第6話 対魔鋼という狂った試算
油と鉄の匂いが染み付いた、西原鋼業の薄暗い事務所。
年季の入ったスチールデスクの上には、俺が持ち込んだデータと、西原が引っ張り出してきた分厚い材料便覧が広げられていた。
西原はまだ、俺の提案に全面的な協力を約束したわけではない。
本当に試作する価値があるのか、そして技術的に可能なのか。
職人として、そして経営者としての厳しい目で、仮説の穴を探っている段階だった。
「いいか。素人の兄ちゃんにも分かるように言うぞ」
西原は、作業着の袖を捲り上げながら、図面の上に太い指を突き立てた。
「あんたが素材候補に挙げたタングステンとレアアース、それに魔石の粉末じゃ。確かに、理屈の上では面白い。じゃが、金属っちゅうのは強度と粘りが常にトレードオフなんじゃ」
職人の重い言葉が、狭い事務所に響く。
「魔物の硬い外殻を断ち切るために硬くすれば、今度は脆くなる。ガラスと同じで、限界を超えた瞬間に一気に割れる。逆に粘りを優先すれば、刃としての性能が落ちて使い物にならん」
西原はデスクの上のペンを取り、便覧の数値を叩いた。
「それに、タングステンとレアアースじゃ融点も性質も違う。そう簡単には混ざらん。ましてや魔石の粉末など、熱を加えた時にどういう挙動をするか、この便覧のどこにも載っとらんのじゃ」
俺は黙って頷いた。
西原の指摘は、技術的に極めて真っ当なものだ。
異素材を混ぜ合わせれば、不純物だらけの脆い鉄屑が出来上がる可能性の方が高い。
「強くて、なおかつ折れない。そんな魔法みたいな金属は、そう簡単に作れるもんじゃないぞ」
「ええ、分かっています。だからこそ、絶対に壊れない武器を作ってほしいとは言いません」
俺の言葉に、西原が怪訝そうな顔をする。
「俺がお願いしたいのは、魔力疲労に耐えつつも、破断より十分に早い段階で、使用者が見逃さない変化を出せる構造です」
「見逃さない変化、じゃと?」
「はい。突然折れるから人が死ぬんです。限界が近づいた時に、安全に退避できるだけの余裕をもって、危険を知らせる機能を持たせたい」
俺は手元のメモ帳を引き寄せ、単純な刃の断面図を描いた。
「どういう原理なら可能なのかは、俺には分かりません。ですが、ただ刃こぼれするのではなく、目視でハッキリと『もう使えない』と分かるようなサインが欲しいんです」
「色が変わるとか?」
不意に、横から若い声が挟まった。
いつの間にか事務所の入り口に立っていた芽衣が、お盆を持ったまま身を乗り出していた。
「文字や数値で警告されても、戦っている最中には読めないでしょ。でも、パッと見て色が違うなら、専門知識がない素人にも伝わるよ」
芽衣は俺の方を見て、思いつきを口にした。
「例えば、刀身に赤い線が浮かび上がるとか。それなら絶対に見落とさないし、レビュー動画でも『ほら、赤い線が出たから交換します!』ってすごく説明しやすいと思う」
「なるほど、赤い線か」
俺は芽衣のアイデアに頷いた。
刀身に明確な色の変化が現れるなら、探索者は視覚的に限界を悟ることができる。
交換すべき時期が目で分かれば、探索者の安全性を劇的に高められるはずだ。
将来的には、その分かりやすさを交換基準や品質保証の根拠にできるかもしれない。
「おいおい、勝手に話を進めるな」
西原が、呆れたようにため息をついた。
「金属の表面に都合よく赤い線を出すじゃと? 熱変色か、微細な亀裂の反射か知らんが、そんな現象を狙って起こせる保証はどこにもないぞ」
「仮の設計目標としてです。そういう変化を出せる可能性はありますか」
「……分からん。じゃが、個体差が大きければ、警告機能として信用できん。赤い線が出る前に折れてしまえば、商品として何の意味もないからな」
西原は釘を刺しつつも、腕組みをして思考を巡らせていた。
警告が出てから実際に折れるまで、十分な安全余裕を持たせる。
それはそれで、途方もなく難しい調整になるだろう。
「まあいい。いつまでも『魔力に耐えるかもしれない合金』では呼びにくい。議論を進めるための便宜上、仮に『対魔鋼』とでも呼んでおくか」
西原が、俺のメモ帳に書かれた図面を見下ろして言った。
まだ紙の上の名前にすぎないが、目指すべき方向性は見えてきた。
「もし狙ってそんな変化が出せるなら、職人としては面白い。だが、経営者としては別じゃ」
西原はデスクの引き出しから、古い電卓を取り出した。
「成功する確率なんか読めん。何十回も試験片を作って、高価な素材を鉄屑にして捨てることになる。その間、うちの炉や工作機械を通常業務から外さんといかん」
パチパチと、無機質な打鍵音が事務所に響く。
職人の顔から経営者の顔へと戻った西原が、費用を一つずつ積み上げていく。
「タングステンとレアアースの小口調達費。失敗分の予備。温度や変化を測定するための追加器具。それに、職人の工数と炉を止める損失じゃ」
西原は電卓のイコールキーを叩き、弾き出された数字を俺に見せた。
液晶画面に表示された金額を見て、俺は小さく息を呑んだ。
高くても、死ぬより安いと判断する顧客はいるかもしれない。
だが、完成前の仮説に金を払ってくれる者はいない。
億単位の案件を動かしていた頃とは違い、今の俺は倉庫の日雇いで生活をつないでいる身だ。
手元にあるわずかな生活費をすべてかき集めても、液晶画面の数字にはまるで届かない。
対魔鋼という理想の仕様案を前にして、俺は重い現実に直面していた。
この金額では、最初の炉に火を入れることすらできないのだ。




