正を受ける。
「流用できるのは、本当に殻と一部の駆動部だけです」
相馬が反応槽から延びる古い配管を示した。
「この配管も制御盤も撤去します。炉内圧力が基準へ近づいた時、確実に原料投入を遮断できなければ使えません」
「問題は、新旧の規格が合わんことじゃな」
大田プレス工業の大田社長が、最新型のバルブと古い配管口を見比べた。
「口径もボルト位置も違う。メーカーへ変換部品を特注すれば、納品まで何か月もかかるぞ」
「なら、わしらで作る」
西原が前へ出た。
「相馬さん。必要な位置と強度、交換時の検査条件を出してくれ。継ぎ手の設計と加工は、こっちの仕事じゃ」
相馬が頷き、担当表を開く。
配管と耐圧継ぎ手は大田プレス工業。
センサー台座の精密加工は別の参加工場。
西原鋼業は反応槽周辺の架台と、受入側の試験治具。
六社は合同精錬株式会社へ吸収されたわけではない。それぞれ独立した企業のまま、契約した工程と検査責任を引き受ける。
「速さを理由に、記録を飛ばすことは認めません」
俺は、集まった職人たちへ言った。
「現物合わせで作った部品にも、図面、材料証明、溶接記録、耐圧試験を残します。外部検査を通らない部品は、納期が迫っていても使いません」
「分かっとるわい」
西原が、凶悪な笑みを浮かべた。
「品質を落とさず、待ち時間だけを削る。それが、あんたの注文じゃろうが」
その日から、敷地に金属音が響き始めた。
古い配管が外され、錆びた制御盤が撤去される。
最新のバルブへ合わせた継ぎ手が削り出され、検査を通った順に取り付けられていく。
現物に合う部品をその場で作れるからといって、作業は即興ではない。
仮寸法を測る者、加工図へ起こす者、別の工場で強度を確認する者を分ける。取り付け後には、加工を担当していない検査員が締結状態を確認した。
大企業の正規設備なら、メーカー保証と統一された部品体系がある。
俺たちの中古炉には、それがない。
だからこそ、どの工場が何を作り、誰が検査し、どの条件で取り付けたかを、一点ずつ記録へ戻していく必要があった。
「九条さん、新しいセンサーからの試験信号、公開画面まで届いたよ」
プレハブ事務所で、芽衣がノートパソコンを見せた。
排気、排水、魔力残渣。
まだ実測値ではなく模擬信号だが、緑、黄、赤の各状態と履歴が、住民監視委員の画面にも反映されている。
「生の数値と校正記録も開けるようにしてあります。色だけ正常に見せることはできません」
「ありがとうございます。第三者の校正と実負荷試験が終わるまでは、完成扱いにしないでください」
設備の骨格は、目に見える速度で蘇っていった。
だが、反応槽を二十四時間動かすのは鉄やセンサーではない。
原料の癖を読み、異常の兆候を見抜き、交代しながら工程を守る人間だ。
「真壁社長」
俺は、廃業した精錬会社の一覧を差し出した。
「設備を失っても、技術まで失ったわけではない人たちがいます。あなたの伝手を借りたい」
真壁は、一覧に並ぶ社名を見て、目を細めた。
「……昔の顔が、何人もおるな」
「適正な雇用条件と、責任範囲を明記した募集要項を出します。無償の応援は求めません」
「全国に散った精錬屋を、ここへ集める気か」
「ええ。中古の炉だけでは、精錬所になりませんから」
真壁はしばらく一覧を見つめ、やがて作業着のポケットから古い携帯電話を取り出した。
「分かった。まずは、腕と口の堅い奴から当たってみる」
俺たちが次に取り戻すのは、機械ではない。
市場から散り散りになった、精錬職人の技術だった。




