第38話 星野環、通関を止める
経済産業省、新資源政策室。
室長補佐の星野環は、複数の資料を机上へ並べていた。
三葉物産が提出した『M-GUARD』の国内初期試験証明、輸入時の検査記録、海外工場から国内販売までのロット対応表。
ダンジョン協会から届いた事故報告と、事故品の製品番号。
そして、九条補給店から提出されたKUJO-G規格案の工程記録と、暫定試験手順案だ。
M-GUARDは、無検査で市場へ流された製品ではない。
国内の専門機関で、限定条件下の負荷試験を受けている。輸入時のロット確認も、抜き取り試験も実施されていた。
だが、事故が起きた今、必要なのは「検査をした」という事実だけではない。
「赤色表示が出たことは記録されている。ですが、どの負荷で表示され、破断までにどれだけの余裕を確保すべきか。その合否基準がない」
星野はロット対応表へ視線を移した。
海外工場の製造単位と、国内の販売ロットは紐づけられている。
しかし、事故品がどの材料単位、どの熱処理工程から作られたのかを、一意に遡れる粒度ではなかった。
事故ロットと、国内試験へ提出されたサンプルが同等の条件で製造されたものか。提出書類だけでは、十分に確認できない。
KUJO-Gに、絶対的な安全の証明があるわけでもない。
長期実績は不足し、赤線判定方法も暫定案。協会の追加審査中にある、一つの民間規格案にすぎない。
ただ、製造工程、試験結果、未確認事項、回収後に追跡する項目が分けて記録されていた。
何が安全かを証明する完成品ではなく、何を確認しなければならないかを整理する参考にはなる。
「星野補佐」
産業界との調整を担当する上司が、慎重な声を出した。
「事故は一件で、原因も未確定です。大手商社の輸入を止めれば、装備供給と市場価格へ影響する。海外メーカーとの取引もあります。拙速な介入だと批判されかねません」
正当な懸念だった。
星野も、事故が起きたという理由だけで、一つの製品を永久に排除するつもりはない。
「処罰ではありません」
彼女は起案書を開いた。
「事故ロットと試験ロットの同等性を確認できず、警告表示の判定基準も不明確なまま、新しいロットを流し続けることはできない。確認できるまで、対象範囲を止めるだけです」
星野の起案は、関係部署と安全審査の手続きへ回された。
決定されたのは、M-GUARDの永久禁止でも、既販売品の全面回収でもない。
追加資料と補足試験が整うまで、新規輸入分の通関・安全確認手続きを保留する。
国内倉庫にある未販売の対象ロットも、流通審査を一時停止する。
必要な確認を満たせば、再開は可能だ。
星野は、正式な決定通知へ目を通した。
「基準を満たせないものを罰するのではありません。確認できないものを、確認できないまま通さない。それだけです」
*
三葉物産、本社ビル。
御堂龍之介は行政からの通知を読み、表情を強張らせた。
港へ到着した新規輸入分と、国内倉庫にある未販売の対象ロットが動かせない。
今月の販売計画は、大幅な見直しを迫られる。
「海外メーカーへ追加記録を要求しろ。材料と熱処理の単位まで遡れる形だ」
御堂は即座に指示を出した。
「事故ロットと試験ロットの同等性を確認する。国内機関へ反復負荷試験も追加で依頼しろ。法務、安全、物流は再提出資料をまとめろ」
「既存購入者への対応は」
「問い合わせ窓口を増員する。不確かな説明はするな。確認できた範囲だけを伝えろ」
部下たちが動き出す。
御堂は、机上の通知へ視線を落とした。
市場投入の速度を優先するため、未確認のまま残した範囲。その範囲を埋めなければ、次の製品を動かせなくなった。
苛立ちはある。
だが、追加資料と試験結果が基準を満たせば、再開への道は残っている。
三葉はまだ、敗北したわけではなかった。
*
行政の発表を、俺は西原鋼業の事務所で確認した。
公表されたのは、対象となる新規輸入分と未販売ロットについて、追加確認まで手続きが保留されたという事実と、理由の概要だけだ。
「三葉の安い製品、しばらく増えないってことだよね」
芽衣が言った。
「ええ。ただ、俺たちが勝ったわけではありません」
今回の措置は、九条補給店を救うためのものではない。
事故品を試験記録へ遡って確認できないという、M-GUARD側の資料上の問題が判断の中心にある。
俺たちが残してきた工程、ロット、検査、未確認事項の記録は、行政が確認項目を具体化する参考の一つになったにすぎない。
KUJO-Gへの疑念は消えていない。
利用希望も戻らず、参加工場の資金不安も、俺の借入も残ったままだ。
KUJO-Gは協会公認ではなく、M-GUARDの事故原因も確定していない。三葉が必要な確認を終えれば、販売は再開される。
価格攻勢が、一時的に止まっただけだ。
*
同じ頃、都内のテレビ局では、報道番組の企画会議が開かれていた。
「赤色警告装備の事故と、輸入品の審査保留。探索者の装備安全という切り口で特集を組めないか」
プロデューサーが資料を叩く。
「事故原因は未確定です。断定的な構成にはできません」
「分かっている。だから、実際に赤色警告装備を実戦で使った探索者へ聞く」
画面に、日本ランキング三位のS級探索者の写真が表示された。
白銀の陽炎、桐生陽菜。
「桐生選手と、試験装備を提供した九条補給店へ取材を申し込め。生放送の特集枠も押さえておけ」
行政が確認を始めた装備問題は、次に、全国放送の画面へ移ろうとしていた。




