第32話 カウンターは価格じゃない
西原鋼業と五工場の参加継続が決まった後、俺は供給網の戦力を洗い直した。
強みは、意思決定の速さだ。
各工場の加工技術。
検査と責任分界を共有する規格案。
探索者の声を直接聞き、仮説から試験までを短く回せること。
一方、弱点も多い。
資本、法務、管理人員、研究設備。
そして、材料解析と試験設計を専任で担う人材がいない。
今は破損のたびに西原が製造の手を止め、外部の検査先を探し、俺が結果を別々の資料へまとめている。
回収・点検まで始めれば、このやり方では判断が詰まる。
速さという強みを、自分たちの人手不足で失うことになる。
三葉が買収提案を断られただけで、市場から手を引くとは考えられない。
価格、信用、販売網。
大企業が一般に使える手段は、いくらでもある。
価格で殴り合えば、俺たちは勝てない。
無理に値下げすれば、工賃か検査が削られる。
それでは、KUJO-G規格案を自分たちで壊すことになる。
カウンターは、価格じゃない。
G0と回収・点検の仕組みを作るには、職人の経験を、再現できる試験条件へ変える人間が必要だ。
破損面と摩耗状態の分析。
ロットごとの差の評価。
回収記録の整理。
改善案を試す手順と、結果を規格書へ戻す作業。
西原は製造の専門家だ。
その上に、研究解析と文書化まで背負わせるべきではない。
「……一人、心当たりがある」
三葉物産にいた頃、南米鉱山用の掘削部品を扱う社内横断案件で、短期間だけ一緒に仕事をした男を思い出した。
相馬直人、二十九歳。
素材開発部門の若手技術者だった。
突飛な発明を連発する人間ではない。
報告書だけで破損原因を決めず、現物の破断面と試験条件を確認してから、一つずつ可能性を潰す実務家だ。
公開された技術講演資料を調べると、相馬は現在も材料評価と破損解析に関わっていた。
社員名簿や内部情報を使う必要はない。
過去に正当に交換した連絡先へ、俺はメールを送った。
技術者としてのキャリアと、九条補給店での雇用可能性を含む面談だと、最初から明記した。
*
数日後の夜。
都内のカフェで、勤務を終えた相馬と向かい合った。
「西原鋼業への資本提案が、不成立になった直後ですよね」
相馬はコーヒーへ手をつけず、俺を見た。
「その九条さんが、今度は三葉の技術者へ転職の話を持ってくる。警戒するなという方が無理です」
「当然だと思います」
「対魔鋼の配合や、うちの研究計画を聞き出すつもりなら、ここで帰ります」
「三葉の資料、データ、試料、配合、顧客情報は一切いりません」
俺は、先に境界線を引いた。
「持ち出した時点で、相馬さんも九条補給店も終わります。必要なのは機密ではなく、公開情報と、こちらが権利を持つ試験体だけで、一から検証を組める人です」
相馬の表情から、警戒が少しだけ薄れた。
「俺たちには加工技術がある。しかし、試験計画、破損解析、回収品の比較を専任で担う人がいません」
「それで、私を?」
「南米案件で、あなたは報告書より先に現物を見せてくれと言った。必要なのは、そういう技術者です」
相馬は黙り、やがて視線を窓の外へ移した。
「三葉で試験案を出すと、収益性、法務、ブランド、他部署との調整が必要になります」
「手続きに不満がある?」
「必要なのは分かっています。会社の信用と、事故時の責任を守るためです」
相馬は、両手を組んだ。
「でも、現物を試す前に数ヶ月経つ。技術者として、結果を見るまでが遠いんです」
協会の公開比較試験も見たという。
九条補給店が、仮説、試作、試験、修正を短期間で回していることは、技術者なら分かった。
「私も、調整資料だけを作るのではなく、破損面を見て次の試験を組みたい」
「なら、こちらへ来ませんか」
俺は、条件を飾らずに並べた。
給与と福利厚生は、三葉より下がる。
事業は不安定で、俺自身も借入と個人保証を抱えている。
専用研究所はなく、最初は町工場の一角だ。
研究予算にも限界がある。
「提供できるのは、自分で試験を組み、西原たちと現物を確認できる環境です。仮説から試験開始までの判断を、少人数で行える」
「速さを理由に、検査を省くつもりは?」
「ありません。短くするのは承認までの距離であって、安全確認ではない」
研究内容、権限、責任範囲、給与は契約書へ書く。
採用すれば固定費は増える。借入を抱える今の俺たちには、軽い判断ではない。
それでも、不足した能力を無償の善意で埋める方が、長くは続かなかった。
無償の協力も、夢だけを対価にした参加も求めない。
「資料を通すだけではなく、現物を作って壊し、次の安全基準へ変える現場に来ませんか」
相馬は、すぐには答えなかった。
「退職手続き、秘密保持、知的財産、競業条件を確認する必要があります。家族とも話します」
「正規の手順で進めます。三葉との関係が終了するまで、こちらの業務には触れていただきません」
相馬は頷いた後、公開比較試験の画像が載った資料を見た。
「返事の前に、正式な条件書と、西原鋼業の現場を見せてもらえますか」
「分かりました。見学の許可を取ります」
転職は、まだ決まっていない。
ただ相馬は、三週間で公開試験まで進んだ現場を、自分の目で確かめたいと言った。




