第67話 反対住民が、精錬所の監視役になった
二日後。
西原鋼業の事務所で、相馬が分厚い監視項目表と格闘していた。
「集塵機の差圧、排気中の微粒子数、廃液の魔力残渣濃度、反応槽周辺の魔力変動……。常時監視が必要な項目だけでも、三十を超えます」
「削らずに残してください」
俺は答えた。
「ただし、そのまま住民へ見せても意味がない。必要なのは、生データを隠さず、今どの程度の危険があるのかを一目で判断できる入口です」
「そこは、こうする」
ノートパソコンへ向かっていた芽衣が、試作画面をモニターに映した。
表示されたのは、三つの大きなメーターだった。
『排気・粉塵』
『排水・魔力残渣』
『設備周辺・魔力漏出』
それぞれが、緑、黄、赤の三段階に分かれている。
「緑は通常運転。黄色は予防点検。赤は、新しい原料の投入を止めて、安全停止手順へ移る基準」
芽衣がメーターの一つを押す。
画面が切り替わり、相馬が整理した測定項目と時系列グラフが表示された。
「簡単な表示だけで、ごまかしてると思われないようにした。詳しく見たい人は、生の測定値と過去の推移まで確認できる。後から数字だけ書き換えられないよう、外部にも同じ記録を保存する前提で作ってる」
「よくできています」
相馬は頷いたが、すぐに技術者の顔へ戻った。
「ただし、これはまだ表示の試作品です。実際に使うには、測定器の選定、校正、通信断への対応、警報値の検証が必要です」
「もちろんです。完成したようには見せません」
芽衣は画面の上部へ、赤字の表示を追加した。
『試作画面・表示項目および停止基準は第三者確認後に確定』
「これでどう?」
「その一文がある方が信用できます」
俺は、相馬の項目表と芽衣の画面を並べた。
「もう一つ必要です。住民が異臭や振動を感じた場合、メーターが緑でも調査を要求できる窓口を設けます」
「数値に出ない異常も拾うんですね」
「ええ。ただし、通報だけで炉を急停止させるわけではありません。原料の新規投入を保留し、運転責任者が安全停止の要否を確認する。その判断と測定値を監視委員へ開示します」
真壁が、腕を組んだまま口を開いた。
「止める時は、わしが決めた手順どおりに止める。住民の要求を無視はせん。じゃが、炉の中身も見ずに主電源だけ落とすような真似は絶対にさせんぞ」
「それで構いません」
住民が求めたのは、機械を直接止める物理的なボタンではない。
工場側が異常を握り潰せず、安全確認が取れるまで運転を続けられない権限だ。
その境界を、書面と画面の両方で示す必要があった。
*
同日の夕方。
俺と芽衣は、再び水島地区の公民館へ向かった。
前に反対の声を上げた住民たちと、大村が待っていた。
「九条さん。色のついた画面を見せて、安心しろと言うつもりじゃないだろうな」
大村が、試すように言った。
「その画面を動かすのが工場側だけなら、都合の悪い数字を緑にしてしまえば終わりじゃ」
「ですから、要約表示だけでなく測定値と履歴も公開します」
芽衣が、俺より先に答えた。
「測定器の校正結果も、外部検査機関の確認も公開します。通信が切れたり、測定器が故障したりした場合は、正常を示す緑ではなく『判定不能』として黄色以上に切り替えます」
プロジェクターへ、試作画面を映す。
「三つのメーターだけなら、子供でも今の状態を確認できます。でも、詳しく確かめたい人は、その下にある測定値まで見られます。工場を信じなくても、記録を確かめられるようにするためです」
大村は画面へ近づき、細かな数値まで確認した。
「……表示だけは分かった。停止権はどうした」
俺は、用意した制度案を開いた。
「住民の皆様から三名の代表を選び、将来の運営会社に第三者監視委員会を設置します」
「会社の中へ、わしらを入れるんか」
「はい。基準値が赤へ達した場合は、新規投入を自動的に保留し、あらかじめ定めた安全停止手順へ移ります。監視委員から異常の申告があった場合も、運転側は一定時間内に現場確認を行い、結果と判断根拠を公開する。安全が確認できなければ再開できません」
「工場側が、問題なしと勝手に決めたら?」
「その場合に備え、外部の安全専門家を委員へ加えます。測定記録を第三者保管し、運転側だけで判断を完結させません」
俺は一枚ずつ、条件を読み上げた。
監視数値と履歴の常時公開。
測定器の定期的な第三者校正。
住民代表による異常調査要求。
基準超過時の新規投入停止と、安全手順に従った停止。
判断結果、再開条件、異常記録の公開。
事故時の連絡網と、定期的な避難訓練。
「これらを自治体との公害防止協定、将来の運営会社の定款、安全規程へ明記します。口約束にはしません」
会場が静まり返った。
大村は腕を組み、画面と制度案を交互に見た。
「住民が気分で炉を止める仕組みではない。じゃが、工場側が不都合な異常を無視することもできん」
「そのための監視委員です」
芽衣が頷いた。
「工場で働く人も、近くで暮らす人も、どちらも危険から逃げ遅れない仕組みにしたいんです」
大村の表情が、わずかに和らいだ。
「……真壁のオヤジが、途中で電源だけ落とすなと怒鳴る姿まで目に浮かぶわ」
会場から、小さな笑いが漏れた。
張り詰めていた空気が、初めて緩んだ。
大村は住民たちと短く意見を交わした後、再び前へ出た。
「監視委員は、わしを含めて三人出す。停止手順と数値基準を専門家にも確認させ、今説明した内容を正式な文書へ入れること。それを条件に、候補地周辺の自治会として建設協議を進めることへ同意する」
「……ありがとうございます」
俺と芽衣は、深く頭を下げた。
建設許可が下りたわけでも、土地の契約が終わったわけでもない。
それでも、反対していた住民を排除せず、設備を見張る側へ迎えることで、候補地を前提とした協議を一歩先へ進めることができた。
*
公民館を出ると、芽衣が長く息を吐いた。
「今度は、ちゃんと伝えられたかな」
「ええ。俺が何十枚の安全資料を読むより、あの画面の方が必要なことを伝えていました」
「じゃあ、これで場所の問題は終わり?」
「いいえ。合意文書、土地の契約、設備変更に伴う行政確認が残っています」
俺は、鞄から見積書を取り出した。
「それでも、資金調達の前提条件は一つ増えました」
公認規格。
産地を分ける技術条件。
真壁精錬所の運転知見。
建設候補地と、住民の条件付き合意。
事業性を示す材料は揃いつつある。
だが、設備建設と改修に必要な総額は、十五億円。
九条補給店の手元資金では、到底届かない。




