第60話 「粉末を全部やる。規格を寄越せ」
約束の時刻ちょうどに、二人の男が西原鋼業を訪れた。
一人は、天城マテリアルの魔材事業担当役員、久我総一郎。
もう一人は、精錬営業部長の堂島彰だ。
「町工場へ伺うのは、現場を軽視していないと示すためです」
久我は油の染みた床も、古い応接机も気にする様子がない。
「御社がKUJO-Gを公認規格まで押し上げた速度と、対象ロットを自ら停止した判断は評価しています」
最初から敵意を向けてきたわけではない。
巨大設備を持つ企業の責任者として、こちらの供給能力と規格の価値を測りに来ていた。
「その上で、率直に申し上げます」
久我は全国の精錬能力と需要量を示す資料を開いた。
「原石を産地と階層ごとに分け、小ロットで処理する方法は、検証には向いていても大量供給には向きません。切替洗浄、保管区画、個別分析に設備時間を取られ、処理単価も上がる」
「安全に必要な工程であれば、省くことはできません」
「必要性が証明されたなら、です」
久我の答えは冷静だった。
「弊社は、複数の由来が混在する原石を大型設備で均一化する試験を行っています。堂島」
「はい」
堂島が分厚い資料を机へ置いた。
混合原石から作った粉末の純度、粒度、反応値。
その粉末を用いた試験体の負荷グラフ。
表示されている曲線は、驚くほど狭い範囲へ揃っていた。
「初期試験では、十本すべてが警告判定帯の範囲内です」
堂島が説明する。
「当社の設備は、反応槽内部の温度と魔力刺激を細かく制御できる。古い小型設備で出たばらつきを、そのまま業界全体の限界と考えないでいただきたい」
相馬は資料を一枚ずつ確認した。
「平均値だけでなく、個々の生データを見せていただけますか」
「工程条件と生ログは、当社の営業秘密です」
堂島は笑顔のまま答えた。
「契約成立後は、必要な適合証明を提出します。現段階では、この評価資料で十分でしょう」
資料上の標準偏差は、不自然なほど小さい。
だが、要約値だけで不正だと決めつけることもできない。
天城の設備が、本当に俺たちの知らない制御を実現している可能性はある。
「本題へ入りましょう」
久我が契約書案を差し出した。
「天城マテリアルは、KUJO-G向け精錬粉末の必要量を、段階的に全量供給します。量産ラインへの設備投資、原石調達、品質保証窓口も弊社が引き受ける」
現在の九条補給店が最も必要としているものが、すべて並んでいた。
原料。
設備。
資金。
全国へ供給できる処理能力。
「価格と最低供給量は」
「最初の三年間は、契約別紙の範囲で固定します。真壁精錬所を検証拠点として残すことも認めましょう」
条件だけを見れば、西原鋼業への十億円の買収提案に劣らない。
だが、契約書の中ほどに、対価の本体があった。
「独占購入義務」
俺は条文を読み上げた。
「九条補給店は、KUJO-G向け精錬粉末を天城以外から購入できない。代替供給先の試験契約にも、天城の事前同意が必要」
「大型設備を専用化する以上、需要の保証が必要です」
久我が答える。
「そして、規格改訂の共同決定権」
「弊社が設備投資を負担する以上、精錬条件へ影響する改訂を一方的に行われては困ります」
大企業としての理屈は通っている。
だが、天城の粉末に異常が出た時、九条補給店だけの判断で原料を止めたり、検査項目を追加したりできなくなる。
「原料ロットごとの工程記録は、どこまで開示されますか」
「適合証明に必要な範囲です」
堂島が答えた。
「詳細な設備設定は開示対象外。監査は当社が指定する第三者機関を通していただきます」
「天城の工場が事故や災害で停止した場合、他社から緊急調達する権利は」
「当社が供給不能を宣言した後に限り、協議の上で認めます」
供給量は手に入る。
代わりに、止める権利と、別の入口を作る権利を渡す。
久我は俺の沈黙を、迷いと受け取ったらしい。
「九条さん。あなた方の規格には価値があります。しかし、全国需要へ応える設備はない」
彼は事実だけを述べた。
「規格と大規模設備が別々に主導権を争えば、供給停止が長引く。双方を一つにまとめるのが、最も速い解決です」
堂島が、笑みを浮かべて続ける。
「要するに、粉末は全部やる。その代わり、規格を寄越していただきたい。そういう提案ですよ」
契約の回答期限は、四十八時間後。
俺は署名せず、持ち帰って検討するとだけ答えた。
天城の二人が去った後も、机の上には分厚い契約書が残された。
それは救いの手ではない。
供給能力と引き換えに、俺たちが作った安全の物差しへ巻かれる、新しい首輪だった。
========================================




