第42話 御堂、更迭
三葉物産、本社ビル。
臨時役員会の席で、御堂龍之介はM-GUARD事業の現状を報告していた。
行政による新規輸入・流通審査の保留。追加試験に必要な期間と費用。販売計画の見直し。既存購入者と取引先への対応。
さらに、KUJO-Gが現時点で唯一の協会公認規格となり、三葉が安全装備市場の主導権を失ったと見られたことで、株価も大きく下げていた。
巨大商社である三葉が、一事業の失敗だけで傾くわけではない。
それでも、調達、物流、宣伝、在庫へ投じた費用と、ブランドへの影響は無視できなかった。
「御堂君。法務や安全部門の確認を、強引に押し切ったのか」
役員の一人が問うた。
「いいえ」
御堂は正面から答えた。
「限定条件下の初期試験、輸入ロットの確認、保証と回収窓口の設置。発売時点で必要と判断した手続きは、正式に通しています」
違法行為も、検査結果の捏造もない。
「では、なぜ追跡記録と赤色表示の基準が不足した」
「市場投入の速度を優先したためです」
御堂は言い逃れをしなかった。
「KUJO-Gが事実上の標準になる前に、三葉の製品を市場へ出す必要があると判断しました。材料・熱処理単位までの追跡や、長期反復、不規則負荷の検証は、販売と並行して進める方針でした」
完全な検証を待てば、参入する前に市場の物差しを握られる。
その読み自体には、経営上の合理性があった。
「ですが、残した未確認範囲が行政の保留措置と市場の不信へつながった。九条を規格形成の中心から外すことへ意識を向けすぎ、市場が価格より、追跡可能な基準を選ぶ変化を読み違えました」
御堂は一礼した。
「判断の責任は、私にあります」
部下にも、海外メーカーにも、行政にも責任を転嫁しない。
役員会は、御堂を新規事業部長職から解き、M-GUARD関連事業の指揮権から外すことを決定した。
懲戒解雇ではない。
引き継ぎと社内調査への協力を命じ、今後の処遇は別途決める。
大企業における、明確な更迭だった。
「承知しました」
御堂は静かに頭を下げた。
*
「はい、広報・IR部の七瀬です」
三葉物産の広報フロアでは、問い合わせの電話が鳴り続けていた。
七瀬美月は、顧客や投資家へ同じ説明を繰り返す。
「永久禁止や全面回収が決まった事実はございません。現在は追加資料と試験結果の確認中であり、事故原因も未確定です」
不確かな安全情報を断定せず、必要以上に不安を煽らない。
通話を終えた美月は、御堂の人事異動を知らせる社内外向け文書へ戻った。
その画面の隅には、KUJO-G公認を報じる記事が表示されている。
九条が失職した時、美月は安定した将来を選び、婚約を解消した。
その選択を、今さら恋愛的な後悔で塗り替えるつもりはない。
ただ、九条という人間への見立てが浅かったことは認めざるを得なかった。
彼は、一人で奇跡の金属を発明したのではない。
職人、技術者、利用者、工場、協会、行政をつなぎ、記録と責任を追える仕組みへ変えた。
会社という肩書を失えば、力まで失う人間だと見ていた。
だが実際には、肩書がなくなった場所から、新しい物差しを作ったのだ。
美月は九条へ連絡することなく、人事発表の文書を完成させた。
*
西原鋼業の事務所で、公認後の品質管理要項を整理していた時だった。
見慣れない番号から、俺のスマートフォンへ着信が入る。
『三葉物産の御堂だ』
「人事発表は見ました」
『M-GUARDの事故調査について、今後の協会経由の連絡窓口を後任へ引き継ぐ。その確認だ』
御堂は業務上の要件を淡々と伝えた。
そして、通話を終える直前に言った。
『お前が勝ったのは、鋼の性能だけではない』
俺は黙って聞いた。
『品質、責任、供給を一つの基準へまとめ、市場の物差しを先に作った。俺は製品と価格で後から追いつけると判断し、読み違えた。この市場の初手は、俺の負けだ』
嘲笑する気にはならなかった。
過去のリストラを持ち出し、復讐を喜ぶつもりもない。
「俺は、必要な供給と記録をつないだだけです」
俺は答えた。
「公認されても、まだ全国へ届けられない。勝ったというより、背負う責任が増えました」
『そうだ。だが九条、お前は少し勝ちすぎた』
御堂の声が低くなる。
『KUJO-Gは独占権ではない。それでも、現時点で唯一の公認基準の起点にお前がいて、不足する供給の順番まで決め始めている』
その指摘は、事実だった。
『市場の物差しと供給を握る者に向けられるのは、競合企業の資本だけではない。別種の力と責任に、足元をすくわれるな』
具体的な規制や政治の名は出さない。
御堂は抽象的な警告だけを残し、電話を切った。
事務所へ静寂が戻る。
モニターには、KUJO-Gの公認条件と、現有能力を何倍も超える供給希望の列が並んでいた。
優先供給への批判は消えず、KUJO-G0も点検サービスも設計の途中だ。借金も残っている。
市場の標準を取った。
だが、御堂の「勝ちすぎた」という言葉が、胸の奥へ重く残った。




