第68話 銀行「公認規格は担保になりません」
翌日。
俺は、事業計画書と資金繰り表を抱え、都内のメガバンク本店を訪れていた。
応接室のテーブルに並べたのは、ダンジョン協会によるKUJO-Gの公認通知、精錬設備の見積書、建設候補地の資料、住民側との条件付き合意書。
さらに、全国から寄せられた供給希望の集計と、六つの独立工場が共同で利用する計画まで添えている。
以前、工場への支払いをつなぐために短期融資を申し込んだ時とは、事業の規模も社会的な信用も違う。
それでも、融資担当者の表情は最後まで崩れなかった。
「九条様。協会公認の意義は、当行も高く評価しています」
担当者は書類を閉じ、慎重に言葉を選んだ。
「ですが、公認規格であることと、十五億円を返済できることは別問題です」
「全国から、現有能力を大幅に超える供給希望が来ています。精錬能力を増やせば、完成品の生産量も伸ばせます」
「それらの大部分は、購入希望や利用希望です。価格、納期、適合製品の仕様が確定した売買契約ではありません」
正しい指摘だった。
申込者がどれだけ切実でも、まだ一円も入っていない希望は、銀行の審査では将来予測にすぎない。
「六工場からの需要もあります」
「現状では、共同開発への参加意思と、将来的な利用見込みです。最低購入量や期間を定めた引取契約ではない」
担当者は、俺の借入一覧へ視線を落とした。
「九条様には、試作時の個人借入と、工場への支払いに用いた短期融資の個人保証が残っています。加えて、新設する精錬事業には操業実績がなく、設備の換金価値も建設費全額には届かない」
「では、追加の個人保証を付ければ」
「率直に申し上げます。九条様個人の保証余力で補える金額ではありません」
冷たい言葉だった。
だが、拒絶ではなく、数字に基づく当然の判断だ。
「公認規格は、品質基準として価値があります。しかし、それ自体を担保として差し押さえ、現金化することはできません」
担当者は、最後にはっきりと告げた。
「現時点で、十五億円規模の設備融資はお引き受けできません」
*
銀行を出ると、高層ビルの谷間から刺す午後の日差しが妙に眩しかった。
俺は近くのカフェへ入り、断られた理由を一つずつノートパソコンへ打ち込んだ。
協会公認は、売上ではない。
供給希望は、契約ではない。
六工場の参加意思は、長期の引取保証ではない。
住民との合意は、操業実績ではない。
どれも事業に必要な信頼だが、十五億円の返済原資を証明する数字にはなっていなかった。
「……足りないのは、期待じゃない」
必要なのは、建設後に誰が、何を、どれだけの期間買うのかを示す、拘束力のある需要だ。
そして、九条補給店一社が設備も借金も抱える構造では、金融機関から見たリスクが集中しすぎる。
俺はその場で、西原、相馬、真壁へオンライン会議の招集を送った。
「融資は断られました」
接続された画面の向こうで、西原が苦い顔をした。
『やっぱり、十五億は簡単には貸してくれんか』
「ええ。ただ、何が足りないかは明確になりました」
俺は、審査で指摘された項目を共有画面へ並べた。
「まず、精錬事業を九条補給店の一部門として抱える案を見直します。製造側の六工場と、精錬を担う真壁社長が、継続的に関与できる別会社を作る」
『わしらにも金を出せっちゅうことか』
「出資額は、各社の経営を圧迫しない範囲で協議します。重要なのは、利用者でもある工場が運営に関与し、一定条件の粉末を継続して引き取る構造を作ることです」
相馬が画面越しに頷いた。
『品質面でも、その方がいい。粉末の合否を九条補給店だけで決めるより、精錬側、製造側、検査側の権限を分けられます』
「もう一つ。全国からの期待ではなく、具体的な契約を積み上げます」
量と価格を曖昧にした応援の言葉ではない。
最低引取量、期間、品質不適合時の停止条件、支払条件まで決めた契約だ。
『じゃが、まだ工場もないのに、そんな契約を結ぶ相手がおるか?』
真壁の問いに、俺はすぐには答えなかった。
一般販売の希望を、建設資金の裏付けへ変えるのは難しい。供給開始時期も価格も確定していない以上、無理に前払いを求めれば、探索者へ建設リスクを押し付けることになる。
だが、一人だけ、長期にわたる特殊仕様の供給と検証を必要とし、俺たちの記録体制まで理解している相手がいる。
俺はその可能性を手帳へ記し、すぐに消した。
こちらの資金難を理由に、相手の命を担保へ使うような頼み方はできない。
「候補を洗います。ただし、名義貸しや無理な前払いは求めません」
会議を終えた直後、俺のスマートフォンが鳴った。
表示された名前は、桐生陽菜。
『九条さん。銀行との面談は、今日でしたね』
「……どこでそれを」
『協会の装備担当者から、精錬設備の資金計画が難航していると聞きました。契約に関わることなので、進捗だけ確認したんです』
陽菜は、短い沈黙の後に続けた。
『明日、正式な契約案を持って伺います。私の供給を、善意や口約束のままにしておくつもりはありません』
通話は、それだけで切れた。
支援でも、救済でもない。
一人の顧客が、自分の命綱に必要な供給条件を、契約として提示しようとしていた。




