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第23話 元婚約者は、俺を覚えていないふりをした

ダンジョン協会と業界団体が共同開催する、探索者向け装備展示会。


 会場の端にある小さな区画へ、九条補給店の名前を掲げていた。


 審査中の技術や、新規事業者に割り当てられた場所だ。


 長机の上にあるのは、公開比較試験でくの字に曲がった試験モデル、赤線の拡大写真、KUJO-G規格案の概要。


 販売できる完成品はない。


 協会公認と誤解させる表示も置いていなかった。


「この赤線は、危険が近いことを知らせるためのものです」


 芽衣が、集まった探索者へ説明している。


「赤線が出るまで絶対に壊れない、という保証ではありません。線を確認したら、すぐ使用をやめてください」


 西原は、金属加工の技術者から飛んでくる質問に答えていた。


 俺の担当は、仮予約者や規格協議に関心を持つ工場関係者だ。


「価格も納期も未確定です」


「量産工程は、まだ検証中です」


 不利に見える情報でも、隠すわけにはいかない。


 命を預ける道具について、期待だけを先に売れば、後で必ず信用を失う。


 会場の中央には、三葉物産の巨大なブースがあった。


 提携メーカーの既存装備、世界各地の素材調達網を示す大型パネル、いくつもの商談スペース。


 企業ロゴの下を、大勢の営業担当者と来場者が行き交っている。


 うちの長机一つとは、比較すること自体が馬鹿らしい規模だった。


 だが、感情的に敵視しても意味はない。


 人を止める映像の位置、商談席までの動線、説明員の配置。


 金と人員があるからこそできる設計を、俺は商売人として観察した。


 三葉のブースにも、赤線を備えた新製品はない。


 存在しない製品を並べていないのは、企業として当然のことだった。


     *


 昼過ぎ。


 広報・市場調査の入場証をつけた女性が、九条補給店の前で足を止めた。


 タブレットから顔を上げる。


 視線がぶつかった。


 七瀬美月。


 会社を辞めた一週間後、俺に婚約指輪を返した女。


 息が止まったのは、ほんの一瞬だった。


 美月は営業用の表情へ戻り、名刺を差し出した。


「初めまして。三葉物産、広報・IR部の七瀬と申します。九条補給店の九条様ですね」


 初対面の取引相手へ向ける挨拶だった。


 俺を覚えていないはずがない。


 公の場で私的な関係を持ち込まないための、彼女なりの線引きなのだろう。


 理解はできる。


 それでも、胸の奥へ細い針を刺されたような痛みがあった。


「九条です。よろしくお願いします」


 俺も名刺を受け取り、仕事相手として頭を下げた。


 芽衣と西原が別の来場者へ対応し、周囲の耳が離れた時。


 美月が、タブレットで口元を隠した。


「……久しぶり」


「ああ。三葉の広報にいるとは知らなかった」


「異動したの。公開試験の映像は見たわ」


 美月の目が、曲がった試験モデルへ移る。


「危険を目で確認できる発想は、すごいと思う。でも、価格も納期も決まっていない。量産体制もなくて、協会の審査も途中でしょう」


 声に嘲りはなかった。


 ただ、俺の事業を評価する物差しが、昔と変わっていない。


「今の段階では、事業として成立したとは言えないんじゃない?」


「その通りだ」


 俺が認めると、美月がわずかに目を瞬いた。


「否定しないのね」


「否定できる材料がないからな。公開試験一回で、量産や供給責任まで証明されたわけじゃない」


「あなたは昔から、仕事となると危険まで自分で抱え込むところがあった」


 婚約を解消された日の記憶が蘇った。


 将来を預けられない。


 あの日の言葉は、今でも完全には消えていない。


 だが、美月の判断が間違いだったと認めさせたいわけではなかった。


「だから今度は、一人で抱え込まない仕組みを作っている」


 俺は規格案のパネルを示した。


「足りないものが分かっているから、工場ごとの技術、検査、責任範囲をつなぐ。俺一人で剣を作るんじゃなく、供給できる形にするんだ」


 美月は何も言わず、俺とパネルを見比べた。


「九条さん、すみません」


 背後から、若い探索者に呼ばれた。


「仮予約している者なんですけど、赤線が出た後の返却について聞きたくて」


「お待たせしました」


 俺は来場者へ向き直った。


「返却方法も、費用負担も未確定です。現在検討している手順からご説明します」


 美月との話を投げ出したつもりはない。


 だが、この場で先に答えるべき相手は、装備へ命を預けようとしている顧客だ。


 説明を始めた俺を、美月はしばらく見ていた。


 その視線に何が含まれていたのかは、分からない。


「失礼いたします」


 最後は三葉物産の担当者として一礼し、中央のブースへ戻っていった。


 胸の痛みは、まだ残っていた。


 俺は一度だけ息を吐き、次の質問へ向き直った。


     *


 夕刻。


 展示会が終わり、ブースを片づけていると、西原が険しい顔で近づいてきた。


「九条さん。工場から連絡があった」


「何かありましたか?」


「三葉物産の新規事業部から、うちと一度、正式に面会したいと申し入れが来たそうじゃ」


 資料を鞄へ入れる手が止まった。


「目的は?」


「まだ聞いとらん。業務提携か、投資の話か。それすら分からん」


 美月がブースへ来たのは、公開情報を調べる市場分析の仕事だ。


 西原鋼業への申し入れと、同じ指示で動いたとは限らない。


 だが、公開試験の直後に、三葉が製造の中心である西原鋼業へ接触してきた。


 偶然として片づけるには、タイミングが良すぎる。


 古巣はもう、遠くから俺たちを観察しているだけではなかった。

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