第22話 三葉物産、動く
三葉物産、本社ビル。
新規事業部の防音会議室で、対魔鋼関連事業の立ち上げ検討会が開かれていた。
円卓を囲むのは、新規事業部だけではない。
調達、素材開発、事業投資、法務、広報・IR。
一つの市場へ参入するために必要な部門から、担当者が集められていた。
「公開比較試験以降、九条補給店への関心は高まり続けています」
情報担当の社員が、スクリーンへ資料を映した。
「とはいえ、確認されたのは試験モデル一振りの挙動だけです。安定量産も価格決定もできておらず、百件あるのも無償の仮予約にすぎません」
画面が切り替わり、大手装備メーカーと共同で類似製品を開発する案が表示された。
「今なら、同種の安全機能を持つ製品を正面から開発し、三葉の販売力で市場へ投入すれば追い越せます」
何人かが頷いた。
御堂龍之介だけが、資料を見たまま動かなかった。
「却下だ」
短い言葉で、会議室が静まる。
「完成品の開発競争だけをしていては、間に合わない」
御堂は、KUJO-G規格案の関係図を表示させた。
「九条の強みは、対魔鋼そのものではない。西原鋼業の製造技術、規格協議へ参加する町工場、素材の候補、探索者へ届く販売窓口。それらを一つの基準で結ぼうとしていることだ」
現時点では、まだ線になりかけているだけだ。
西原鋼業以外の五社は、製造契約を結んでいない。
原料の安定調達も、量産工程も完成していない。
「だから、完成する前に三葉側の選択肢を置く」
「九条補給店を潰す、ということでしょうか」
「違う」
御堂は即座に否定した。
「取引先が九条と組むより、三葉と組む方が有利だと判断できる条件を提示する。正当な契約と投資で、九条だけが中心になれない市場を作るんだ」
御堂は調達部へ視線を向けた。
「タングステンと希土類について、既存の海外調達網を洗い直せ。供給余力、価格変動、長期契約の選択肢を調べろ。まだ枠を押さえる必要はない」
「承知しました」
「素材開発部は、大手装備メーカーとの共同開発と技術提携の可能性を確認。法務は、未知の魔石粉末を含む製品の責任範囲を整理しろ」
指示が各部門へ振り分けられていく。
「事業投資部は、九条の規格協議へ参加している工場と、同等の技術を持つ候補工場を調査。設備投資、資本参加、業務提携、買収。それぞれ、どの形なら相手にも利益があるか提案案を作れ」
担当者が候補一覧を開いた。
筆頭に表示された名前は、西原鋼業。
その横には、まだ『接触前』と記されている。
町工場には、九条の規格案へ加わる自由がある。
同時に、三葉が提示する資金と安定した取引を選ぶ自由もある。
どちらを取るかは、工場側の経営判断だ。
三葉は、その天秤の片側へ、九条には用意できない条件を載せようとしていた。
契約を強制するわけではない。
既存取引を盾に圧力をかけるわけでもない。
それでも、零細工場の経営者を前に、設備更新の資金と継続発注を同時に示せば、判断へ与える重さは九条の約束とは比較にならない。
御堂は、その差を使うつもりだった。
「既存の法人顧客と販売網も確認しますか」
「準備だけ進めろ。製品も安全データもない段階で、販売を約束するな」
御堂は、拙速な宣伝を許さなかった。
三葉の武器は、資本だけではない。
約束を実行できるという信用だ。
その信用を、未完成品のために傷つけるつもりはなかった。
「広報・IR部」
御堂が呼ぶと、一人の女性が顔を上げた。
「市場反応の分析を頼む。九条補給店への評価と懸念、探索者が安全装備へ何を求めているのかを追え。三葉側の情報発信案は、製品と検証計画が固まってからだ」
「承知しました」
七瀬美月は、平静な声で答えた。
手元の資料へ視線を戻す。
九条補給店。
代表、九条誠。
その文字を見た瞬間だけ、ペン先が紙の上で止まった。
三葉物産を退職した直後、将来を預けることはできないと告げ、婚約を解消した相手。
別れた時の九条には、次の仕事さえ決まっていなかった。
その男が今、三葉物産の複数部門を集めた会議で、正式な競争相手として分析されている。
美月は、スクリーンに映る公開試験の静止画を見た。
防護ガラスの前で数値を記録する九条の姿。
派手に勝ち誇っているわけではない。
かつて仕事について話していた時と同じ顔で、目の前の数字を追っている。
美月の胸に浮かんだ感情は、後悔と呼べるほど単純ではなかった。
驚きと、戸惑い。
そして、自分の知らないところで九条の時間が進んでいたという、わずかな隔たりだった。
美月は呼吸を整え、再びメモを取り始めた。
ここは会社の会議室だ。
過去の関係を口にする場所ではない。
御堂を含め、彼女の一瞬の停止を気に留める者はいなかった。
*
会議終了後。
自席へ戻った美月の端末に、新しい担当通知が届いた。
『対魔鋼関連事業――九条補給店に関する広報・市場反応分析』
業務内容は、公開情報の収集と分析。
九条本人へ連絡する指示はない。
美月は、通知の中にある名前を見つめた。
九条誠。
そして感情を閉じるように、業務開始のボタンを押した。




