第3話 ダンジョンで一番足りないもの
埃っぽい倉庫でのアルバイトを終え、俺は家賃五万円の狭いアパートへと帰宅した。
泥のように重い身体を引きずり、シャワーも浴びずに安いノートパソコンの電源を入れる。
三葉物産にいた頃は、最新スペックの社用PCとマルチモニターで世界の市場を監視していた。それに比べれば、今目の前にあるのは処理速度の遅いガラクタみたいなものだ。
だが、今の俺にはこれで十分だった。
画面に次々とウィンドウを展開していく。
開いたのは、ダンジョン協会の公式発表資料。
そして、探索者たちが集まる匿名掲示板、最新のレビュー動画、一般公開されている各種の事故報告書だ。
世界中にダンジョンが出現してから三年。
現在、日本全国に確認されているダンジョンの数は三百十二箇所に上る。
それに伴い、ダンジョン協会に登録している探索者の数は、実に二十八万人を超えていた。
二十八万人。
一つの巨大な都市が形成できるほどの人間が、毎日ダンジョンに潜っているのだ。
魔石という新時代のエネルギー資源を求め、あるいは一攫千金を夢見て、彼らは命を懸けて地下へと降りていく。
東証にはダンジョン関連指数が新設され、日本中のあらゆる産業がこのバブルに狂喜乱舞していた。
だが、その熱狂の裏側で、現場の人間たちは何を叫んでいるのか。
俺は掲示板のタイムラインや、動画のコメント欄を無心でスクロールしていった。
そこは、不満と怨嗟の吹き溜まりだった。
「魔石の買取価格が足元を見られすぎている」
「ドロップ品のポーションは四十八時間で劣化する。在庫管理がクソすぎるだろ」
「探索者保険の掛け金が狂ってる。死亡率が高すぎて、まともな保険会社が引き受けてくれないせいだ」
有象無象の書き込みが滝のように流れていく。
普通の人間なら、これらをただの「現場の愚痴」や「不便な体験談」として読み飛ばすだろう。
あるいは、ダンジョンという非日常の過酷さに同情するだけかもしれない。
だが、俺には違って見えた。
これらすべての不満は、巨大な「市場の穴」を叫ぶ声そのものだった。
俺は無意識のうちに表計算ソフトを立ち上げ、彼らの不満をカテゴリーごとに分類し始めた。
不満の数、書き込まれた頻度、そしてそれが命に関わる度合い。
商社時代に培った、市場をマクロで俯瞰し、数字の羅列から需要の偏りを見つけ出す感覚。
点と点だったただの愚痴が、俺の頭の中で明確なデータとして線で結ばれていく。
画面を分割し、需要と供給のギャップをマトリクスに落とし込んでいく。
誰にも頼まれていない。金になる保証もない。
それでも、会社を追われてから止まっていた商社マンとしての思考 が、熱を帯びて猛烈な勢いで回転し始めていた。
俺は、その分類されたデータの中で、ある一つの異常な数値の偏りに目を止めた。
装備の破損。
とくに、武器の突然の破断に関する報告が、他の不満に比べて異常なほどに多いのだ。
俺は協会の事故報告書と、掲示板の死亡報告、そして動画サイトに残された探索者のヘルメットカメラの映像を照らし合わせていった。
そこから浮かび上がってきた事実は、背筋が凍るような現実だった。
探索者の死亡事故の一部は、魔物が強すぎたから起きたものではなかった。
交戦中に、武器が『突然、真っ二つに折れる』ことで起きているのだ。
ダンジョンという異常な環境下において、通常の鉄で打たれた鋼の剣は、急速に劣化するらしい。
昨日まで何の問題もなく使えていた剣が、たった数回の戦闘でいきなり限界を迎え、折れる。
前兆はない。見かけ上は綺麗な刃のまま、最も負荷がかかる致命的な瞬間に、唐突に砕け散るのだ。
結果として、探索者たちはどうしているか。
彼らは武器を、大切に手入れして長く使う耐久財としてではなく、すぐに使い捨てる『消耗品』として買い替えることを余儀なくされていた。
「探索者たちは、魔物に負けているんじゃない」
暗い部屋の中で、俺は一人ごちた。
「供給に負けているんだ」
戦場において、弾薬や装備の供給が途絶えることは死を意味する。
彼らは強大なモンスターに殺されているのではなく、劣悪な供給網に首を絞められて死んでいるのだ。
彼らは掲示板で口々にこう叫んでいる。
『絶対に折れない、強い武器がほしい』と。
だが、それは間違いだ。
商社の人間として、あらゆる資材の物流と限界を知っている俺からすれば、「絶対に壊れないもの」などこの世のどこにも存在しない。
どんなに頑丈に作られた機械も、いつかは必ず摩耗し、壊れる。
それを「壊れない」と過信し、メンテナンスの時期を見誤ることこそが、現場における一番の死亡要因になるのだ。
本当に必要なのは、絶対に折れない伝説の剣などではない。
『壊れる前に、もうすぐ限界だと危険を知らせてくれる装備』だ。
限界が来る前に交換のタイミングが可視化されていれば、少なくとも、戦いの最中に突然武器を失って死ぬ確率は劇的に下げられる。
ユーザー自身に限界を悟らせ、安全な場所で新しいものと交換させる。
誰が一番困っているか。
誰がそこに命の対価として金を払えるか。
市場で最も欠落しているピースは何か。
俺がやるべきは、鍛冶屋のように一本の優れた剣を打つことではない。
現場で最も足りていないものを、適切な形で途切れることなく流し込み続ける仕組みを作ること。
つまり、「武器屋」ではなく「補給屋」になることだ。
サプライチェーン。
要は、現場の命綱となる道具が、安全にユーザーの手元に届き、循環するまでの道である。
この巨大なダンジョンバブルの中で、国民も企業も、全員が魔石という新資源を「掘る側」に回っている。
ならば俺は、彼らが掘るために絶対に欠かせないものを供給する側に回る。
俺はパソコンの画面に並んだ、武器の劣化速度のグラフを食い入るように見つめた。
通常の鋼が、数日で急速に限界を迎えるその不自然な曲線。
どこかで見たことがある。
俺は記憶の糸をたぐり寄せた。
南米の過酷な環境で、硬い岩盤を削り続ける巨大な掘削機。
その先端にあるドリルや、摩耗していく重機部品のデータシート。
ダンジョン内での武器の不可解な劣化速度は、あの鉱山設備の摩耗パターンと、奇妙なほどに似ていた。




