第26話 数字だけ見ていた
東京の狭いアパートで、俺はノートパソコンの画面を見続けていた。
売れ残った初回ロット。
数件だけ確定した売上。
素材代、加工費、検査費。
最後の列には、支払い期限までの残日数が赤字で表示されている。
七日。
計算式に間違いはない。
間違っていたのは、式へ入れた需要の意味だった。
いくら表を見直しても、足りない現金は増えない。
三葉物産で退職を告げられた日の感覚が蘇った。
南米案件そのものが消滅し、会社は数字に従って俺を切った。
合理的な判断だと理解できたから、反論できなかった。
だが、今回は不可抗力ではない。
俺の需要予測を信じ、工程を引き受けた工場へ支払う責任がある。
また数字に切られる側へ戻った。
しかも今度は、俺一人では済まない。
*
翌朝。
始発の新幹線で倉敷へ向かい、西原鋼業の事務所でも計算を続けた。
価格を下げるべきか。
分割払いを導入するか。
どの条件なら、在庫が支払日前に現金へ変わるのか。
「九条さん。少し休め」
西原が、紙コップのコーヒーを机へ置いた。
「机の上だけじゃ、鉄も人も分からんぞ」
「昨日、理由は聞きました」
「仮予約をしてくれた人に、でしょ?」
芽衣が、横から口を挟んだ。
「その人たちは、最初からうちの剣に興味があった人たちだよ。買わなかった人や、店まで来ていない人の怖さは、まだ見てない」
必要な聞き取りはした。
そう反論しかけて、やめた。
対象者の選び方が偏っている。
商社を辞めた直後の俺は、SNSに流れる現場の愚痴から市場の穴を見つけた。
だが、仮予約という数字を手にした途端、現場へ行かず、表の中だけで人間を動かそうとしていた。
俺はノートパソコンを閉じた。
「協会の岡山支部へ行ってきます」
*
岡山支部に併設された一般向け施設には、探索前の待機広場と、登録相談窓口がある。
資金繰りの話は伏せ、装備選びに関する聞き取り調査だと説明して、探索者へ声をかけた。
「九条補給店? 新しい剣の営業か?」
「知らない武器を買う気はないぞ」
最初は警戒された。
俺は商品を勧めず、今使っている装備、選んだ理由、交換方法、不安に思うことだけを聞いた。
少しずつ、相手の言葉が増えていった。
「今の武器にも不満はある。だから予備を多めに持って、早めに交換してる」
中堅パーティーのリーダーが答えた。
「新しい剣へ替えて、知らない壊れ方をしたらどうなる。俺だけじゃなく、仲間も死ぬんだ」
そう言った男は、自分の剣ではなく、隣で出発準備をする仲間を見ていた。
柄を握る手。
声をかける前に、仲間の顔色を確かめる視線。
電話では見えなかったものが、目の前にあった。
彼らは臆病なのではない。
未知の装備を避けることも、仲間の命を預かる者にとっては合理的な判断だ。
中堅層を今すぐ乗り換えさせようとした、俺の売り方が間違っていた。
待機広場を離れようとした時、相談窓口の近くにいる若者たちが目に入った。
登録を終えたばかりで、まだ一度もダンジョンへ入っていない新人たちだった。
「装備選びで、困っていることはありますか?」
俺が尋ねると、彼らは顔を見合わせた。
「何から買えばいいのか、分からないんです」
「武器、防具、予備、ポーションって、店ごとに勧められる物が違って」
「中古は安いけど、安全かどうか判断できないし。新品も、値段の違いが性能の違いなのか分かりません」
「登録講習では、ダンジョンでやってはいけないことは教わりました。でも、店へ行ったら商品が多すぎて……」
別の新人が、困ったように笑った。
「武器に予算を使った後で、予備と回復品も必要だって知りました。最初から全部分かるようになっていればいいのに」
市場には、武器も防具も回復品もある。
だが、それらをどの順番で選び、いつ点検し、どこで撤退するかは、新人自身へ投げられていた。
一人が、買ったばかりらしい安価な剣を見下ろした。
「一番強い剣じゃなくていいんです」
その手は、柄を握ったまま固くなっていた。
「何を買えば、最初の探索で死なずに帰れるのか。それが分からないんです」
中堅層とは、恐れているものが違う。
俺はメモ帳を開いた。
中堅層。
支払い能力と不満はある。しかし、慣れた運用と仲間への責任があり、乗り換えの心理的負担が大きい。
新人層。
予算と経験は少ない。特定の装備や運用へのこだわりもない。必要としているのは最大強度ではなく、選び方、点検、交換時期を含む生還までの道筋だ。
「あの、もう分かったんですか?」
新人の一人が、走り続けるペンを見て言った。
「まだ仮説だ。今度は、決める前にもっと聞く」
俺はそう答え、メモ帳を閉じた。
俺が中堅層へ売ろうとしたのは、既存装備から乗り換えるための剣だった。
新人が求めているのは、最初の探索で死なないための入口だ。
最強ではなく、最初に死なないための仕組み。
新しい供給設計の方向だけが、ようやく見えた。
商品も、価格も、まだ決まっていない。
在庫も、現金不足も、そのままだ。
一日が過ぎた。
工場への支払い期限まで、あと六日。




