第51話 粉塵を漏らせば、工場ごと終わる
バインダーには、真壁精錬所で起きた事故と異常が残されていた。
集塵フィルターの目詰まりによる局所発熱。
廃液タンクのバルブ劣化。
防護具の装着不良による作業員の魔力酔い。
小規模な発火、緊急停止、土壌の入れ替え。
重大事故には至っていない。
だが、一つ対応を誤れば被害が工場の外へ及ぶ記録ばかりだった。
報告書には、事故の規模だけでなく、その時に処理していた原料、運転条件、作業者、停止判断まで記されている。
真壁が設備の欠点を隠さず見せた理由が、ようやく分かった。
この男は、廃業する工場を高く売りつけようとしていたのではない。
俺たちが危険を知った上で、それでも責任を持って再稼働を検討できる相手かを見ていたのだ。
「魔石粉末は、ただの石の粉じゃない」
真壁が言った。
「高濃度の粉塵が空気中へ舞い、着火源が重なれば連鎖的に反応する。粉塵を漏らせば、工場ごと終わる」
「湿式処理の廃液も問題ですね」
相馬が記録を読む。
「魔力残渣を基準以下まで除去しなければ、排水できない」
「処理を誤れば営業停止で済まん。周辺へ影響を出したら、この土地で二度と仕事はできん」
「西原鋼業の敷地へ、小型設備だけ移す案は」
俺が確認すると、真壁は即座に首を横へ振った。
「論外じゃ。鉄工所の集塵と排水は、魔石精錬を前提にしとらん。炉の火もある。狭い敷地で粉砕と鍛造を同時にやれば、危険源を自分から重ねるだけじゃ」
「うちの職人に兼任させるのも無理じゃな」
西原が険しい顔で認めた。
「鉄を打つ手順と、反応槽を管理する手順は別物じゃ。半端に覚えた人間を増やす方が危ない」
精錬は、西原鋼業の一工程として継ぎ足せる仕事ではない。
専門の運転主体と、独立した安全管理が必要だった。
俺は事故記録を閉じなかった。
発生日、設備、原因、応急措置、恒久対策。
記録から、試験再開前に確認すべき箇所を抜き出していく。
「九条さん」
真壁が低い声で言った。
「危険を表へ出したら、金が逃げると思わんのか」
「隠したまま動かせば、人と信用が消えます」
俺は答えた。
「KUJO-Gも、壊れないと約束した規格ではありません。異常を記録し、対象を止め、原因を追えることを条件にしました。精錬でも同じです」
その日の午後、設備保全会社と安全診断機関へ現地調査を依頼した。
診断結果は厳しかった。
小型試験区画だけを再稼働させる場合でも、防爆集塵装置の主要部品、廃液バルブ、警報器、防護具の更新が必要になる。
試験中に異常が出た際、反応槽を建屋の外から止める緊急遮断系も古い。
粉塵濃度計は校正期限を過ぎ、排水採取口は現在の検査手順に適合していなかった。
「ここを直さず動かす選択肢はありません」
相馬が、診断表へ赤い印を付けていく。
「最低限という言葉を、安全設備の値切りに使うべきではないです」
「異論はありません」
全工場を最新設備へ替える金額ではない。
それでも、九条補給店の現金だけで即時に全額払える額ではなかった。
融資返済表へ改修費をそのまま足せば、数か月後の運転資金が底を突く。
公認後の購入希望を、入金済みの売上として計算へ入れることもできない。
「安全費用を削る案は外します」
俺は見積書へ線を引いた。
「動かす範囲を、小型試験区画へ限定します。更新設備は購入だけでなくリースを検討する。支払いは工程ごとの段階払いにし、真壁精錬所の施設提供も共同事業への現物負担として評価します」
九条補給店が負担できるのは、手元資金のうち既存契約と返済予定を除いた範囲だけだ。
交換した設備そのものを担保評価できるリース会社へ見積もりを取り、保全会社には診断、交換、試運転の三段階で支払いを分けてもらう。
真壁精錬所は、建屋と既存設備の使用権を提供する。
それぞれの負担、所有権、試験中止時の原状回復を、契約へ明記する。
金がないから曖昧に共同事業を始めれば、失敗した時に誰も責任を取れなくなる。
「それでも審査と資金は要るぞ」
真壁が言う。
「ええ。資金が確定するまで、設備には触れません」
焦って無許可で動かせば、KUJO-Gの供給を守るために別の供給事故を作ることになる。
俺は必要な確認先を並べた。
設備安全。
労働安全。
消防。
排水と廃棄物。
既存許可の範囲と、変更手続き。
「まず、制度上の順番を確認します」
俺の頭に浮かんだのは、星野環だった。
彼女に許可を出してもらうためではない。
どの行政機関へ、どの資料を、どの順番で出すべきか。
近道を探す前に、正しい入口を確かめるためだ。
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