第66話 「建てるなら、私たちにも停止権を寄越せ」
堂島が不合格データを除外していた事実を暴いた公開試験から、数日後。
倉敷市水島地区の公民館には、あの日の熱気とは正反対の、重く冷ややかな空気が満ちていた。
会議室の正面には、『対魔鋼用精錬設備建設計画 住民説明会』というスライドが投影されている。
計画しているのは、真壁精錬所に隣接する候補地へ量産用設備を新設し、老朽化した既存区画も含めて安全設備を更新することだ。
集まったのは、候補地周辺に住む約五十人の住民たちだった。
彼らの表情に、新しい産業への期待はない。
あるのは、自分たちの生活が脅かされるかもしれないという、当然の警戒心だった。
「――以上が、現在想定している安全設備と、事故発生時の対応です」
俺はマイクを下ろし、深く頭を下げた。
この三十分間で説明したのは、地域への経済効果でも、S級探索者のためという大義名分でもない。
真壁精錬所で過去に起きた異常とヒヤリハットの記録。
魔石粉末の飛散と粉塵爆発。魔力残渣を含む排水。安定化工程で反応が暴走した場合の被害想定。
そのうえで、防爆集塵設備、排水浄化設備、反応槽の隔離、非常用電源を導入する計画を、現在確認できている数値とともに示した。
絶対安全です、という嘘はつかない。
危険があるからこそ、何を測り、どの時点で止めるのかを説明した。
「……九条さん、と言ったな」
最前列に座っていた初老の男が、ゆっくりと立ち上がった。
建設候補地周辺の自治会長を務める、大村という人物だ。かつては水島の化学プラントで設備保全を担当していたという。
「あんたの説明は、よう分かった。企業の説明会でありがちな、『絶対安全です』『町が豊かになります』という耳障りのええ話だけを並べなかったことは評価する」
大村は、鋭い眼光で俺を見据えた。
「真壁のオヤジの腕も、この辺りの人間なら知っとる。手抜きをするような職人じゃないこともな」
「ありがとうございます」
「じゃが、それと住民が安心できるかは別じゃ」
大村の声に、長年現場を見てきた者の重みが加わった。
「どれだけ立派な機械を並べても、動かすのは人間じゃ。フィルターの交換が遅れた。バルブの締めが甘かった。計器の異常を、まだ大丈夫じゃろうと見過ごした。事故は、そういう小さな判断から起きる」
会場の住民たちが、黙って頷いている。
「魔石の粉が外へ漏れたら、誰が最初に気づく。排水に異常が出たら、誰が止める。工場の中だけで『問題ありません』と言われても、外にいるわしらには確かめようがない。違うか?」
「……おっしゃる通りです」
俺は否定しなかった。
「設備を二重、三重にしても、人の判断を含めた事故リスクをゼロにはできません」
会場がざわめいた。
「やっぱり危ないんじゃないか!」
「住宅地の近くで、そんな設備を動かされてたまるか!」
「大企業でも事故を起こすのに、こんな小さな事業者へ任せられるのか!」
不安が、次々と声になって噴き出した。
隣で資料を操作していた芽衣が、マイクを握った。
「お待ちください。九条補給店は、これまでも危険を隠さず、厳しい基準で装備を――」
「お嬢ちゃん。探索者の安全と、ここで暮らす人間の安全は別問題じゃ」
大村が静かに遮った。
「あんたらの剣で誰かが助かっても、工場の異常でこの町の人間が傷ついたら意味がない」
芽衣は唇を結び、マイクを下ろした。
彼女の説明が悪いのではない。
俺たちはこれまで、装備を使う探索者の不安を言葉へ変えてきた。だが今、目の前にいるのは、装備を一度も手にしないまま、製造工程の危険だけを引き受ける住民たちだ。
「九条さん」
大村は再び俺へ向き直った。
「あんたらは、社会を支える供給網を作ると言ったそうじゃな。なら、製品を使う者だけでなく、工場の隣で暮らす者にも説明する責任があるはずじゃ」
「あります」
俺は真っ直ぐに答えた。
「だから、過去の異常記録も被害想定も開示しました。必要な条件があれば、設備と運用へ反映させます」
「情報を見せるだけでは足らん」
大村が一歩、前へ出た。
「工場側が安全だと言い張れば、住民は従うしかない。排気の粉塵濃度も、排水の魔力残渣も、わしらが確かめられるようにしろ」
そこで大村は、会場全体を見回した。
「そして、基準を超えた時や、異臭や振動などの異常が出た時には、住民側からも『緊急停止審査』を要求できる権利を寄越せ」
「停止の判断へ、住民も参加させろということですね」
「そうじゃ。工場を動かす側だけに、動かし続けるかどうかを決めさせるな。それができんのなら、この計画には同意できん」
横で聞いていた真壁が、険しい顔で立ち上がった。
「待て、大村さん。住民が不安になるたびに炉を止められたら、精錬の温度管理が狂う。途中で無理に止める方が危険な工程もあるんじゃ」
「それを安全に止める方法まで考えるのが、事業者の仕事じゃろう」
大村は一歩も引かなかった。
住民たちは、無知や感情だけで計画を拒絶しているのではない。
事故の危険を引き受ける以上、監視と異議申立ての権限を求めている。
極めて合理的な交渉だった。
一方で、住民の誰もが直接ラインを止められる仕組みでは、安全を守るどころか、新たな事故を招きかねない。
必要なのは、住民の異常申告を無視できず、同時に安全な手順で工程を止められる制度だ。
「……条件は理解しました」
俺は大村の目を見て答えた。
「今日は、安易な約束をしません。次の説明会までに、住民の皆様が数値を確認できる方法と、異常時に停止手続きを開始できる仕組みを、具体的に提示します」
拍手は起きなかった。
だが、「出て行け」という声も止まっていた。
反対は、初めて交渉可能な条件へ変わった。
*
公民館を出ると、冷たい夜風が頬を打った。
「九条さん……ごめんなさい。私、うまく説明できなかった」
芽衣が肩を落としていた。
「謝る必要はありません」
俺は首を横に振った。
「大村さんたちが求めているのは、説明のうまさではない。工場を信用しなくても、自分で異常を確認できる仕組みです」
「本当に、住民の人へ停止ボタンを渡すの?」
「炉を危険な状態で急停止させるボタンは渡せません。ですが、異常を申告し、安全が確認できるまで運転再開を認めない権限なら設計できます」
俺は、芽衣へ向き直った。
「専門家しか読めない監視項目を、住民が判断できる表示へ変えてください。ただし、簡単な表示の裏にある生データも隠さない。何を見て、誰へ連絡し、どの条件で止まるのかまで、一つの画面に落とし込みます」
芽衣は数秒考えた後、強く頷いた。
「分かった。工場が『信じてください』って言わなくても済む画面を作る」
設備を作るだけでは、精錬所は動かせない。
説明する側だけが握っていた停止判断を、どこまで外へ開くのか。
次に設計すべきなのは、機械ではなく権限だった。




