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第5話 岡山、雨、町工場

東京から新幹線に乗り、さらに在来線を乗り継いで辿り着いた岡山県倉敷市は、冷たい雨に沈んでいた。


 今の俺にとって、往復の交通費は決して軽い出費ではない。

 だが、頭の中で組み上げた仮説を放置して、あの薄暗い倉庫で一生段ボールを運び続けることの方が、俺には恐ろしかった。


 灰色の雲が低く垂れ込め、アスファルトを叩く雨音が絶え間なく響いている。

 駅前からタクシーを拾い、工業地帯の入り組んだ道を抜けていくと、景色は洗練された市街地から、むき出しの鉄とコンクリートの世界へと変わっていった。


 目的の場所は、古びたトタン屋根が並ぶ一角にあった。

 タクシーを降りて傘をさすと、雨の匂いに混じって、焦げたような機械油と、削られた鉄の匂いが鼻を突く。

 看板には、塗装が剥げかかった文字で『西原鋼業』と書かれていた。


 開け放たれた作業場のシャッター越しに、稼働する機械の重低音と、金属を叩く甲高い音が響いてくる。

 俺は傘をたたみ、薄暗い工場の中へ足を踏み入れた。


 そこには、年代物の旋盤やフライス盤が所狭しと並び、床には油染みが黒々と広がっている。

 都会の会議室にはない、圧倒的な密度の「現場の熱」と「湿気」が空気に溶け込んでいた。


「すみません、少しお時間よろしいでしょうか」


 声をかけると、機械の前で作業着姿の老人が振り返った。


 白髪交じりの短髪に、深く刻まれた眉間の皺。

 手は無数の小さな傷と油汚れで黒ずんでおり、その分厚い指先が、彼が長年鉄と向き合ってきた職人であることを雄弁に物語っていた。

 彼こそが、西原鋼業の三代目社長、西原徹だ。


「なんじゃ、あんた。見ない顔じゃな」


 西原の眼光は鋭かった。

 突然現れた、スーツではなく着古したジャケット姿の俺を、上から下まで値踏みするように見る。


「飛び込みの営業なら帰ってくれ。うちは今、手一杯なんじゃ」


「営業ではありません。ご相談したい案件があって、東京から来ました。九条と申します」


 俺は名刺を持っていなかった。

 三葉物産の看板はとうの昔に失い、今は倉庫の日雇いで食いつないでいる身だ。

 肩書を持たない男の言葉が、いかに軽く、怪しく聞こえるか、俺自身が一番よく分かっていた。


 案の定、西原の表情はさらに険しくなった。


「名刺も持たんで、東京からわざわざこんな町工場に何の用じゃ。胡散臭い投資の話か、それとも、また大手の下請けとして安く買い叩こうって魂胆か?」


 西原の言葉には、強い警戒心と、長年下請け構造に苦しんできた町工場のリアルな疲弊が滲んでいた。

 資金も信用もない今の俺は、詐欺師か悪質なブローカーにしか見えないだろう。


「買い叩くつもりはありません。むしろ、この事業の設計段階から協力していただきたいんです。西原鋼業の特殊鋼加工の技術が、どうしても必要なんです」


「調子のいいことばかり言ってからに……。で、何を作れと言うんじゃ」


「ダンジョン用の、新しい装備です」


 その瞬間、西原が鼻で笑った。


「ダンジョンじゃと? あんた、今さら流行りに乗っかろうってのか。悪いがな、うちみたいな小さな工場が、大手が血眼になっとる市場に今から手を出したところで、設備投資の回収すらできんわ。帰ってくれ」


 西原が背を向け、再び機械に向かおうとする。

 言葉で説得しようとしても無駄だ。俺は持ってきた鞄から、クリアファイルを取り出した。


「ただの流行りではありません。今のダンジョン市場には、致命的な欠陥があります。これを見てください」


 俺は作業台の空いているスペースに、いくつかの資料を並べた。


「これは、ダンジョン内で起きた武器の破損事故のデータです。そしてこっちが、南米の鉱山で岩盤掘削に使われている重機部品の摩耗データです」


 西原が怪訝そうな顔で、歩みを止めた。


「鉱山? なんの真似じゃ」


「二つのデータを見比べてください。ダンジョン内での武器の破断報告と、鉱山の過酷な環境下での重機部品の劣化。用途も環境も違いますが、劣化の曲線には無視できない類似点があります」


 俺の言葉に、西原がわずかに眉を動かした。

 彼は油まみれの手をタオルの端で拭うと、作業台に並べられた資料を覗き込んだ。


「探索者の死亡事故の多くは、交戦中の武器の突然の破断で起きています。単純な物理衝撃だけで、外見は綺麗なまま真っ二つに折れる事例が多すぎる。俺は、探索者が帯びる魔力が、鋼の内部に微細な亀裂を蓄積させ、疲労の進行を早めているのではないかという仮説を立てました。仮に『魔力疲労』と呼んでいます」


 西原は黙って資料を見つめている。俺はさらに別の図面を広げた。


「だから、単に硬いだけの鉄を打っても意味がありません。限界を超えた瞬間に割れるだけです。必要なのは、魔力による負荷を分散し、あるいは受け流し、限界を事前に察知できる壊れ方をする装備です」


「……」


「俺が考えている素材候補は、タングステンと、いくつかの希土類、それに魔石の粉末です。これを組み合わせれば、その『安全な壊れ方』をする金属を作れる可能性があります」


 工場の中に、機械の音だけが響いていた。

 西原は、俺が持ち込んだグラフと、仮説をまとめた図面をじっと見つめている。

 少しの間をおいて、彼は顔を上げた。


「……素人が、ネットのデータと写真だけで原因を決めつけるな」


 西原の声は、先ほどよりも一段低くなっていた。


「比較条件が違いすぎる。鉱山のドリルとダンジョンの剣を、同じグラフに載せて語るのは乱暴じゃ。それに、タングステンとレアアースに魔石の粉じゃと? 候補を挙げれば合金になるわけじゃない。それぞれの融点も特性も違う。普通の炉じゃ溶け合わんし、仮に混ざっても、強度と粘りの調整なんか簡単にできるもんじゃないぞ」


 職人として、至極真っ当な反論だった。

 俺の仮説の技術的な粗を、的確に突いてきている。

 だが、最初のように「怪しい営業」として追い返そうとする態度は鳴りを潜め、資料の内容そのものに対する技術的な対話へとシフトしていた。


「おっしゃる通りです。俺は金属の専門家ではありませんし、具体的な配合も、炉の温度管理もわかりません」


 俺は知ったかぶりをせず、正直に答えた。


「俺にできるのは、市場の需要を整理し、必要な性能の要求条件を出すところまでです。それが実際に金属として形にできるかどうかは、西原社長、あなたの判断が必要です。不可能なら、どこが間違っているか教えてほしいんです」


 西原は分厚い手で顎を撫でながら、再び資料に目を落とした。


「荒唐無稽じゃが……全くのデタラメというわけでもない。確かに、今の武器の壊れ方には不自然な点が多いからな」


 その時、工場の奥にある事務所の扉が開き、一人の若い女性が顔を出した。

 西原の孫の、芽衣だった。


「おじいちゃん、お茶淹れたけど……あれ、お客さん?」


 彼女は高専の学生らしい、少しラフな格好をして、お盆に乗せた湯呑みを運んできた。

 作業台に広げられた資料を見て、目を丸くする。


「なにこれ。魔力疲労? 希土類? 専門用語ばっかりで、パッと見全然わかんないよ」


 芽衣が素直な感想を漏らす。


「魔力疲労って、要するに普通の剣が、見えないところから弱っていくってこと?」


「……まあ、そういうことだ」


 俺が頷くと、芽衣は「ふーん」と興味深そうに図面を覗き込んだ。


「うるさい、お前は引っ込んどれ」


 西原が孫を軽く追い払いながらも、その視線は資料に固定されたままだ。

 彼は深く息を吐き出すと、俺の顔を見た。


「……仮にこれが形になったとして、本当に売れるんか? こんな特殊な合金、試作するだけでもどれだけ金がかかるか分からんぞ」


「売れる保証はありません」


 俺は答えた。


「ですが、突然壊れる装備に命の危険を感じている人間は、確実にいます。問題は、必要な性能と価格を両立できるかどうかです。その判断をするためにも、まず試作の可能性を知りたいんです」


 西原は俺の顔と、作業台の上の資料を交互に見た。

 完全に警戒が解けたわけではない。まだ、得体の知れない素人の持ってきた仮説に対して、疑いの目は残っている。

 だが、ただの失職者が持ち込んだ紙切れが、彼の職人としての好奇心をわずかに刺激したのも事実だった。


「……話を聞く価値はあるかもしれんな」


 西原が、ぽつりとこぼした。


「まだ、やるとは言っとらん。資料は預かる」


 彼はそう前置きしたうえで、俺を鋭く見据えた。


「ただし――もしやるなら、本気の試作になるぞ」

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